囚人服の老子

拘置所のなかでの非人間的な扱いや環境と、そこでのOSHOの振る舞いやまわりで起こることの対比はとても印象的です。

刑務所のなかでさえも、OSHOのまわりでは何か美しいことが起こるようです。

そういう様子を見るにつけ、OSHOの語ることに嘘はないということを感じさせられます。

彼の振る舞いそのものが、彼の生き方や教えの香りをはなっています。

シュンニョは書いています。

私たちはメクレンブルク群拘置所に護送されました。やはり手と足を鎖につながれてです。鎖は足首にひどく食い込み、歩くのも困難でした。OSHOの足にも鉄の重りがついていましたが、彼の歩きかたは相変わらず優美でした。

ヴィヴェックと私が同じ鎖につながれているのをはじめて見たとき、彼は笑いました!

未決囚が拘置所に出入りするときは、窓のないひどく小さな牢のなかで待たされます。
長さ2メートル半ほどの細長い牢で、鉄のベンチひとつぶんの幅しかありません。
ベンチに座ると膝から壁までの隙間はわずか15センチでした。

ヴィヴェックと私は、尿の匂いに息を詰まらせ、鉄のベンチに座りました。
壁には便や血をこすりつけた痕があり、重たい壁にはからだをぶつけてできたと思われるでこぼこがありました。
ここに閉じ込められて半狂乱になった人たちが空しく扉に体当たりしたのでしょう。

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拘置所での経験で最悪だったのは、OSHOもほかの人とまったく同じ扱いを受けているのを知っていたということです。
こんなふうに扱われて、彼のからだはどうなってしまうのでしょう!

私たちは服を取り上げられ、囚人服を着せられました。OSHOも同じです。
囚人服は古く、何度も洗濯された形跡はあるのですが、それでも脇の下のあたりには長年の間に染み付いた汗が固まっていて、体温で暖まると臭気を放ちました。かつてその服を着ていた大勢の人たちの体臭をがまんしなければならないのです。

服の状態はあまりにもひどかったので、3日後に替えの服を提供されたとき、私はそれを受け取りませんでした。少なくとも最初の服にはケジラミはいなかったし、カイセンにもなりませんでした。替えの服ではどうなるかわかりません。

拘置所でOSHOの世話をしてくれたカーター看護婦が教えてくれたのですが、囚人服を受け取ったとき、OSHOは冗談まじりに「それでも、これは私には似合いそうもない」と言ったそうです。

寝具は囚人服よりもひどい状態だったので、私は服を着たまま眠りました。
シーツはあちこち破れていて、黄色や灰色のしみがありました。
穴だらけの毛布はウールでできていました。ウールです!

OSHOはウールにアレルギーがあります。
私たちの弁護士ニーレンは、OSHOのために新しい木綿の毛布を持参しましたが、OSHOのもとには届きませんでした。

拘置所はキリスト教の体制です。
牧師は聖書を持って監房をまわり、キリストの教えを説くのです。
500年も昔に戻ったように感じました。すべてが野蛮でした。

収監者の99パーセントは黒人でした。
黒人だけが犯罪を犯すのでしょうか。
それとも黒人だけが罰せられるのでしょうか。

私は監房に入れられました。
そこには12人ばかりの収監者がいました。
麻薬中毒患者か売春婦です。
「助けて‥‥‥」私は内側でつぶやいていました。
「‥‥‥エイズはだいじょうぶなの?」

ノミが食い荒らしたマットレスを持って、空いていた簡易ベッドの方へと房を横切っていくと、女たちはそれまでしていたことをやめ、私に視線を向けました。

一瞬の空白状態のあと、私はテーブルとベンチのあるところに行き、そこでトランプをしていた女たちに「私も入れてもらえるかしら」と言いました。
拘置所を出るまでのあいだに、私も何部なまりの英語を話せるようになりたかったのです。

私は同じ房の女たちが好きになりました。
彼女らは私が拘置所の外で会う人たちよりも知性的でした。
「導師(グル)といっしょにいるあなたをテレビで見たわ」と女たちは言いました。

「移民法違反ぐらいのことで大げさに逮捕されて監獄にぶちこまれるなんて、どうしてなのかわからない」と言いました。

なにがどうなっているのか,私たちは重大事件の犯人のように扱われているのはどうしてなのか、彼女たちには理解できないというのです。

この女たちでさえこれほど明瞭にものごとを見ているならば、きっとたくさんのアメリカ人がOSHOの逮捕に憤慨するだろうと思いました。

知性と勇気と力のある人が率先して「待ちなさい、これはいったいどういうことなんだ?」と言うだろうと思いました。

私はそれを確信していました。
それは空しい希望でしたが、私はそれを便りに拘置所の5日間を過ごしたのです。

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拘置所所長のキッド保安官は、状況が許す範囲内で、OSHOにできるだけのことをしてくれたと思います。

私たちが写真撮影を受けていたときのことです。
彼は私とヴィヴェックに言いました「あの人は無実です」

カーター看護婦もOSHOにやさしくしてくれました。
彼女は毎日私たちを訪れ、たとえばこんなふうに知らせてくれました。
「あなたたちの大事な人は、今日はグリッツ(南部風のポリッジ)を残さず食べましたよ」

ある朝、私は監房の格子ごしに、サムエル副所長と挨拶をかわすOSHOの姿を目にしました。
そのあまりの美しさに、私のなかでは時が止まり、拘置所は寺院に変貌しました。OSHOとサムエルは両手をとりあい、しばらくたがいを見つめあったまま、たたずんでいました。

OSHOは愛と敬意を持って彼を見つめています。
その出会いは拘置所で起きていたのではありませんでした。
もちろん物理的には拘置所のなかで起きていたのですが。

OSHOは獄中で記者会見をしました。
囚人服を着たOSHOが記者たちの質問に答える様子がテレビで放映されました。

囚人服のOSHOをはじめて見たとき、私は心を打たれました。
かつて見たことのないような美しさだったのです。

それを見たあと、ヴィヴェックと私は顔を見合わせ、同時に同じことを叫びました。
「老子だわ!」
古代中国の師、老子にそっくりでした。

看守たちは私たちにやさしかったし、OSHOのことも尊敬していました。
私が見るに、彼らは善良な人たちでしたが、彼らが働いているシステムは非情であり、彼らはそれに気づいていません。

法廷に向かう私たちがエレベーターで下っていたとき、付き添いの女性看守がふと私たちのほうに顔を向けて、こんなふうに言いました。
「あなたがたに神の祝福がありますように」
(訳注 God bless you people。くだけた意味としては「あなたがたはなんと素晴らしい人たちでしょう)

彼女はすぐに顔を背けました。恥ずかしかったのでしょうか。
それともだれかに立ち聞きされるのを恐れたのでしょうか

 

「和尚と過ごしたダイアモンドの日々」

(本書は絶版になっています。 お問い合わせはinfo@oejbooks.comまで)