「わが家とはなんでしょう?」という質問はOSHOとともにいて、身のまわりの世話をしているヴィヴェックからのものです。
それまで生涯をすごすわが家と思っていたアメリカのコミューンが突如としてなくなり、OSHOとともにそれまで住んでいたインドに帰ってもそこを追われるはめになり、この世界に安住の地といえる場所がなくなってしまいました。
それはOSHOとて同じでした。
これからどこに安住の地を求めればいいのか、今後どのようになっていくのか、途方に暮れての質問だったのでしょう。
OSHOの答えは、なんのなぐさめもない、シンプルで真実を指し示すものでした。
しかしそのことがわかれば、わが家なくして、どこにいてもくつろいで生きることのできる永遠の安住の地をみつけることができるのです。
シュンニョは書いています。
「2番目の質問はヴィヴェックからのものでした。
生に対する現実的で完全に女性的なアプローチが反映された質問です。
「愛するマスター、わが家とはなんでしょう?」
「わが家などない あるのは家だけだ
人はわが家なくして生まれてくる
人は生涯をつうじてわが家のないままだ
確かに人はたくさんの家をわが家にしようとするのだが
欲求不満におちいるだけだ
そして人はわが家のないまま死んでいく
この真実を受け容れるなら
とほうもない変容が起こるだろう
そのときあなたはわが家を探さなくなる
わが家とは彼方にあるもの
あなたの外側にあるものを指すのだから
だれもがわが家を探している
それが幻想にすぎないことを理解したならば
あなたはわが家を求めるかわりに
わが家なくして生まれ
わが家なくして生きる宿命にある内的存在(ビーイング)を
求めるようになるだろう」
「和尚と過ごしたダイアモンドの日々」
(本書は絶版になっています。 お問い合わせはinfo@oejbooks.comまで)