OSHO行方不明

OSHOのワールドツアーでは、ギリシャを飛行機で飛び立ったものの、その時点ではまだ行き先もわからない状況でした。

それからのできごとは、他の人たちも知るすべもなく、OSHOとは音信不通となってしまいます。

その間、OSHOの身を案ずる人たちの状況については、前回のブログでもお伝えしました。未来のことを案じてもどうなるわけでもなく、ただ「この瞬間に在ること」しかありませんでした。

ギリシャから飛び立ってからのことは、OSHO自らが語ってくれていますので、今回はその状況をお知らせします。

それにしても、このようなことがどうして起こったのでしょうか?それはアメリカがインドやネパールに圧力をかけたように、そしてまたギリシャでのできごとの背後にもアメリカからの圧力があったことが推測されます。

でも、考えてもみてください。

アメリカの司法長官チャールズ・ターナーが後に告白したように、最初からOSHOには罪を犯したという証拠はなにもなく、無実だったのです。
そして実際、司法取引で、ふつうなら、25ドルの罰金ですむような軽犯罪をこじつけることがやっとだったのです。

そんな無実の罪の人がどこの国にも入国がゆるされず、イギリスに至っては、ファーストチケットを持って入国したにもかかわらず、その空港での1泊さえも拘置所に入れられるしまつです。

「これらのいわゆる文明国は、想像のつくかぎりもっとも原始的な野蛮国だ」というふうにOSHOが言ったとしても、このような経験をさせられた人からの言葉として、それは真実です。

入国を申請していない国々からさえも、入国拒否の通告がなされたというのですから、あきれるのを通り越して、笑ってしまいます。

どうしてこのようなことが起こったのかについての考察は次回に書くとして、今回はまず、ギリシャを発ってからのOSHOがどのような状況に置かれていたのかということをお伝えしておきます。

シュンニョは書いています。

OSHOはその間の事情についてつぎのように語っています。

……私たちはギリシャからジュネーブに向った。ほんの一晩の休息をとるためだった。
ところが私の名前を知ったとたん、彼らは言った
『無理な話だ!彼の入国は許可できない』
私が飛行機から降りることさえ許可されなかった。

私たちはスウェーデンへ向った。
スウェーデンはヨーロッパ、いや世界のどの国よりもはるかに進歩的だと言われている。
おおぜいのテロリストや革命家、国外追放された政治家の亡命を受け容れてきた、とても寛容な国だと聞いていた。

私たちはスウェーデンに着陸した。私たちはそこで一夜を過ごしたかった。
パイロットたちの連続飛行時間が、規定範囲を超えそうになっていたからだ。
彼らはそれ以上操縦できなかった。
無理に操縦すれば、法に反することになる。

私たちは喜んだ……私たちは一晩の滞在を求めただけなのに、空港の役人は全員に7日間のビザをくれたからだ。
その役人は酒に酔っていたのか、それでなかったら寝ぼけていたのだろう。
深夜、夜半すぎのことだった。

ビザの手続きをした人は、7日間のビザがもらえたので喜々として戻ってきた。
ところがすぐに警察が来て私たちのビザを取り消し、すぐに出国するようにと言った。
『この男を入国させるわけにはいかない』

彼らはテロリストの入国なら許せる。殺人犯の入国なら許せる。
マフィアの亡命や永住を求めていたのでもなかった。
求めていたのは、たった一晩の滞在だ。

私たちはロンドンに向った。そうするのは私たちの基本的人権だった。
そして私たちは、その滞在が二重の意味で合法的になるようにした。

私たちは翌日出発のファーストクラスのチケットを買った。
私たちには自家用ジェット機があったのだが、それでもこんなふうに言われたときのためにチケットを買っておいたのだ。
『翌日のチケットを持っていないあなたがたは、ファーストクラスの待合室では休めません』

私たちは待合室で休みたかったので、ただそれだけの理由のために、全員のチケットを買った。そして、彼らにこう主張した。
『私たちは自家用ジェット機もあるし、しかも、チケットまで持っている』

だが、それでも彼らは、たとえ政府であっても口出しできないという空港条例を盾にして、このように言った。
『この問題に関しては、私たちに完全な決定権がある。この人は、待合室に入れられない』

私は思った。待合室にいる私に、どうしたら彼らの道徳や宗教を破壊できるというのだろう? 私はそこで眠るだけだし、朝になれば立ち去るつもりなのに。

だが、そんな道理は通じなかった。これらのいわゆる文明国は、想像のつくかぎりもっとも原始的な野蛮国だ。彼らは言った。『私たちにできるのは、あなたを牢屋に泊めることだけだ』

たまたま私たちの仲間のひとりが、彼らの持っていたファイルを見た。
彼らにはあらかじめ、私の取扱いに関する政府からの指示書が与えられていた……絶対に入国を許してはならない、たとえ一晩であっても、ホテルや待合室に泊めてはならない。
唯一許されているのは、留置所に入れておくことだ。

翌朝、私たちはアイルランドに向った。
たぶん係官は、乗客リストのなかの私の名前を見落としたのだろう。私たちは2、3日間『できたら7日間』の滞在許可を求めた。私たちは時間が欲しかった。

私たちは別の件に結論がでるのを待っていたのだが、その決定が遅れていたからだ。私たちがどんな行動をとるかは、その決定にかかっていた。その係官は、ほんとうに寛大だった……飲みすぎていたにちがいない。彼は私たち全員に、21日間のビザをくれた。

私たちがホテルに着くやいなや、警察が着て私たちのビザを取り消すと、このように言った……空港の係官はきちがいだ、なにもわかってはおらん。彼らは私たちのビザを取り消したのはいいが、困った状況に直面していた。
私たちはどうしたらいいのか? 

私たちはすでに入国し、ホテルにいた。すでに3時間もホテルにいた。私たちのパスポートに21日間のビザのスタンプを押しておいて、それを今度は取り消した。私たちはすぐに出かけるわけにはいかなかった。2、3日は待たなければならない。

官僚主義がどんなふうにしてみずからのあやまちを隠すかが、あからさまになった。彼らはこう言った……あなたはここにいてもいい……だがだれにも知られないようにしなさい……マスコミにであれ、だれにであれ、OSHOがここにいることを知らせてはならない……さもないと、われわれが厄介な目にあってしまう。

この旅は、はじめから終わりまで、官僚主義のほんとうの姿をあらわに見せるものだった。

ヨーロッパもすべての国が連合して、私の飛行機がどの飛行場に着陸するのも禁止するという決議を下したという。

私はそれをちょうどいま知ったところだ。
私の飛行機が給油のために立ち寄るぐらいで、一国の道徳の破壊がされるとでもいうのだろうか

 

「和尚と過ごしたダイアモンドの日々」

(本書は絶版になっています。 お問い合わせはinfo@oejbooks.comまで)