OSHOのアシュラム

いよいよ、この「和尚と過ごしたダイヤモンドの日々」も終わりに近づいてきました。

この本を最初に読んだのは、もう20年ほど前になりますが、今回、ふたたび詳細に読み直してみて、OSHOについて多くの理解と発見がありました。

OSHOのさりげない日常の言動や、彼がどのタイミングで、どのように行動していたのかを、シュンニョの目を通して理解していくことで、OSHOについて、そして彼の言葉について、私にとってこれまで気づかなかった多くの再発見がありました。
そういう意味でも、毎回、このブログを書くのが楽しみでもありました。

今回、このシュンニョの本を詳細に紹介したのは理由があります。
OEJから出版されていたこの本は、もうすぐ絶版になります。ふたたび日本語版が出版されることは難しいでしょう。
ですから、この本が消える前に、記録としてとどめておきたかったのです。ここで紹介したのは、この本の一部です。

シュンニョは語ります。

アシュラムでは、創造芸術の爆発的な開花が見られました。
それは、初めて起こったことです。

ダンス、パントマイム、演劇、ストリート ・ミュージツク。そして、とてもたくさんの人たちが絵を描きはじめました。それまで 一度も絵を描いたことのない人たちです。

過去のふたつのコミューンでは、 私たちの創造性が存分に開花するための機会がありませんでした。私たちがワールドツアーから戻ってきたとき、アシュラムの庭がすっかり荒れ果てていたのを覚えていますが、それもいまでは見違えるほどです。
アシュラムに足を踏み入れた瞬間、私は思わず足を止めてしまいます。五感が沈黙するのです。まるで別世界に来たようです。

……滝の音、高く伸び、花を咲かせた、たくさんの木々の木陰の涼しさ。
平和でくつろいだ雰囲気。この静けさは、墓場の静けさではありません。
たくさんの人たちが笑い、戯れています。アシュラムを歩きながら 「どうしてみんな、私にはほえみかけているの?」と、思うときがあります。そして、私は気づくのです。みんなは私にほほえみかけているのではありません。ただ、ほほえんでいるのです。

OSHOは身体をとても弱らせ、アシュラムの運営についてニーラムと打ち合せをすることもできな くなりました。それからの彼は、昼食か夕食を食べながら、アナンドとジャイエツシュとだけ話をするようになりました。

彼はアナンドを「私の日刊紙」と呼んでいました。彼は毎日、彼がいなくてもアシュラムはうまくいっているかと尋ねました。

それは、実際うまくいっていました。私たちは初めて「コツ」をつかんだようでした。権力をめぐる問題もなく、いかなる上下関係も生まれていません。人々は報酬のためではなく、ただ働くのが楽しいから働いていました。

初めてアシュラムに来た人たちに充分な配慮がされているか、来たばかりの人たちと昔からいる人たちがうまく溶け合っているか、OSHOはそんなことも知りたがりました。

OSHOは、アシュラムのすべての建物を黒く塗り、窓には青いガラスをはめるように言いました。
新しく購入した土地に、黒いピラミッドを建てるようにも言いました。緑色に輝く円柱状の電灯を白大理石の道づたいに並べるようにも、そして夜には、庭を照明で照らすようにも言いました。

たった 一本の電灯が切れていても、彼はかならず気がつきました。白鳥たちのために、池にも同じ電灯をつけるよう言いました。

「彼らが仲間はずれにされたと感じないように」というわけです。彼はあらゆる小さな点にも気をつかって、私たちのためにアシュラムを美しくしようとしていました。

OSHOはブッダホールの外で警備をする人たちにも心づかいをしていました。誰もがブッダホールに入れるようにしたかったのです。ですから、同じ人たちが何度も外にいるのに気づくと、今度は彼らをなかに入れてあげなさいと言いました 』

OSHOが肉体を離れて25年が経ちます。

この本で、これまで見てきたように、OSHOが1980年に、それまでアシュラムがあったプーナを離れてアメリカに渡り、オレゴンにコミューンを創り、それが成功すると、アメリカ政府の策略でコミューンをつぶすために、無実のOSHOに国外退去を命じた経緯については、これまでのブログでも紹介したとおりです。

そしてワールドツアーに旅立ち、1987年に、もといたインドのプーナにあるアシュラムに戻ったときには、今回のシュンニョの記事にもあるように、アシュラムはすっかり荒れ果てていました。

それから3年間にわたってOSHOがトータルにエネルギーを注いで、ふたたび息を吹き返したアシュラムは、今では「OSHOインターナショナル・メディテーションリゾート」となって、世界中の人々が訪れる楽園となっています。

その映像がこれです。(日本語字幕がついています)
OSHOが最後に設計して、私たちのために残してくれたメディテーションのためのオアシスです。

 

「和尚と過ごしたダイアモンドの日々」

(本書は絶版になっています。 お問い合わせはinfo@oejbooks.comまで)