OSHOとの至高の瞬間

和尚との至高の瞬間」 
マ • プレム • マニーシャ

この本はシュンニョと同じようにOshoの身近な弟子であり、Oshoの言葉を記録し、編集し、ときにはOshoに自ら質問をしたり、Oshoへの弟子からの質問を読み上げる係もしていた、マニーシャのOshoとの物語です。

この本がすばらしいのは、マニーシャが直接Oshoの瞑想の指導を受けながら、またOshoにも質問をしながら、その個人的な瞑想の体験が書かれてあることです。

マニーシャはすでにこれまでに、Oshoとの最初の出会いから、彼が肉体を離れるまでの16年間のOshoのワークを記録した3部作を書いてきています。

最初の本ではプーナコミューンの成長の時代からオレゴンのコミューン、合衆国政府によるOshoの逮捕まで。

2番目の本ではOshoの逮捕と交流、法廷尋問のことなどについて。

3番目の本ではOshoの合衆国からの追放と、1985年末のインドへの一時帰国とワールドツアー、そして1986年のインドの帰還まで。

そしてこの本は4作目にあたりますが、Oshoはマニーシャに4冊目の本を書きはじめることを提案し「個人的な体験についての本にしなさい」「あなたの瞑想、あなたのエネルギーと成長について書きなさい」「それから私があなたとワークしていることを、どう感じているかについてもね」とのサジェスチョンを得て書かれた本です。

これはOshoの講話を聞いたり読んだりして瞑想をしている人や、瞑想に興味のある人たちにとっては願ってもない本です。

そこにはマニーシャのさまざまな瞑想体験やミニ悟り、そしてマニーシャがその時々にOshoにした質問やそれについてのOshoの答えなどが書かれてあるので、それらはまさに私たちが瞑想を進めていくことへのアドバイスにもなっているからです。

シュンニョが語ってくれていたのとはまた違った角度からOshoのワークや瞑想について学ぶことのできる、とても貴重な記録になっています。

マニーシャのOshoとの出会いは、彼女が英国からオーストラリアに帰る途中、インドに6週間滞在することになり、その時に、Oshoの弟子となった彼女の友人を尋ねるついでにOshoに会う機会を得ることになったのでした。

Oshoの目とあった瞬間「再開」だわ! と思い、
他のサニヤシンたちや訪問者たちとOshoとの面会の順番が来たとき、Oshoの前に座って直接話す順番が来たとき、Oshoは「サニヤシンになることを考えてごごらん!」と言われます。

その時彼女は、「私はもう考えることにうんざりしているのです!」と答え、そのまま、マ・プレム・マニーシャという名前をOshoから授けられてサニヤシンになってしまいます。

そしてマニーシャはサニヤシンになって2週間後には、アシュラム内に住むように招待を受けました。
結局オーストラリアに帰る予定をやめて、「ここがわが家だ」と思い定めて、そのままアシュラムに住むようになります。

マニーシャは、あるときOshoの「シャクティパッドーー導師のエネルギーの伝達ーー」の経験をします。

その様子を次のように書いています。

「今日はOshoの43才の誕生日で、私はサニヤシン年令でいえば、ほんの二ヶ月の乳児だ。
私はOshoの住む老子館の裏手にある、イヴニングーミーアイングやダルシヤンが行なわれるポーチに、数百人のサニヤシンとともに座っている。

朝の講話にOshoが到着するのを皆と待ちながら、目を閉じて音楽に合わせて体を左右に揺らしている。

私は内側の沈黙と静けさの世界に滑り込み、くつろいでいる。
と、突然私の歯が、あたかもひどい寒さか恐怖に襲われたかのように、ガチガチと音を立て奇妙なアイルランド風ジグを始める。
どんなに唇をしっかりと合わせても、歯はこの不可思議な踊りをやめようとしない。

そして私たちは、Oshoがポーチへと歩を進める間、合掌して伝統的な「ナマステ」の姿勢をとっている。

彼は座り、話し始める。まだ歯は動きを止めようとせず、私はどうか邪魔にならないようにと希う。
話しながら、和尚の目は前に座った一団の上を勣いている。
彼の目が私の座っているほうへと動き、私の上に来て止まる。私たちの目が合う。

彼は数分と感じられる間、私を見つめる。
と、歯の動きがぴたりと止まる。
静けさの洪水が、広大な溜息のように私を洗い流す。

「シャクティパッドーー導師のエネルギーの伝達ーーだね」。
講話のあとで、私がこの奇妙な
出来事について話すと、幾人かの古いサニヤシンが、わかったようにそう言って頷いた。」

私はそのようなエネルギーの伝達は、例えばOshoが額に手をおいたりという直接的な方法によって起こるのであって、「目と目が合う」ようなことで起こるものだと知りませんでした。

しかしOshoの講話を読んでいると、そのようなことでも起こる可能性があるようなことが書いてあるのを知っていましたが、このマニーシャの体験をよんで、私がOshoと目が合った時に、自分に起こったことも、おそらくそのシャクティパットなのだろうということの確認ができました。

初めてそのことを体験したときには、一瞬の思いがけないできごとで、一体自分に何が起こったのかわかりませんでした。

それは、私がOshoの話しているすぐ近くに座って講話を聴いていたときに起こりました。
講話が終ってOshoが椅子から立って、ナマステーをしながら、私の方に向いて、目と目が合ったその瞬間にそれが起こったのでした。

よく漫画なので、目と目が合って、バチッと視線が合って火花が飛ぶような絵があったりしますが、目が合った瞬間「バチッ!」と音がしたのではないかと思った瞬間、とどめもなく涙が溢れて止まらなくなってしまったのでした。

それはまさに「静けさの洪水が、広大なため息のように私を洗い流す」というような体験でもあり、何か自分の中がすべて洗い流されて、ただ空っぽとなった感覚と同時に至福の中に漂っているような充足感のような感覚がしばらく続いていました。

このマニーシャの本には、瞑想の体験をはじめとした、さまざまなOshoとの体験が書かれてあり、Oshoが瞑想について話していることなどが、マニーシャの体験を通して、具体的に書かれてあり、とても参考になります。

Oshoが話している瞑想に興味のある方は、この「和尚との至高の瞬間」を読むと参考になるかと思います。