マスターから弟子へのエネルギーの伝達

 インドの伝統で、マスター(師)から弟子へのエネルギーの伝達のことをシェクティパットといいます。

 ウィキペディアではシェクティパットは次のように紹介されています。

 「シャクティーパット(シャクティパット,Shaktipat,別名:Shaktinipata)は、ヒンドゥー教の霊性の伝統において「霊力の原型を与える」または「弟子(学生)を目覚めさせる」または「導師(グル)の行為」を指す。

 サンスクリットの言葉。「Shakti」は「エネルギー」、「pat」は「軽く叩くこと」と意訳される。

 霊性の熟練者は注視、意念、あるいは接触によってシャクティーパットを実行することができる。 接触は、弟子のアージュニャー・チャクラ(眉間)に通常なされる。

 バーバラ・ブレナンは著作 Hands of Light(「光の手」) の中でこのような意味のことを述べた。「シャクティーパットは、実際にグルのオーラを弟子に射出する。弟子は、それによってグルと同じ霊性状態を獲得する。それゆえにグルが霊的にハイレベルであることが重要である。クンダリニーの上昇現象はその次に自然に現れる」と。

 比較文学教授のポール・ツヴァイクは、スワーミー・ムクターナンダからシャクティーパットを受けた際の体験について書き、編集者のジョン・ホワイトによって論文集 Kundalini, Evolution, and Enlightenment の中で公表された。」

 OSHOは1970年代、弟子や訪問者と直接個人的に会うための面会の時間をとり、サニヤスを授けるときやエネルギーダルシャンなどで、眉間の第6のチャクラに親指を当てて、弟子たちにこのシャクティパッドをほどこしていました。

 それは一時的にしろ、そのような瞑想の体験を得ることが、その人の霊性の成長に役立つとの考慮だったようです。

 そのOSHOからのシェクティパットを体験した人たちの話によると、頭が真っ白になったり、悟りの一瞥のような体験があるというようなことを聞いていました。

 しかし1980年にはOSHOが沈黙に入り、直接人と会うことはなくなりました。

 その後、腰痛の治療のためアメリカに渡り、OSHOが直接弟子などにあってシャクティパッドをするような機会はなくなりました。

 ところがOSHOは直接的な伝達方法ではなく、さらに繊細で目に見える形ではない方法を見いだそうとしていたようです。

マニーシャは次のように書いています。

 「翌日の講話の中で、OSHOはシャクティパットーーエネルギーの直接的な伝達ー-の方法をやめて、彼のもとに集まった人々に働きかける、より微妙で、目に見えにくい方法を見出そうとしてきたと語る。

 『私はすでにその方法を見つけ、それはうまくいっている。驚異的にうまくいっている』と彼は言う。
 
ただあなたがたに話しかけることによっても、同じことはできる。私の沈黙によってもできる。私の臨在によってもできる。

 そして私は、あなたがたに何も要求しない。私のすることが何であれ、もしあなたがたがその中に本当に関わったならーーそしてあなたがたは、きっと関わることになるーーもし私に耳を傾けたら、あなたはきっと関わる。

 もし私があなたを見つめたら、その瞬間、あなたは何も考えられなくなり、何かが起こり、あなたに火がつく。それはより繊細で、意識の高い層により適している』」

 OSHOの言葉というのは、嘘偽りがありません。というのは、彼が話す言葉は、彼自身の体験によるものか、彼自身がさまざまに実験してきた結果であって、彼自身が実際に観察してきた上での彼の洞察なので、すべて彼の体験と知恵に根ざしてきている言葉なのです。単なる借り物の知識ではありません。

 どこからあれだけの膨大な知恵がとどめもなく話すことができるのだろうかととても不思議ではあります。師(マスター)というのは何か特別な次元にいるのではないかと思われるところがあります。

 このシャクティパットについてもそうです。それを体験したことがなければ、一体それはどういうことなのかは分からないでしょうし、どういうことが起こるのかも分からないでしょう。

 でも、一度でも体験があれば、ポール・ツヴァイクがシャクティーパットを受けた際の体験について論文集で公表されるぐらいに、ある強烈な体験を引き起こすものではあるのです。

 OSHOは「もし私があなたを見つめたら、その瞬間、あなたは何も考えられなくなり、何かが起こり、あなたに火がつく」と語っていますが、確かにOSHOと目が合ったときに私に起こったことというのは、当時はそういう知識も何もなかったので一体なにが起こったのかが分からなかったのですが、こういう言葉を聞くと、あのときの体験がそうだったのかということに思い当たります。

 OSHOがアメリカのオレゴン州に建設されたコミューンにいたころ、OSHOは沈黙の中にあって、講話をすることもなく、ごく一部の日常の世話をするサニヤシンと接触するだけで、一般的にサニヤシンに会ったり、話をしたりということはありませんでした。

 しかし、そのときのドライブバイでOSHOが行なっていたことも、マスターから弟子へのエネルギーの伝達という意味では、新しいシャクティパッドの実験だったのかもしれません。

 OSHOはあるときから午後になるとドライブに出る途中、キャンパスの中央を貫く道路に車を走らせるのが習慣になっていました。

 それはちょうどコミューンの人たちの昼休みが終わるころ行なわれ、みんなはその習慣を「ドライブバイ」と呼んでいました。

 マニーシャたちはそのドライブバイにあわせて、毎日友人たち一同と沿道に集まり、リボンで飾ったタンバリンを持ったり、誰かがギターを弾き、もうひとりがドラムを打ち、二人目が銀のフルートを吹き、グループを作って、みんなで歌い踊ったりしていました。

 どんな歌を歌うかみんなで決めて歌っていると、OSHOがマニーシャたちのいる場所に到着する頃には、みんな最高潮に達しています。

 そのときの体験をマニーシャは次のように書いています。

 「彼の車は、半マイルほどに近づくと見えてくる。彼はゆっくりと車を走らせ、1マイルほどの列を作って、歌ったり踊ったりしている沿道のサニヤシンたちに向かい、手を振ったり微笑んだりする。

 ときおり彼は、ひとりのサニヤシンや、ある一団の近くに車を止め、リズムに合わせて両手を動かし始める。

 彼はダンサーやミュージシャンがエネルギーの頂点に昇り詰めるまでテンポを速め、それからにっこり笑って、背後に笑いと興奮の跡を残して去る。

 彼が私たちの一団に近づいたかと思うと、私の目の前で止まる。私はジャンプしながら大声で歌っている。手にしたタンバリンは命を得たかのように、私の手の中でリボンをなびかせ生き生きと踊る。耳の後ろにヘヤピンで差した赤いバラは、絡まった私の髮にブラブラと引っ掛かり、つり下がっている。

 彼はまっすぐ私に向かって微笑み、輝く茶色の目をキラキラさせて、両手を動かし始める。彼のペースはだんだん速くなり、あたかも彼がハーメルンの笛吹き男で、私のエネルギーの迷路を先導しているかのように、私は彼のリズムについて行く。

 彼の凝視は、その強烈さと親密さで私をとらえてしまう。全世界が蒸発し、仲間のダンサーの動きや声さえも消える。

 何千人というサニヤシンたちに囲まれて、焼けつくような夏の日の盛りに、私の生はこの瞬間、この眼差し、この愛、この私のマスターとのパ • ド • ドウ(ペアで踊るダンス)に凝縮される。

 もっと速く、もっと速くと、OSHOは私が肉体と心の限界を越えて、自分を単にエネルギーそのものと認識するまで先導する。この強烈な歓び、この限りない自由が歓喜なのだ。

 感謝の笑いと涙が、マスターと私の間にあるあらゆる区別を洗い流す。私は前に立つ彼の目の中で死に、そして彼の存在という沈黙の淵から復活する。                         
 やがて彼の車は動き出し、私は感謝と幸福の渦に飲み込まれて立っている。全面的に満たされ、同時にまったく空っぽになりきって……。

和尚との至高の瞬間」より

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