瞑想が試されるとき

 OSHOとともにいて、OSHOの講話を聴き、その瞑想のなかに坐っているのは至福のひとときです。

 しかしOSHOのメッセージは、その瞑想を日常生活のなかに持ち運びなさい、ということなので、ただ瞑想に浸っているということはゆるされず、その瞑想を試される場が待っています。

 OSHOのブッダフィールドに形成されているコミューンの存在です。

 OSHOからはゾルバ • ザ • ブッダという言葉を聞くことがよくあります。それは人生がもたらすすべてのことをトータルに(全身全霊で)生きなさい、というメッセージでもあります。

 ゾルバというのはカザンスキーの小説で、アンソニークインーが主役を務めて映画にもなりましたが、享楽主義的な人生を謳歌するギリシャの男。

 ブッダというのは、悟りを得た仏陀のことで、すべての物質的なものが手に入る王子の座を捨てて、瞑想と精神生活を極めた人。

 そのどちらかに偏るのではなく、その両方を生きなさい、というメッセージなのですが、OSHOのブッダフィールドはその両方の人生が非常に凝縮した形で存在している空間でした。

 普通ブッダフィールドというと、イメージするのはお釈迦様の弟子の人たちが集う僧院のようなもので、今でいえば山のなかの坐禅の道場のような空間を思い浮かべると思うのですが、OSHOのブッダフィールドにはまったく違った試練の場がありました。

 試練とはいえ、それはとても笑いや喜びや遊びに溢れた場ではあるのですが、同時に世間にあるものごとも全てがそこに凝縮されている場でもありました。

 なにせ、ヨーロッパ、アメリカ、アジアの世界中の国々から、常時5000人以上の人たちがインドのプーナにあるちいさなコミューンの場で働き、瞑想し、ワークショップなどのセラピーをし、あるいはまたただ何もしないでくつろいでいる人たち、ありとあらゆる人たちが、それぞれの思いで生活しているのですから、ひと月もそこにいれば1年分以上の経験ができました。
 
 通常の平穏無事な人生を生きていたら、一生かかってもできないようなありとあらゆる経験の場でもありました。

 そこではあらゆる人生の問題に日々強烈に直面させられ、その中で瞑想を試される、そんな場がOSHOのブッダフィールド、コミューンの生活でした。

 マニーシャはその様子を次のように語ってくれています。

 「さらにコミューンの毎日は強烈だ。通常のストレスや、日常よくある人間関係の摩擦から隔離された僧院や、伝統的なアシュラムのような場所と違い、コミューンは小宇宙だ。

 瞑想することで、通常眠っている問題が表面化する。――怒りや嫉妬、競争心、権力欲、権威者に対する 憤り、不安、野心、怠惰、自己嫌悪、愛される必要性、認められたい、正しくありたいという 欲求、仕事中毒症、セクシュアリティなど。このプロセスが何千人もの人々に同時に起こるので、誤解、口論、対立は避け難い。

 私の性急さと緊張は、ときにともに働く人たちのカンに触る。その一方で、同僚たちののんびりとした仕事ぶりは私をいらだたせ、怒らせる。

 私たちは、互いを変えるためにここにいる のではない。せいぜい、相手が自分に与える影響を見つめ、それを理解することができるだけだ。けれど、常にそのようにいくわけではない。

 もし誰かが自分の問題を私に向けてぶつけたとしたら、私は自分がどんな影響を受けるのか、ただ観察すべきなのか?

 もし誰かが権力を誤用するのを見ても、それが自分に与える影響を ただ見るべきか?

 誠実さとは何なのだろう? 私たちは自分自身に対してのみ責任があるのか、それとも多少とも互いのケアをすべきなのだろうか?

 講話中に咳を止めるよう人に注意するのは、その人の自由を侵害することなのだろうか? それともコミューン全体で生み出している沈黙を咳で破ることで、その人はほかの人々の自由を侵害しているのか?

 決まった答えなどない。ある状況の中で、ある人にとって正しいことも、別のときには、まったくあては まらないかもしれない。

 四六時中、このような問題に直面することで、私自身のあらゆる面と向き合う場を得る…...

 何が私のエゴで何が私の独自性なのか、何が優美なる受容で、何か腰砕けなのか、何が傲慢さ で、何が内なる強靭さなのか、その間にある違いを見分ける機会には事欠かない。

OSHOはこう言った。

このコミューンに入るということは、ブッダフィールドに入ることを意味する。あなたは多くの火、多くの試練をくぐらなければならない。

そうして初めて、少しずつ少しずつ、あなたはひとつに統合されるだろう。

あなたはあまりにも長い間、何生にもわたって分裂したままだった。

 よほど集中した努力がなされないかぎり、そしてすべての方面から 攻撃されないかぎり、あらゆる方法であなたの眠りが破られ、揺さぶられるような打撃を受けなければ、統合された人間は生まれ出ないだろう

 「コミューンで起こっているワークは、表面に表れているものとはまったく違う。それは別の 何かだ。…

 それはある試みだ! このコミューンは実験室であり、ひとつの錬金術の過程なのだ

和尚との至高の瞬間

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