あなたはマインドではない

あなたが理解しなければならないことは 自己同化のプロセス─
どのようにして
自分ではない何かと同化 してしまうかということだ

今、この瞬間
あなたはマインドと同化している

自分をマインドだと思い込んでいる
そこから恐`肺が生まれる

マインドと同化していたら
マインドが停止すれば
当然、あなたは一巻の終りだ

あなたはすでにいない
そして、あなたはマインドを超えたものについては何も知らない

実際のところ、あなたはマインドではない
マインドを超えた何かだ

だからマインドが停止することがどうしても必要だ
そのとき初めて あなたは自分がマインドではないと知ることができる
なぜなら、あなたは依然としてそこに在るからだ

マインドは消滅し、あなたは依然としてそこに在る
しかも、より大きな喜び
より大きな栄光
より大きな光
より大きな意識 より大きな存在とともに──

ゴールド・ナゲッツ

最近は脳科学が盛んです。

計測機能の発達によって、脳の機能も計測することが容易になってきているからです。

科学は客観的に計測され、その観察結果が再現されることが求められます。

そのような科学的な視点から自分の存在を観察したとき、すべての根拠は脳の機能に帰結されるようです。

脳があるから考えられるし、意識も脳の働きによって生じると考えられています。

感じることや体を動かすことも脳の機能によるものです。

脳が損傷すると、体を動かすことも、言葉を話すことも、感じることも、考えることも、記憶の能力も失われます。

つまり、脳が失われると、自分の存在証明のすべてが失われるように思われます。

マインドとは考える能力のことであり、脳の機能の一部です。

デカルトの言葉とされている、「我思う ゆえに我あり」(Cogito ergo sum)は、まさにその考えることに自分を同一化した言葉ともいえるでしょう。

西洋の科学および文化はまさにこのマインドによって形成されています。

このようにマインドと同一化しているかぎり、

マインドと同化していたら
マインドが停止すれば
当然、あなたは一巻の終りだ

ということが論理的帰結です。

肉体がなくなり、脳が消滅すれば、当然あなたも消滅することになります。

そのように思って、そのように生きるのは自由です。

もうひとつの可能性は

実際のところ、あなたはマインドではない
マインドを超えた何かだ

ということを探究してみることです。

そのためにはどのようにするのかということが、ここに書かれてあります。

だからマインドが停止することがどうしても必要だ
そのとき初めて あなたは自分がマインドではないと知ることができる
なぜなら、あなたは依然としてそこに在るからだ

このことをマインドで知ることはできません。

つまり考えてわかることではないからです。

しかし、そのことを知ったとき、

マインドは消滅し、あなたは依然としてそこに在る
しかも、より大きな喜び
より大きな栄光
より大きな光
より大きな意識 より大きな存在とともに──

ということの体験があります。

そのことを知る試みが瞑想です。

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