痛みへの瞑想的アプローチ

前回、「OSHOサマサティプロジェクト」のサイト公開のお知らせを
したときに「痛み」についてのページのリクエストがありました。

その方はガンに侵されてて、痛みへの恐怖があるようでした。

痛みって、ほんと嫌なんですよね。

ガンの痛みはわかりませんが、腰痛の痛みは散々経験しました。

そんな痛みがあるときには、どのように対処したら良いか?

実は、OSHOもその痛みに苦しんだ人だったのです。

彼が死ぬ間際に残した言葉は、アメリカ政府に守られた毒によって、
自分の体が地獄の苦しみになっていたというものでした。

そんな人が、自分の痛みにどのように対処していたのか?

「痛み」についてのページができましたので、お知らせします。

痛みへの賢明なアプローチ

私が提案するのは、痛みがあれば、避けようとせず、
そこに深く入っていくように、というものだ。

痛みがあるにまかせ、痛みへと開き、
できるかぎり敏感になるのだ。

痛み、そしてその痛みの矢が、
あなたの核そのものを貫くにまかせなさい。

苦しむのだ。そして喜びがやってきたら、
それがあなたを最奥の核へと連れていくにまかせなさい。

そのダンスを踊りなさい。痛みがあればその痛みと、
喜びがあればその喜びといることだ。

この上なく敏感になり、痛みと喜びの瞬間を、
大いなる冒険にするがいい。

そして私は、あなたにあることを言いたい。
もしあなたにこれができれば、
痛みもまた素晴らしいとわかるだろう、と。

それは喜びと同様に素晴らしい。
それはあなたの存在を研ぎ澄まし、
ときにはあなたの存在に、
喜びよりも大きな気づきをももたらす。

喜びは鈍らせる。
だからこそ、ただ享楽に生きる人々は軽薄に見えるのだ。

彼らには、何の深みもないとわかるだろう。

彼らは痛みをまったく知らずにいる。
一つの快楽から別のものへと動き、
表層だけで生きている。
プレイボーイだ 
ー 彼らは、痛みが何なのかを知らないのだ。

痛みはあなたをとても注意深くする、
痛みはあなたを大きな思いやりで満たす、
痛みはあなたを、人の痛みに対しても敏感にする。
痛みはあなたを広大に、巨大に、大きくする。

ハートは、痛みゆえに育つ。それは美しい。
それには独特の美しさがある。

痛みを探し求めなさいと言っているのではない。
私が言っているのはただ、そこに痛みがあれば、
それも楽しむように、ということだ。

それは存在の贈り物であり、
そこには隠された宝があるはずだ。

痛みを拒否せず、それもまた楽しむがいい。

受け入れ、歓迎し、ともに在りなさい。
最初は難しく、骨が折れるだろう。
だが、次第に、あなたはその味わいを学ぶだろう。

OSHOメッセージ動画シリーズ(8)

が公開になりました。

「死において あなたは死にはしない

 ただ 身体とマインドを通して
 あなたに与えられたエネルギーが解き放たれ
 世界へと帰るだけだ
 あなたは家に帰るのだ」

「ブッダ 達成した人が死ぬときは
 どんな思考もなく ただ死ぬ

 彼はそのオーガズムを楽しむ
 それはとてつもない充足
 完全なる充足なので
 彼には戻ってくる必要がない

 ただ宇宙へと消え去る
 彼にはもう一度身体をまとう必要はない」

「生が もし正しく生きられれば
 ほんとうに生きられれば
 けっして死を恐れはしない

 もし自分の生を生きてきたら
 あなたは死を歓迎するだろう

 それは休息のように
 大いなる眠りのようにやって来るだろう」

「正しく生きた人たちは
 老いを深い歓迎とともに受け入れる

 というのも 老いとはただ
 自分が今や開花を迎え
 実りを迎えようとしているということ
 今や何であれ得てきたものを分かち合うことが
 できるということを語っているにすぎないからだ」

「理解しようとしてみてごらん
 そして 勇気を持つことだ 

 ─自分の手に 自分の人生を取り戻すがいい
 突如として
 エネルギーが湧き上がるのを感じるだろう」

「あなたが
『私は他の誰でもない、自分でいよう
 どんな犠牲を払おうと 私は自分自身でいるのだ』

 あなたが『私は他の誰でもない 自分でいよう
 どんな犠牲を払おうと 私は自分自身でいるのだ』

 と決めたまさにその瞬間に
 あなたは大いなる変化を目にするだろう

 あなたは活力を感じる
 エネルギーがあなたの中を流れ
 脈打つのを感じるだろう」
                     OSHO

 

マニーシャ の来日プログラムはこちら

死に向かう 新しい方法

ゾルバがブッダに出会うとき

  ー 瞑想的享楽主義者になる方法ー