瞑想で偏頭痛を治す方法

これは、Forgotten Language(忘れらりし言葉)
あるいは「トーキング・トゥ・ザボディ」と呼ばれている技法で、Oshoの晩年に生み出された瞑想法の誕生に関する逸話です。

Oshoはアメリカで盛られた毒によって、
原因不明の症状と激痛に悩まされていました。

Oshoはその痛みについての瞑想を編み出し、
自分で実験しながら、マニーシャにも、
彼女の持病である偏頭痛にも試してみるようにと
言ったのでした。

これはそのときの様子を語ったものです。

以下、マニーシャ の「和尚との至高の瞬間」からの引用です。

「私はいまでもときどき、偏頭痛に悩まされる。
そんな私がまた最近講話を欠席したので、
Oshoは今日、ア
ムリットに私の具合を尋ねたという。

そしてOshoはアムリットに、
偏頭痛に対処するあるテクニックを私に教えるようにと、
指示してくれる。

それによると、自分の身体に話しかけ、
偏頭痛なしでいられる方法を見出すのを助けてくれるよう、
頼むのだという。

次に偏頭痛が起こったとき、その方法を試してみる。
その方法は功を奏し、私はその成功をOshoに伝える。

彼はアムリットに、こう私に伝えるように言ったそうだ。

私は彼女と実験をしているのだと 伝えなさい。
そしてマニーシャはよくやるーー
彼女ならやるだろうと

その数日後、彼はまたアムリットに私の様子を尋ね、
私にこう伝えるように言ったそうだ。

OSHOは右肩の痛みに対してその方法を使い、
良い結果を得ていると。

導師と同時進行で、新しいテクニックを使ってワークすることは、とても親密に感じられる

ーー彼自身の身体がこんなにも弱っているのに、
彼は私の健康を気遣っているのだった。

それは 彼が私を実験台にする最後の瞑想になった。
Oshoはそれを「忘れられし言葉ー―身体への語り かけ」と名づけた。

それは新しいセラピーグループのもととなり、
誰でも使えるようになった。

「和尚との至高の瞬間」

「痛み」に関しては、Oshoは次のような瞑想も教えています。

「痛みがあるときには、どうしたらいいでしょう?」という問いに、
Oshoは驚くような返答をしています。

痛みへの賢明なアプローチ

私が提案するのは、
痛みがあれば、避けようとせず、

そこに深く入っていくように、というものだ。

痛みがあるにまかせ、痛みへと開き、
できるかぎり敏感になるのだ。

痛み、そしてその痛みの矢が、
あなたの核そのものを貫くにまかせなさい。

苦しむのだ。
そして喜びがやってきたら、
それがあなたを最奥の核へと連れていくにまかせなさい。

そのダンスを踊りなさい。
痛みがあればその痛みと、
喜びがあればその喜びといることだ。

この上なく敏感になり、
痛みと喜びの瞬間を、

大いなる冒険にするがいい。

そして私は、あなたにあることを言いたい。
もしあなたにこれができれば、
痛みもまた素晴らしいとわかるだろう、と。

それは喜びと同様に素晴らしい。
それはあなたの存在を研ぎ澄まし、
ときにはあなたの存在に、
喜びよりも大きな気づきをももたらす。

OSHOサマサティ 「病気と痛み」より