生は問われるべき問題ではなく、生きるべき神秘だ。
これは私の好きな言葉であり、OSHOがよく口にする言葉です。
今回のOSHOの動画は、いわゆるプーナ1の時代で、1974年から1980年の間の時代で、画像はあまりよくありません。
この画像は、いつ削除されてもおかしくないので、貴重画像です。
このころのOSHOは、OSHOの講話に魅せられてOSHOのもとにやってきた、一般大衆の聴衆よりも、より親密な人たちに向けて話し始めていた時期です。
とはいえ、まだOSHOのことをあまり知らない人たちも多いので、そのころのOSHOの語り口は後期よりもスムーズで早口であり、後期に比べると論理はより整然としていて、明快なように思われます。
OSHOの語り口にそって聴いているうちに、マインドで考えているだけでは限界があるという地点に知らず知らずのうちに連れてこられている、ということがよくありました。
禅でいうと百尺竿頭の先にまで連れてこられて、その先を一歩踏み出すどうかという地点に直面させられるのです。
つまり、マインドを超えてジャンプするのかどうか、という瀬戸際の地点です。
この先は頭で考えてもどうしようもない部分で、飛び込むことでしかわからない世界なのです。
「生は哲学ではない
生は問題ではない
生はミステリーだ
あなたはそれを生きなければならない」
生とは何か、ということについて、ここでは語られています。
生とはマインドでは把握できることのないミステリー。
この瞬間の現実を知れば知るほど、生きることはミステリーに満ちていて、ミラクルとしか言えません。
この身体、この現実、この宇宙、この生を知れば知るほどミステリーです。
それでは、生は生きるべき神秘だ、というOSHOのお話をお聴ききください。
OSHOの声はとても優しく、愛に溢れています。
日本語の字幕付きです。字幕が表示されない時には、画面の右下の「字幕」表示のためのアイコンをクリックして日本語表示を選択してください。
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