他人を助けるためにできること

他人を助けたいと思っても
相手の内部にある何かが
その目的のさまたげになることがある。。。

    「あなたが死ぬまでは」
     第六章 あなたのなかの種

「相手の内部にある何か」とは何でしょうか?

このことを理解しないかぎり、他人を助けることができません。

それ以前の問題として、
自分自身を助けることさえできません。

逆に、このことを本当に理解することができれば、
自分の人生を変えていくことができるようになるでしょう。

でも、ほとんどの人がそのことができないでいます。

なぜなら、いつも目は外側を向いていて、
外側に原因を探し求めているからです。

しかし、外側を変えようとしても、
内側が変わっていなければ、結局は元の木阿弥。

同じパターンの人生を何度も何度も繰り返しているだけになってしまいます。

そのことをOshoは実にわかりやすく、
実例を使いながら説明してくれているのが、
「あなたが死ぬまでは」の第六章です。

Oshoは語ります。

惨め(みじめ)の種であろうが 
喜びの種であろうが
地獄の種であろうが 
天国の種であろうが
人は自分のなかにその種を持って歩く

あなたがたに何が起ころうが
それはあなたがた自身に原因がある
外側の原因は二義的なものだ
内側の原因こそ主要だ

そのことを理解しない限り
あなたがたの質的な変容は不可能に近い

マインドはあなたがたをだましつづける
いつも焦点を外側に向けさせ
あなたがたの惨めさも幸福感も
その原因はどこか外の世界にあると思わせる

が、もし原因があなたがたの外側
にあるとしたら

真の自由の可能性はまったくないことになる

モクシャ
解脱の境地のどんな可能性もなくなる

外側に原因があったら あなたがたは
もう永久に縛り続けられることになる
なぜなら 外側の原因は
とても変えられるものではないからだ

たとえ一つでも変えられることができたとしても
さらに何百万もの原因が次々と出てくる

原因は内側にある!
外側は言いわけにすぎない

あなたがたにも外側を変えられないわけではない
が、内側が同じである限り何も変わりはしない

その内側は外側の状況がどうであろうが
繰り返し同じパターンを生み出していく
なぜなら人は 内側から外側に向かって生きるからだ

もし、自分の人生を変えようと思ったら、
自分の内側を変えていくしかありません。

もし、自分がみじめに感じるなら、
それは自分の内側に原因があるのです。

外側のものごとはその引き金を引いたにすぎません。
その引き金が内側になければ、
外側はそのみじめさの原因とはなり得ないのですから。

Oshoはそのことを次のように説明しています。

あなたがたは自分の天国を内側に持って歩く
自分の地獄も持って歩く

だからたとえ自分がみじめに感じるとしても
外部の世界に言いわけを見つけようとしてはならない
そんなことをしたってなんの役にもたたない
それどころか実際はそういう言いわけがごまかしになっている

みじめなときにはいつでも
自分のなかで満たされていない何かをみつけようとするがいい
その何かに心することだ

そうしないと人は何生にもわたって
型にはまった悪循環のなかを動きつづけることになる

私たちが天国を生きるのか、地獄を生きるのか、
それはひとえにあなたしだいです。

このことを理解することがひとつ。

このことがほんとうに理解ができていないと、
このスーフィーの逸話が伝えようとしているメッセージはわかりません。

このスーフィーのメッセージが伝えていることは、
あなたの内部にある何かが、
絶えずあなたを挫折させているということ。

そして、それをつかまえて壊してしまわないかぎり、
何をやっても無意味だということです。

なぜなら、どんなことをやったとしても、
それはあなたがやっていることなので、
あなたが変わらないかぎり、それは変わらないのですから。

あなたが自分の人生を変えたいのなら、
この、あなたの内部にあって絶えず挫折や不満をもたらす要因、
これを落とす必要があります。

それを完全に壊して、焼いてしまわないかぎり、
挫折の人生を繰り返すことになってしまいます。

その内側のパターンを落とさないかぎり
変容の可能性はないのです。

では、この自分の内部にあって
絶えず挫折や不満をもたらす要因を完全に壊して、
焼いてしまうにはどのようにすれば良いのでしょうか?

次回は、そのことについて書いてみましょう。