このウルグァイでのOSHOの講話は日に2回、40人ほどの弟子たちを相手に、親密な雰囲気のなかで話されました。そこでは、まさにマスターの弟子に対するワークがなされていました。
OSHOの晩年、インドのプネに戻った彼は禅の公案をもとにした講話のみを語りました。
禅の公案は禅の世界での師と弟子との対話です。
対話というよりも、師の弟子に対する働きかけであり、弟子を悟りに導く対話があり、一撃がありました。
ウルグァイでのOSHOの講話は、まさにそのような雰囲気があります。
自分の質問にOSHOの禅の一打のような一撃をくらってしまうと、怖くなってしまい、次の質問ができなくなってしまいます。
しかし、そのような一撃こそが、弟子が学び、成長する機会でもあるのです。
シュンニョは語ります。
「OSHOは日に2回講話をするようになりました。
講話をするときのOSHOは、らせん階段を降り、つやつやした赤いタイルの床を横切り、ナマステの挨拶をしながら広々とした美しい今に入ってきます。
居間には40人ほど座れました。ここでの講和は、いつもの講話とはまったく趣が異なりました。
そこにはほんとうに親密な雰囲気があり、彼は低い声でゆっくりと話しました。
ラジニーシプーラムやプーナでの彼の言葉には炎のような強烈さがあったのですが、ここではまったく違いました。OSHOに尋ねる質問を探すのは、彼の言葉を借りれば「無意識の掃除」として、すばらしいものでした。
彼は1回の講話のなかで、5つか6つの質問に答えることもありました。
それでも、私たちが提出したすべての質問に答えるとはかぎりません。
私たちから質問を集めるというやっかいな仕事は、マニーシャがしました。
やっかいというのは、なかなか質問が集まらないときもあったからです。
自分の前の質問に対して禅の一打のような答えをもらっていたときには、なかなかつぎの質問はできなくなるものです。
「ひとつ覚えておくように。
質問するときには、どんな答が返ってきてもいいように覚悟しなさい。
自分が気にいるような答を期待してはいけない。
さもないと、なにも学べないし、成長も不可能になる。
ある点についてまちがっていると言われたならば、それを見つめてみるといい。
私はあなたを傷つけようとしてそう言ったのではない。
私は本気でそう言ったのだ。
ほんのつまらないことであなたが傷つくならば、私はあなたに働きかけるのは不可能になる。
あなたが何を欲しがっているのか、考慮しなければならなくなる。
そうなったなら、私はあなたを助けられない。
私はあなたのマスターではなくなる」―――OSHO
「和尚と過ごしたダイアモンドの日々」
(本書は絶版になっています。 お問い合わせはinfo@oejbooks.comまで)