なぜ、私たちは愛にあふれた存在ではないのか?

私たちは愛について語り、愛を求めます。

でも、どうして愛がいつも永遠のテーマになり、愛をつねに求め、愛を得られないことが悩みの種になり、愛することがこんなにも難しくなっていたりするのでしょう?

それは私たちが愛の根に注目したことがないからだとOshoは語ります。

それでは愛の根とはなんでしょうか?

Oshoは語ります。

私たちは愛の根に注目したことがない
そして花についてだけを語っていた

私たちは人々に言う──
非暴力でありなさい
慈悲深くありなさい
敵を愛するほど、隣人さえ愛せるほど
愛にあふれていなさい──

愛の花については語るが
その根に関心をもっている人は
ひとりもいない

問題は……
なぜ、私たちは愛にあふれた存在
ではないのかということだ

それは
この人、あの人、友人、敵に対して
愛にあふれているかどうかではない
問題は、あなたが
愛にあふれているかどうかだ

あなたは自分の肉体を
愛しているだろうか?

自分の肉体を気遣い、愛を持って
触れたことがあるだろうか?

自分を愛しているだろうか?

あなたは間違っている──
自分を正さなければならない──
自分が罪人だとすれば、
聖人にならなければならない
──

どうやって自分を愛せる?
自分自身をも受け容れることが
できないというのに──

自分自身を受け容れること── 
それが根だ!

プラスティックの造花は、
いつまでも変化しない

プラスティックの愛は変化しない
生ある花は変化しないで入られない

刻一刻と変化してゆく
今日はそこにあり──
風に吹かれ、陽を浴び、
雨の中で舞っている

だが明日はもう見えない

それは
表れた時と同じ神秘さをもって
消えてしまった

真の愛は生きた花のようだ

ゴールドナゲッツ