惨めさの根本原因は、人が自分自身ではないからだ、というのがOshoの洞察です。
自分自身ではないものを追い求めても、人は惨めになるだけです。
では、自分自身になるにはどうすればよいのでしょう?
ひとつは「瞑想」
なぜなら、瞑想はあるがままの自分自身にくつろぐことだから。
瞑想は、その自分の内奥の中心につながることです。
もうひとつはワクワクすることや大好きなことをすること。
なぜなら、そのとき人は、より自分の本質につながっているときだから。
そうすることが自分の芝生を青く育てることにもなります。
人それぞれが自分の大好きなことをして、内なる可能性を開花させることができれば、人それぞれが満ち足りた存在になり、世界は信じられないほど満ち足りたものになるのでしょう。
しかし、今の競争社会のシステムや教育制度は、人が自分自身ではなくなるための教育やシステムになっているようです。
今の自分が、どれほど自分自身から遠ざかっているのかということにまず気づくことが、自分自身を取り戻すためには必要になってきます。
そのような教育や、社会制度のシステムを作ってきているのが政治家であり、聖職者でもあるので、Oshoはそのような人たちのあり方についても辛らつな批判を加えています。
それは、私たち自身がそのことに気づくことが、今の時代において、自分自身であるためには必要になっているからです。
Oshoは語ります。
人々が、けっして内に秘めた可能性のことなど考えないように
社会はあらゆる手段を用いてきた
そして惨めさのすべての原因は
人が自分自身でないことにある
ただ自分自身でありなさい
そうすれば、惨めさも、競争も
他人が自分より多く持っているということも
自分の方が他人より少ないといった煩わしさもない
自分の芝生をもっと青く育てるなら
塀の向こうを眺める必要はない
自分の芝生を青く育てなさい
芝生を青く育てることはとても簡単だ
人は、何であれ,
自らの内に秘めた可能性に根ざすべきだ
そうすれば、世界は信じられないほど
満ち足りたものになる