垂直の次元と水平の次元

Oshoのひとつの言葉を理解するのに何年もかかるときがあります。

何年かで少し分かるようになるならいいほうで、おそらく一生かかっても理解できない言葉がいっぱいあります。

たとえば「悟り」とか「光明を得る」とか。。。

それはともかく、瞑想を始めた最初のころ「時間は水平的で、瞑想は垂直的だ」というような言葉をOshoが語っているのを読んだときには、理解に苦しみました。

「そういうことか」とわかるのに数年かかった言葉です。

マニーシャはこの本のなかでその言葉を使っていて、懐かしく思いだしたので、引用します。

マニーシャは次のように書いています。

例外を除けば――音楽を聞いたり、子供の表情や日没に感動したりする以外――
 私の生の方向は、基本的に水平的だった。
 速度を落とし、より注意深く、よりくつろぐことで、
 瞬間の持つ深さ――垂直の次元――を発見する。

私たちは表面的、外面的な次元での人生を送っています。

それは時間と空間のある物質的な次元です。
そこにはマインドや感情の経験の世界も含みます。
なぜなら、マインドはその外面的な世界、物質的空間と時間のある世界に属するものだからです。

その時間は過去と未来があり、時間は水平的に一直線に進むものなので、水平的なのです。

それに対して瞑想の次元は垂直なのです。

瞑想においては時間がなくなります。
瞬間から瞬間であり、それは内面的な次元でもあり、垂直の次元なのです。

図で表すと、「意識の多重構造マップ」がとてもわかりやすいです。

「意識の多重構造マップ」はユニティインスティチュートのプラサードたちの本「悟りのシンクロニシティ」で紹介されていますが、物理的外面的な世界、マインド(思考)や感情を含む表層の世界と、そこから垂直に内面に進んだ中心にある本質や空(くう)の世界との関係を同心円として表している図です。

水平に進む時は、縁の表層をぐるぐる回るだけですが、
垂直に進む時は、縁の中心に向かって進みます。

この意識の多重構造マップを見ると、物質的な世界やマインドの表層の世界では、それらが水平的な世界に属していて、瞑想は内側の中心に向かって進む垂直の次元であることが、イメージ的に分かりやすい図で表されています。

この「和尚との至福の瞬間」の著者マニーシャはとてもスピーディな人です。 

10月に開催されるマニーシャのOshoバルドの打ち合わせで、メールのやり取りなどをしていても、メールを送って、一瞬あとにはメールの返事が返ってきているので、いつも驚かされます。

この本にも
だいたい私は、強迫観念に駆られているかのようにスピーディーだ。
たいてい自分がやっていることにさしたる注意も払わず、
毎日のきまり決まった仕事を片づけようとし、
しかもでき
るだけ速くやろうとする
と書いているので、そういうスピードの世界に慣れているのでしょう。

でも、瞑想の気づきを練習するときには、そういうわけにはいかなくなります。

まずはすべてをスローダウンして、ひとつひとつの動作にも気づいていくという練習から始まっていきます。

そんなときに、マインドはまさに彼女が書いているように「犬を散歩に連れていくのに似ている」ので、気づきの瞑想をしようとしても犬(マインド)にあちこち引きずり回されたりというのはまさにそのとおりです。

そういう状況がよく書かれてあるので、気づきを深める瞑想をしようとする人にとってとても参考になります。

マニーシャは書いています。

「さて、より気づきを深めようとして、私は一日を活動ごとに区切る

――たとえばベッドから出る、お茶を入れる、ベッドを片づける、歯を磨くなど――

ひとつの行為の中で本当に自分を保てたときにのみ、次の行為へと移る。

かなり間断なく、自分自身の気づきを持続できる一方で、断続的に失いもする。

それは犬を散歩に連れて行くのに似ている。
最初は気づきとともに出発するが、そのうち気を散らすものを見つける。

――気を引く街灯の臭いを嗅ぎ廻ったり、思考のゴミの山をかき回して夢中になる。

数分たって気づきを忘れてしまっていたことを思い出し、綱を締めて自分の気づきを引っ張っていく。

私は毎日を白いキャンバスに見立てる。
その上に私は、いろいろな思考や行動で一枚の絵を描き出す。

行為や思考に意識的になればなるほど、ひとつひとつの身振りや思考に注意深くあればあるほど、その絵は美しく優雅になる。

この新しい訓練を通して、自然に私は速度を落としつつある。

そして速度を落とすと、あらゆる動きが意味を持ち始め、あらゆる瞬間が、かつて知りえなかったあり様で満たされる。

以前の私は、まるで毎瞬毎瞬の頂上をスキーで滑っていたかのようだ。

例外を除けば――音楽を聞いたり、子供の表情や日没に感動したりする以外――私の生の方向は、基本的に水平的だった。

速度を落とし、より注意深く、よりくつろぐことで、瞬間の持つ深さ――垂直の次元――を発見する。」

和尚との至高の瞬間