自らの内に秘めた可能性

人々がけっして内に秘めた
可能性のことなど考えないように
社会はあらゆる手段を用いてきた

そして惨めさのすべての原因は
人が自分自身でないことにある

ただ自分自身でありなさい
そうすれば、惨めさも、競争も
他人が自分より多く持っているということも
自分の方が他人より少ないと
いった煩わしさもない

自分の芝生をもっと青く育てるなら
塀の向こうを眺める必要はない

自分の芝生を青く育てなさい
芝生を青く育てることはとても簡単だ
人は、何であれ、自らの内に秘めた
可能性に根ざすべきだ

そうすれば、世界は信じられないほど
満ち足りたものになる

ゴールド•ナゲッツ

私たちは、どれだけの可能性をこの内に秘めているかは気づいていません。
その内に秘めた可能性に気づかないで、自分の人生の不運を嘆いていたりします。

しかしよくよく自分自身を見てみると、どれだけの奇跡と可能性を手にしているかがわかります。

例えばこの肉体。
この肉体だけをとっても、どれだけの奇跡なのかは信じられないほどです。

この肉体は、大地からできています。
星々からできています。
空気からできています。
この宇宙からできています。
それらと同じ成分、要素からできているのです。

この大地、空の星、空気、この宇宙、その同じ成分と要素が変容して、この体となって生命を与えられているって、これほどの奇跡がどこにあるのだろうか? と思うのです。

この体はタダで生まれながら自分に与えられています。
それなのに、例えば、右目をひとつ100万円で売ってくれって言われたら、売るでしょうか?

タダほど高いものはないって言いますが、すでに値打ちがつけられないほどの宝物を私たちはすでに持っているのです。
これほどのメカニズムのロボットは、どれだけのお金を払っても作ることは出来ません。
それだけの体を持って私たちは生きています。

それなのに、私たちは自分の体に感謝して育てるどころか、しみやそばかすやにきびがあるからといっては嘆き、太っているとかやせているとか、顔がいいとか悪いとか、背が高いとか低いとかなどの些細なことで比較し、競争し、みじめさを作り出して悩んでいるのです。

その体の奇跡に比べればそんなことなどどうでもいいことだし、そんな暇があれば、すでにそこに秘められている可能性を育てればいいだけです。

比較競争し、悩む暇があるなら、もっと自分の体を楽しみ、この芝生を手入れして、青くすることをすればいいだけなのです。

私たちは、自分の体の可能性に気づいていないのと同じように、自分自身でいることの可能性にも気づかないように育てられています。

常によその子や他人と比較され、期待され、常に誰か自分ではない人になるようにと言われて育ってきています。

いつも他人が自分より多く持っていること、自分よりも優れていることに気をとられ、いつも競争するように言われているうちに、自分自身であることを見失ってしまっています。

ただ自分自身であるということは価値がないように思い、自分の可能性を見いだすことを最初から諦めてしまっているのです。
最初から他人の人生を生きるように教えられているようなものです。

まず自分自身でいることが出来ない限り、自分の人生を生きることは出来ないし、人生に満足を感じることは出来ません。だって、生きているのは自分の人生ではないんですから。

では、どうすれば自分自身でいることが出来るのでしょうか?

そのためには、どうして私たちは自分自身の人生を生きていないようにされているのか、ということを知る必要があります。
それを知ることが出来れば、どうすれば自分自身でいることが出来るかがわかってきます。

なぜ自分自身を見失っているのでしょうか?
それは自分自身の中心を本来あるべきではないところに作ってしまっているからです。
つまり、にせの中心に自分を同一化して、そのにせの自分を自分だと思ってしまっているからです。

ユニティインスティチュートでは、にせの中心というのは、意識の多重構造マップの外側のサークルの層に形成されたアイデンティティのことをいいます。

つまり、外側の層にあるマインドの層に自分のアイデンティを作って、それが自分だと思ってしまっているのです。

そのマインドの層にある自分を自分だと思っている限り、その自分は競争や比較やジャッジメントの中にさらされることになり、マインドが落ち込めば自分に価値を見いだせなくなり劣等感を感じ、エゴが肥大すれば優越感の中に生きることになります。
そのようにパーソナリティを形成して、それが自分だと思ってしまっているのです。

ただ自分自身であること、そして自らの内に秘めた可能性を見いだすためには、その外側の層から、さらに内側へと入っていく必要があります。
そのための方法がハート瞑想です。

そして内側の層にある本質を見いだしたとき、さらには中心を見いだしたときに、真の自分自身でに出会っていきます。