セックスの幻想と美容整形

私たちは人生について、さまざまな幻想を持っています。

その幻想は両親や社会や、宗教や、さまざまな教育システムによってもたらされます。

幻想というのは人生についての思い込みや信じ込みでできています。

それらの人生についての幻想にもとづいて、私たちは人生を生きています。

その「幻想=思い込みや信じ込み」が変わるだけでも人生の生き方が変わってしまいます。

OSHOによると、この人生が1回しかないというのも幻想だし、セックスと生とをほとんど同じものとして考えるのも幻想だと言います。

「セックス=生きること」という思い込みがあると、セックスがなくなると生きている意味がなくなることになり、「自分を使用済みの薬きょうのように感じる」というのは、的を得た表現だと感心しました。

そんな幻想がなければ、私たちはもっと自然な、あるがままの自分であることができるのだろうと思われます。

人生についての幻想を持っていると、自分についてもさまざまな幻想を創りだそうとするのでしょう。

OSHOの講話を聞くことは、それらの幻想を落とす第一歩になっていきます。

その幻想を落とすための第一は、「自然が自分にもたらした変化はすべて深く受け容れるということだ」とOSHOは語ります。

OSHOは語ります。

東洋にはこの若年期から老年期への移行に困難を感じる女たちはいない。
古い悪魔が去っていくことで、生はもっと平和になるのだから。
実際女たちはそのことに、とほうもないよろこびを感じる。

ところで西洋人は多くの幻想のもとに生きてきた。
人生はたった一回しかないよいうのも幻想のひとつだ。
おかげでとてもやっかいな事態が生まれている。

たった一回しかない人生で、セックスが終わってしまったら、自分はもうおしまいだというわけだ。
もはや二度とチャンスはない。あとは刺激のない人生を送るだけだ。
『あなたは美しい。私は君を愛している。永遠に愛している』と言ってくれる人はもういない。

だからまず第一に、人生はたった一回しかないという幻想が問題を生み出している。

そして第二に、精神分析医やセラピストたちが別の幻想、セックスと生とをほとんど同じものとして考えるという幻想を生み出している。

あなたがセクシュアルであればあるほど、あなたはより生き生きしているというのだ。
セックスが消えはじめると、人は自分を使用済みの薬きょうのように感じはじめる。

生きていてもどうしようもないと感じるのだ。そうなると、人々はありとあらゆるおかしなことをするようになる。
フェイスリフトか、美容整形か、豊胸手術。おろかなことだ。まったくもっておろかなことだ。

人にとって、それもとりわけ女性にとっては、注目を浴びたいというのはとても大きな欲求だ。
注目は栄養になる。

誰かの注目を浴びられないと、女性はおおいに苦しむことになる。
女性が人々をひきつけるには、からだに頼るほかはない。

男は女に他の次元を許してこなかった。
著名な画家や、ダンサーや、歌手や、博識の学者になったりすることを許してこなかった。

男たちは、年老いてからでも自分の魅力を発揮できる。
人々の尊敬を集められるようなそうしたすべての次元を、女の人生とは無縁のものとしてきた。

男たちのせいで、女たちには身体しかないことになった。
そのため、女たちは自分の身体にあまりにこだわるようになり、それが執着、所有欲、そして、自分を愛する男を行かせたら彼は別の女を見つけるかもしれないという恐怖の原因になっている。

女性は人から注目されなくなると、ほとんど死んだも同然になる──
『だれも注目してくれないなら、生きる意味などどこにあるでしょう』
女性は内在的な生をもっていないのだ。

だが、ここで私のそばにいるあなたがたは、なんらかのことを学ばなければならない。

その第一は、自然が自分にもたらした変化は、すべて深く受け容れるということだ。

若さにはそれなりの美しさがある。
そして老いにもそれなりの美しさがある。
それはセクシュアルではないかもしれないが、静かに、平和に、瞑想的に生きてきた人の老年には、老年にふさわしい威厳があるだろう。

愛が起こるのは、あなたが性欲の奴隷ではなくなったときだ。
そのとき愛には美しさがある。

生が性欲の次元において変化しつつあるなら、それを受け容れるだけではなく、それをよろこばなければならない。
すべての馬鹿げたことを通り抜け、性欲による捕らわれの身から自由になったのを、よろこばなければならない。

これはたんなる条件付けの問題にすぎない。
人は生を受け容れなければならない。
ところがあなたの無意識は、あなたがすなおに生を受け容れるのを許さない。
あなたはそれとは別のものを欲している。

セックスが消えるのはまったくよいことだ。
あなたにはもっとひとりでいられるようになる。
なんのみじめさもなく、もっと至福に満ちていられるようになる。

セックスをめぐるすべてのゲームは、えんえんとつづくみじめさにほかならないのだから。
戦い、憎しみ、嫉妬、妬み。それは平和な生ではない。

平和、沈黙、至福、ひとり在ること、そして自由。
そうしたものこそが、生のほんとうの味わいを与えてくれる。

そしてはじめて、生は自分自身へと向かうものになる。
あなたは、いかなるものについても他人に乞う必要はない。
誰もあなたに至福を与えられない。
誰もあなたにエクスタシーを与えられない。

誰もあなたに不死性の自覚と、それにともなうダンスを与えられない。
あなたのハートで歌になる沈黙を、だれもあなたに与えられない」
『The Invitation』

シュンニョは語ります。

この講話を聞いてアシュラムの女性は、老若を問わずだれもが大きな衝撃を受けました。

OSHOの語ったことを自分の問題として受け取らなかった女性は、ひとりもいなかったのです。

OSHOがだれかの質問に答えるときにはいつもそうなのですが、このときも彼は、私にだけではなくすべての女性に答えたようでした。

  「OSHOと過ごしたダイヤモンドの日々」
      http://u111u.info/kBc1

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