毎日暑い日が続きますね。
もう8月の夏休みもお終いです。
考えてみると、まだ泳ぎに行っていませんでした。
なので今日は泳ぎに行こうと思います。
葉山の御用邸の脇に一色海岸があって、
そこにお気にいりの海の家があります。
幸い今日は暑くなりそうだし風もないので、
最後の泳ぐチャンスです。
それはともかく、
今日は「魂は輝きたい」ということについて。
そもそも、その魂って本当にあるのかっていう
議論はさておいて、というか、
魂があるかどうかは議論しても仕方がない、
議論できる問題でもないように思います。
というのは、それは考えることではなくって、
感じるものだからです。
「考えるな! 感じろ!」っていう、私の好きな場面があります。
私たちは学校教育で、考えることだけを教えられてきて、
感じることについては教えられてきていないってところがあります。
考えることができない問題についてまで考えようとするというか。
知能指数IQが評価の基準ですが、感じることや思いやり、
気配り(EQ)ということについてはそれほど評価の対象には
なっていません。
ところで、昨日は「魂の食べ物」っていうお話でしたが、
それはくつろぐことであったり、瞑想をすることが魂の食べ物だ
というお話でした。
それはどういうことかっていうと、別の言い方をすると、
魂はマインド(頭)にはなくて、ハートにあるっていうことです。
頭で考えるんではなく、
ハートで感じる時間を持ちなさいっていうことです。
くつろぐことが魂に滋養を与えるというのは、
何もすることなく、くつろぐことで
魂を感じるスペースができてきます。。
私たちはいつも頭で何かを考えています。
そして常に「何かをする」ことで忙しくしています。
その、「何かをする」ということから離れて、
ただくつろぐことができるようになると、
誰かのために存在するのではなく、
ただありのままに、本来の自分自身でいること
ができるようになります。
そうしたときに、何もしない、あるがままの自分自身に
くつろぐことに価値を見いだすことができるようになります。
それが瞑想です。
それをビイング(Being)っていう人もいます。
ただ、何もせず、存在するだけでよい。
そこが魂のありか(見つかる場所)を見つける方法です。
くつろぐことや瞑想することが魂の食べ物だっていうのは、
そういうときに魂を感じることができるし、それを感じる
ことでその魂が滋養が与えられるっていうことでもあります。
ハートを思い出し、Beingであること、あるがままの自分に
くつろぐことができたときに、魂を感じることも可能になっ
てくるのです。
よく、自分のやりたいことがわからない、何をしたらいいか
わからない、なんのために生きているかわからない、というのは、
いつもマインドの中だけで生きていて、自分の魂を感じることが
できなくなっているからです。
マインド(頭)はいつも表面的あことを追い求め、他の人たちの
思惑や期待や何をすべきかということでいっぱいです。
もちろんそういうマインドは社会生活では有用なツールなんですけれども、
そこに本当の自分はありませんし、魂もそこでは見つかりません。
で、その魂を感じることができたときに、
その魂の声に気づくことができるようになります。
それを「内なる声に耳を傾ける」という人もいます。
内なる声とは、自分の魂の願いです。
その魂の願いに気づいたときに、本当に自分がやりたいことや
本当の願いがわかるようになります。
その魂の願いには大きく分けて3つあります。
それは、大きくなりたい、美しくなりたい、
輝きたい、っていうことなんですね。
大きくなりたいというのは、新しいことをすることです。
何か、これまでにしたことのないような
新しいことにチャレンジすることで、
魂の器が大きくなっていくからです。
美しくなりたいというのは、魂を磨くこと。
純粋でいることです。
魂は、真善美によって磨かれます。
真実、善いこと、美しいことに
触れることで魂は磨かれます。
自分が無我夢中になっていたり、
何かに没頭しているときです。
そのとき魂の輝きを邪魔するエゴがなくなって、
純粋な魂が輝くのです。
心とは、ここでは感情のエネルギーを表します。
感情は安定を求め、不安定を嫌います。
これに対して、魂の衝動は、安定を嫌って、
嫌なことでも食べるためには仕方がないって
思いながらする仕事。
一つは、自分の好きなことに取り組んでする仕事。
自分のためにする仕事。
二つ目は、さらにもっと人の役に立つこと、
社会に貢献するに喜びを見出し、
それを使命とする仕事。
魂が輝く働き方をすることです。
魂の次元に気づくことが大切です。
なってくるのではないでしょうか?
「死がそこにある
それは絶対的に確かだ
と気づくようになったのはいいことだ
今こそあなたの内側に不死なるもの
死を超えたものを見出すときだ
瞑想のために これ以上の時は見つからない」
「あなたの永遠の存在を知ること
あなたはいつもここにいたし
いつもいるだろうと知ることは
とてつもない啓示だ
その啓示の中に 祝祭がある」
「真の友人とは
あなたにアドバイスをするのではなく
あなたが生に対して
─ その問題 そのチャレンジ その神秘に対して
─ もっと注意深くなり もっと気づき
もっと意識的になるのを助ける人だ」
「あなたの思考を
あなたの感情を見守ってごらん
すると ただ見守ることで
新しい要因 ─ 見守る者 ─
を理解するようになる
この理解こそ 内なる革命の始まりだ
あなたは見守る者であり 見守られるものではない」
「人は あらゆるものの中でも
もっとも深い恐怖
─ つまり エゴの解体
イメージの解体 人格の解体 ─
を通り抜けて初めて
恐れがなくなる
これは死だ
というのも
あなたには新しい生がそこから現れてくるのかどうか
分からないからだ」
「観照者のままでいて
起こることは何であろうと
起こるにまかせなさい
恐怖を超えていくためには
それに直面しなくてはならない
苦悩を超えるためには
それに直面しなくてはならない」
「ひとたび自己同一化が落ちたら
あなたが何とも同一化しなくなったら
あなたはたんなる観照者としてとどまる ─
「私はこれだ」とか「私はあれだ」と言うこともなく
あなたはたんなる観照者としてとどまる」
「死は偉大なレッスンを
生よりもずっと偉大なレッスンをもたらす
そして死は
非常に強烈な理解の可能性をもたらす
というのも 生は長い期間に拡散しているが
死は非常に短い間に
とても とても大きな潜在性をもってやって来るからだ」
OSHO