「あなたは何でも持っているが
自分自身を持っていない」
というのが今回のOshoのお話です。
私たちはもっと豊かに生きたいと願っています。
貧しければ、せめて生きていくためのお金を得たいと思うでしょう。
お金持ちの人たちでも、もっとお金持ちになりたいと思い、もっといろんなものが欲しいと思っているでしょう。
家や車を持っていても、もっといい家に住みたいし、もっといい車を持ちたいし、もっとおしゃれな服やもっとおいしい食べ物も食べたいし。
そのようにして、何でも手に入るようになって、はたと気がつくのです。
自分自身を持っていなかった!
いろんなものを持っている自分は、誰だろう?
でも、そのことに気づくのは、豊かになった人たちだ、とOshoは言います。
なぜなら、貧しい人たちは、まず自分の生活をなんとかするのが精一杯で、自分が誰かなんて気にかけている余裕はないからです。
マズローの欲求5段階説というのが有名です。
人には、食べる、寝るなどの本能的な欲求として「生理的欲求」がまずあって、
次に安心安全な暮らしがしたいという「安全欲求」があり、
集団に属したり仲間が欲しいという「社会的欲求」があります。
そしてそれらの外的な欲求が満たされると、次に内的な欲求として、
他人から認められて尊敬されたいという「承認欲求」があり、
最後に自分の能力を引き出し、創造的な活動がしたいという「自己実現欲求」があります。
マズローは晩年、さらに見返りも求めず、自我を超える欲求として「自己超越」の段階があるとしたようですが、いずれにしろ、人間はそれらの欲求を段階的に満たしていく必要があるようです。
Oshoは語ります。
より快適で、より贅沢に生き、
あらゆる側面で、より豊かに生きてこそ、
ある一つのことに気づく可能性が高くなる。
それは、あなたは何でも持っているが、
自分自身を持っていないということだ。
あらゆる贅沢に囲まれていて、
何も付け加えるものはないが、
だが、自分はだれなのか?
ここでOshoが言っているのは「気づく可能性が高くなる」というだけで、誰もが気づくわけでもなさそうです。
仏陀は宮殿に住んでいて、あるときはたと気づいたのでした。
自分も老い、病気になり、死ぬのだということに。
すべてを持っていても、自分を持っていなければ、死とともにすべてがなくなります。
仏陀はそのことに気づき、自分の持っているすべての物を捨てて探求の旅に出て、ついに、生まれることもなく、死ぬこともない自分を得たのです。
ビデオの最後の方で、Oshoはかなり過激な政治的発言もしていますが、Oshoが話していることの本質を理解していただければと思います。
それでは、Oshoの語りをお楽しみください。
今日はここまでとします。
えたに