死について41の答え

 

死について41の答え

死の恐怖をくつがえし、
生きる勇気をもたらす魂の実用書

 

目 次

はじめに 死神とヤヤティの物語

第1部 死は最後のタブー

1 死の挑戦を受け入れる 
2 疑いを信頼する 
3 死の三つの顔 
4 死は生のクライマックス
5 この世から自由になる 
6 質問へのOSHOの答え 

Q1 死後の生はあるのですか?   
Q2 地獄はほんとうに存在していますか? 
Q3 もし神が善であるなら、なぜ死が存在するのですか? 
Q4 死に直面するとき、何にしがみついたらいいのでしょうか…  
Q5 なぜイエスは、魂の転生の可能性について話さなかったのでしょうか… 
Q6 仏陀が神について語ろうとしなかったのは… 
Q7 仏陀は、魂は存在しないと言います。死後に残るものとは… 
Q8 輪廻転生とは何ですか? 

第2部 未知なる旅 ― 恐怖を理解し、それに直面する 

1 生まれもせず、死にもしない 
2 生きられなかった生が、死にパワーを与える 
3 生きる勇気 
4 質問へのOSHOの答え 

Q9 どうしてこんなに老いるのが怖いのでしょうか… 
Q10 死は永遠の眠りだといつも言われてきましたが… 
Q11 死の恐怖がひんぱんに、激しく強烈にやってきます… 
Q12 私は死に瀕しています… 
Q13 死は恐ろしいですが、同時に、魅力的でもあります… 

第3部 不死の発見

1 死を歓迎する 
2 意識的に死ぬための準備 
3 質問へのOSHOの答え 

Q14 私の余命は、長くても二年だそうです… 
Q15 あまりにも多くの治療法の選択肢があり… 
Q16 医者や友人や家族たちは、ありとあらゆるアドバイスをしてくれます… 
Q17 「どうして私なのか?」と、あまりにも大きな怒りがあります…  
Q18 私は戦士です。戦うこと以外何も知らないし… 
Q19 自分が知っている方法でトータルに怒りを表現していますが… 
Q20 この人生を後にすることへの途方もない悲しみに圧倒されます… 
Q21 あまりに多くの矛盾した考えや感情があります… 
Q22 人が病気の私をサポートしてくれればしてくれるほど、独りぼっちだと感じます 
Q23 私はガンとともに生きるという姿勢を取っています… 
Q24 絶えずつきまとっている恐怖と仲良くなろうとしています… 
Q25 その瞬間がやってくると、木の葉はそっとつかんだ手を離し… 
Q26 ありとあらゆる感情を生きてきたように感じて、空しいばかりです… 

4 痛みへの対処法 

❶ 痛みをあるがままに受け入れる 
❷ 痛みを見守る 
❸ 痛みと戦わない 
❹ 二度、痛みに気をとめる 
❺ 感覚のすべてを閉じる 

5 死を超えるための瞑想法 

❶ ハミング瞑想(ナーダブラーマ) 
❷ 過去を終わらせる 
❸ 呼吸を使って生と死に気づく 
❹ 自分が消えていく 
❺ 全身と脳をくつろがせる 
❻ 生と死の瞑想 
❼ 死が存在しなくなる 
❽ 死は幻想だと気づく 
❾ すべてを観照する 
❿ 死に方を学ぶ 
⓫ 身体から自由になる 
⓬ 死の恐怖を克服する 
⓭ 身体が燃えて、無我の境地に至る 
⓮ 世界が燃えて、超人の意識を知る 

第4部 別れを告げるときのために ─ ケアテイカーと遺族のための洞察 

1 大いなる啓示 
2 死とともにある 
3 質問へのOSHOの答え 

Q27 私の父はガンです。本人に知らせた方がよいですか… 
Q28 兄の死が近づいています… 何ができるでしょうか… 
Q29 祖母は死に瀕していて、とても恐がり取り乱しています… 
Q30 脳腫瘍で死を目前にしているパートナーを助けたいのですが… 
Q31 妻は重病です。私はとても無力に感じています… 
Q32 母は三十五年もの間ずっと病気がちで、この七日間は昏睡状態に… 
Q33 ガンで死に瀕している妹に愛を与え、身体のケアをすることは… 
Q34 友人の父の死が近かったとき、私もそこに居合わせて… 
Q35 死に際の人の周りで、何が起こっているのでしょうか… 
Q36 何年も養護施設に入っている母のことが、とても重荷に感じられます… 
Q37 愛する人が死んだら、私はどうあるべきなのでしょう… 
Q38 生とは何なのか、いまだに分かりません…  
Q39 妻が三年前に亡くなって以来、まったく空しくなりました… 
Q40 最近、一歳の子供を亡くしました… 
Q41 祖母の死以来、私の娘は死について尋ねています… 

あとがきに代えて ─ 純粋な空に消え去る雪のひとひら

 


はじめに 

死神とヤヤティの物語

 生は長い時間の間に拡散している ─七十年、百年の間だ。死は強烈だ、それは拡散してはいないから─それは一瞬のことなのだ。生は、百年、七十年と続かなくてはならない。それは、それほど強烈になりようがない。

死は一瞬のうちに来る。断片的ではなく、全体として。それはあまりにも強烈で、それ以上強烈なものを知ることはできない。しかし、もしあなたが恐れれば、もし死がやって来る前に逃げてしまえば、もし恐怖ゆえに無意識になれば、あなたは黄金の機会の一つ、黄金の門の一つを逃すことになる。

もし生涯にわたってあなたが事を受け入れてきていたら、死が来るとき、逃れようとがんばりもせず、受け身のまま、寛容に死を受け入れ、死の中へと入っていくだろう。もし受け身のまま、静かに、努力なしに死に入っていければ、死は消え失せる。

『ウパニシャット』には、私がつねに愛してきた古い逸話がある。

ヤヤティという偉大な王が百歳になった。さて、もう十分だった。彼はとてつもなく生きてきた。生が可能にしてくれる、ありとあらゆるものを楽しんできた。彼はその時代のもっとも偉大な王の一人だったのだ。しかし、その物語は美しい…。

死神がやって来て、ヤヤティに言った。

「準備をするがいい。お前の番だ、お前を連れに来た」

ヤヤティは偉大な戦士で、多くの戦で勝利をおさめてきていたが、死を目にすると、震え出した。

「でも、まだ早過ぎます」

「早過ぎるだって!お前は百年も生きたのだぞ。お前の子供ももう年老いてきている。長男は八十だ。これ以上何が望みなのだ?」と、死神は言った。

ヤヤティには、百人の息子がいた。百人の妻がいたからだ。彼は死神に尋ねた。

「私の頼みを聞いてくださいますか?あなたが誰かを連れていかなければならないのは分かっています。もし息子の誰かを説得できれば、私のことは後百年、放っておいて、その子を連れていってくれますか?」

死神は言った。

「他の誰かが行く気になれば、まったくかまわない。だが、それはないだろう…。お前に準備ができていないのだ。お前は父親で、誰よりも長く生きて、すべてを楽しんできた。それなのに、息子たちにどうして準備ができよう?」

ヤヤティは百人の息子を呼び寄せた。年上の息子たちは黙り込んでいた。そこには大いなる沈黙があった。誰も口を開こうとしなかった。ただ一人だけ、まだ十六歳の末っ子が立ち上がると言った。

「僕を連れていってください」

死神ですら、その子を哀れに思い、声をかけた。

「おそらくお前はあまりに無垢なのだ。九十九人の兄弟が黙ったままなのが分からないのか?

八十の奴もいれば、七十五の奴もいる。七十八のもいる。七十、六十 ─奴らは生きてきた ─しかし、誰も彼もまだ生き長らえたいと思っている。

お前ときたら、まだ全然生きていない。私でさえ、お前を連れていくのが悲しいくらいだ。考え直してみなさい」

少年は言った。

「いいえ、この状況を見て、気持ちは固まりました。悲しくなったり、気の毒に思ったりしないでください。僕は、完全な気づきとともに行きます。僕には分かるんです。もし父が百年生きたのに満足できないのなら、ここにいる意味がどこにあるでしょう? 僕がどうして満足できるでしょうか?

僕は九十九人の兄弟を見ています。誰も満足していません。だったら、どうして時間を無駄にするんです? 少なくとも僕はこうして父の役に立てる。晩年の父が、さらに百年間楽しんだらいい。でも僕はもう終わりです。誰も満足していない状況を見て、完璧に理解しました─百年生きようと、僕も満足しないでしょう。だから今日行こうと、九十年後に行こうと、かまいません。

僕を連れていってください」

死神は少年を連れていき、また百年後、戻ってきた。そしてヤヤティと言えば、相変わらずだった。「この百年も、あっという間だった。私の上の息子たちもみんな死んでしまった。だが、わしにはまだ代わりがいる。別の息子を差し出そう。どうか情けをかけておくれ」

これが続き─物語は同じように続き─千年が過ぎた。死神は、十回やって来た。そして九回は息子を連れていき、ヤヤティはさらに百年生き延びた。十回目になると、ヤヤティは言った。

「さて、私はあなたが最初に来た時と同じぐらい、不満なままですが、今回は ─いやいや、渋々ながらですが─行くことにしましよう。なぜかと言えは、頼み続けるわけにもいかないからです。それはやり過きです。

そして一つ、私にとって確かになったことがあります。もし千年経っても満足できなかったら、一万年経っても無理だということです」

それは執着なのだ。生き長らえることはできても、死という考えに打たれれば、あなたは震え出す。しかし、もし何にも執着がなければ、死はこの瞬間に来ることもできるし、あなたはそれを喜んで迎え入れるだろう。あなたは完全に行く用意ができている。

そのような人の前では、死は打ち負かされる。死は、いかなる瞬間にも、なんのためらいもなく死ぬ用意ができている人たちによってのみ打ち負かされるのだ。彼らは不死となる。彼らは覚者となる。この自由こそ、あらゆる宗教的な探求のコールだ。

執着からの解放は、死からの解放だ。執着からの解放は、生と死という車輪からの解放なのだ。執着からの解放は、あなたが普遍なる光へと参入し、それと一体となることを可能にする。

そしてそれこそが最大の祝福、究極のエクスタシーなのだ。それ以上のものは何も存在しない。あなたは家に帰り着いたのだ。

 


 

第1部

死は最後のタブー

死は存在しないと繰り返し唱えても
死を否定することはできない
死は知るべきもの、出会うべきもの、生きられるべきものだ
あなたは死となじみにならなくてはならない

 

1 死の挑戦を受け入れる

 

宗教的な問いの中心にあるのは、ほんとうのところ、神ではなく、死だ。死がなければ、宗教はまったく存在しなかっただろう。人に超越したもの、不死なるものを探求させるのは、死なのだ。

死は、ちっぽけな島を取り巻く大海のように私たちを取り巻いている。島は、いつだって水浸しになりかねない。次の瞬間は、けっして来ないかもしれない。明日は来ないかもしれないのだ。

動物たちに宗教心がないのは、死に対する気づきがないという単純な理由による。彼らは他の動物が死んでいくのを見ても、自分が死ぬとは思えない。誰かが死にゆくのを見て、「私もまた死ぬだろう」と結論づけることは、量子的飛躍なのだ。動物はそうした結論に至るほど醒めて、気づいてはいない。

そして、大多数の人間もまた、人間以下だ。「死が他のすべての人に起こっているとすれば、私も例外ではありえない」

この結論に達したとき、人はほんとうに成熟した人となる。ひとたびこの結論があなたのハートの奥深くに沈んだら、あなたの人生は二度と同じものではなくなる。

あなたは、古いやり方で生に執着し続けることはできなくなる。いずれ取り上げられてしまうのなら、そんなに所有しようとして何になる? いつか消え失せてしまうのなら、なぜしがみつき、苦しむのか? 生が永遠に続かないのなら、なぜこれほど惨めで、苦悩し、心配するのだろう? 去るものであれば、去るのだ─いつ去るのかは重要ではない。

そうなれば、時は、それほど重要ではない ─今日だろうと、明日だろうと、あさってだろうと。しかし生は、あなたの手から滑り落ちていく。

あなたが自分もまた死ぬ、自分の死は絶対に確実だと気づく日には ……実のところ、生において唯一確実なのは、死だけだ。他の何も、それほど絶対的に確実ではない。けれども私たちは、どうにかしてこの問い、この、死という問いを避け続ける。私たちは、他のことで自分をいっぱいにし続ける。

ときには、素晴らしいこと─神や、天国と地獄といった素晴らしいことを語ったりもするが、それはただ、この 真の ・・ 問いを避けようとしているにすぎない。真の問いとは、神ではない。それはありえない。あなたに、神とどんな面識があるというのかね? 神について、何を知っているのかね? 

あなたにとって絶対的に未知なものを、どうしたら問うことができる? それは空虚な問いになるだろう。それはせいぜい好奇心でしかない。それは青臭い、子供じみた、愚かなものになるだろう。

愚かな人々は神について尋ね、知性のある人は死について尋ねる。神について尋ね続ける人々は、けっして神を見出さないが、死について尋ねる人は、神を見出すことになる─あなたを変容するもの、あなたのヴィジョンを変えるのは、死だからだ。あなたの意識は研ぎ澄まされる。

あなたは真実の問い、真正な問い、人生においてもっとも大切な問いを呼び起こしたからだ。あなたは大いなる挑戦を生み出したために、もはや長くは眠ったままではいられない。あなたは目覚めなくてはならなくなる。死という現実に向き合うに足るほど、醒めていなくてはならなくなる。

ゴータマ・ブッダの探求は、こうして始まった。

仏陀が生まれた日 ……仏陀は偉大な王の息子、しかも一人息子だった。彼が生まれたとき、王は年をとり、とても老いてきていたので、王国は大きな喜びに包まれた。民衆は長い間待ち望んでいた。王は人々に非常に愛されていた。王は民衆に仕え、優しく、慈悲にあふれていた。とても愛に満ち、とても気前がよかった。彼は自分の王国を、その当時のもっとも豊かで、もっとも素晴らしい国にしていたのだ。

民衆は、王に息子が生まれるようにと祈っていた。後継ぎがいなかったからだ。そして、仏陀は王が非常に年老いてから生まれた ─彼の誕生は予期しないものだった。大きな祝祭が催され、その喜びはとても大きなものだった! 仏陀について予言するため、王国の、ありとあらゆる占星術師たちが集った。

彼の名前はシッダールタだった─この名が彼に与えられたのは、シッダールタが成就を意味するからだ。王は満足だった。彼の願望が満たされ、彼のもっとも深い憧れが成就したのだ─彼は息子が欲しかった。一生の間、息子を待ち望んでいたために、その名前はシッダールタとなった。それは、もっとも深い願望の成就を意味する。

この息子は、王の生を意味深いもの、意義のあるものにした。占星術師たち、偉大な占星術師たちは予言した─誰もが合意した。コダンナという、たった一人の若い占星術師を除いては。 

 「私の息子の生に、いったい何が起こるのか?」と王が尋ねると、占星術師はそろって二本の指を立てた。ただ一人コダンナを除いては。彼は指を一本しか立てなかった。王は尋ねた。「シンボルで話すのはやめてもらいたい ─私は単純な人間なのだ。占星術のことは分からない。二本指は、何を意味する?」

「彼はチャクラバルティン ─世を統べる者 ―になるか、世を捨ててブッダ、光明を得た人になるかのどちらかです。この二つの可能性があるので、私たちは二本、指を立てたのです」占星術師たちは口をそろえて言った。王は、世を捨てるという二番目の可能性を心配した。「そうなれば、また問題だ。この子が世を捨てたら、誰が私の王国を継ぐというのか?」

そして、コダンナに尋ねた。「お前は、なぜ一本しか指を立てなかったのかね?」コダンナは言った。「彼が世を捨てるのは、確実だからです ─彼はブッダ、光明を得た人、目覚めた人になるでしょう」コダンナの発言は、王には気に食わなかった。真実とは、非常に受け入れがたいものだ。王はコダンナを無視した。

コダンナはまったく報われなかった─真実は、この世では報われない。それどころか、真実は千と一つの方法で罰せられる。実際、コダンナの名声は、その日以来地に堕ちてしまった。王に報いられなかったために、彼は愚か者だという噂が広がったからだ。他の占星術師たちがそろって同意しているのに、同意しなかったのは彼だけだった。

王は、他の占星術師たちに聞いた。「どんな提案がある? あの子が世を捨てないためには、何をすべきだろう? 私は彼に、乞食になってもらいたくはない。彼がサニヤシンになるのを見たくはない。私は彼にチャクラバルティン、この六つの国すべてを統治する者になってもらいたいのだ」

親なら誰でも持つ野心だ。誰が自分の息子や娘に世を捨てて山にこもり、自分の内面に入って、自己を探求してもらいたいと思うだろう?

私たちの欲望は、外に向かう。王は、他のあらゆる人々と同じように平凡な人 ─同じ欲望、同じ野望を持った平凡な人だった。

占星術師は言った。「手はずを整えたらいいでしょう。できる限りの快楽を与え、人として可能な限り、安楽に、贅沢にさせておくのです。病や老い、とくに死については知らせないように。死については知らないままにしておくのです。そうすれば彼は、けっして世を捨てはしないでしょう」

ある意味で、彼らは正しかった。死こそ、核心となる問いだからだ。ひとたびその問いがハートにやって来れば、あなたの生き方は変わらざるをえない。もはや愚かで古くさい生き方を続けることはできなくなる。

もし死で終わるものなら、この生は真の生ではありえず、幻に違いない。もしそれが真実ならば、永遠であるはずだ─嘘だけが、つかの間のものだからだ。もしこの生がつかの間のものであれば、それは幻であり、偽り、思い違い、誤解であり、どこか無知に根づいているに違いない。私たちは、終わりを迎えるようなやり方で生きているに違いない。

違う生き方をすることも可能だ。存在という永遠の流れの一部となるような生き方も、私たちにはできるのだ。死だけが、そうした根本的なシフトをもたらすことができる。

だから占星術師たちは言ったのだ。「彼には、死について知らせてはなりません」

そして王は、ありとあらゆる手はずを整えた。シッダールタのために、季節ごとに訪れる不快さを感じさせないよう、異なる場所に、異なった季節を迎える三つの宮殿を造らせた。暑い時期には、いつでも涼しい丘にある宮殿に、寒さが厳しい時期には、川に面したいつでも暖かい場所にある宮殿、というように。王は王子がどんな不快な思いもしないですむよう、ありとあらゆる配慮をした。

老人や老女は、王子が住んでいる宮殿に入ることを許されなかった ─そこには若者しかいなかった。王は、王国中からありとあらゆる若くて美しい女たちを彼の周りに集めた。王子を魅了し、魅惑し、夢の中、欲望の中に留めおくことができるように。彼のために、甘美な夢の国が作られた。

庭師は、枯れ葉は夜のうちに取り除いておくように命じられた。色褪せてしおれた花は、夜の内に取り除いておかなくてはならなかった─というのも、誰が知ろう? 枯れ葉を見れば、この葉はどうしたのかと問い始めるかもしれない。そして、死という疑問が湧き上がるかもしれない。しおれゆくバラ、花びらが落ちるのを見て、彼は尋ねるかもしれない。「このバラは、いったいどうしたのか?」

そして彼は死について思いにふけり、瞑想を始めるかもしれないのだ。

そんな風に彼は、二十九年の間、まったく死に気づかずにいた。しかし、どれほど長く避けられるだろう? 死は非常に重要な現象だ─どれほど長い間 だま し通せる? 遅かれ早かれ、彼は世に出ていかなくてはならない。

今や王は非常に年老いて、息子は世間を知らねばならなかった。そこで少しずつ彼は許されていった。しかし都のどこかの通りを彼が通るたび、老人や乞食は追い払われた。彼が通るときには、 出家者 サニヤシン も僧侶も、道を横切ることは許されなかった。

というのも、サニヤシンを見て、「これはどういうたぐいの人なのだ? なぜ彼はオレンジ色の衣をまとっているのか? 彼にいったい何が起きたのだ? なぜ彼は他の人と違って、超然として、よそよそしく見えるのだ? 彼のまなざしは違う、雰囲気は違う。彼の存在には、違った質がある。

いったいこの人に何が起きたのだ?」と聞かれかねないからだ。そしてそうなれば、放棄という問い、そして根本的には、死という問いが ……。しかしいつか、それは起こらざるをえなかった。それは避けられないことだ。

私たちも、同じことをしている。誰かが死んで、死の行列が通りかかると、母親は子供を家の中に引きずり込んで、扉を閉ざす。

この物語は非常に意味深く、象徴的で、典型的なものだ。どの親も、子供に死について知ってほしいとは思わない。たちまちのうちに、居心地の悪い質問をし始めるからだ。だからこそ、誰も行かなくてすむように、私たちは墓場を町の外に造る。

死は、核心的な事実だ。墓場は、町の真ん中に造られるべきなのだ。あらゆる人が、一日に何度もそこを通らざるをえないように。オフィスに行き、家に帰るとき、学校や大学に行き、家に帰るとき、工場に行くとき……繰り返し死について思い出させられるように。

しかし私たちは、墓場を町の外に造り、花々や木々でとても美しいものにする。私たちは死を覆い隠そうとする─特に西洋では、死はタブーだ。ちょうど、かつてはセックスがタブーだったように、今や死がタブーなのだ。

死は最後のタブーだ。

ジグムント・フロイトのような人が必要とされている ─死を世界に呼び戻すことができ、死という現象を人々にあらわにすることのできる、ジグムント・フロイトのような人が。

西洋では人が死ぬと、身体は清められ、飾り付けされ、良い香りをまとわされ、化粧が施される。いまや、こうしたあらゆる仕事をする専門家たちが存在している。そして、死んだ男の人、女の人を見れば驚くだろう─生きていたときよりもずっと生き生きしているのだからね! 化粧が施され、頬には紅がさされ、顔は輝き、穏やかで静かに眠っているかのように見える。

私たちは自分を騙している! その人を騙しているわけではない。その人はもういない。そこには誰もいない。ただ死んだ身体だけ、死体だけだ。しかし私たちは死化粧を施し、身体を花輪で飾り、美しい衣装を着せ、高価な車で彼の身体を運び、死んだ人のために行進し、感謝の意を表すことで、自分自身を騙している。

彼は生きているときにはけっして感謝されなかった。しかし、もう誰も彼を批判しようとはせず、みんなが彼を誉めたたえる。

私たちは自分を騙そうとしている。私たちはある質問が湧き上がってこないよう、死をできるだけ美しいものにしようとしている。そして、死ぬのはいつも他の誰かだという幻想の中で生き続ける ─当然のことながら、あなたはけっして自分の死を見ることはない。いつも目にするのは、人が死んでいくところだ。

論理的な結論とは─死ぬのはいつも他の人だから、なぜ悩むことがあるのか、ということだ。あなたはどうやら例外のようだ。神はあなたのために、別の法則を作ったのだ。

いいかね、誰も例外ではない。仏陀は言う、エースダンモサナンタノ ─ただ一つの法則、永遠の法則がすべてを支配していると。アリに起こることは何であれ、ゾウにも起こる。そして乞食に起こることは何であれ、皇帝にも起こる。貧しかろうと豊かであろうと、無知であろうと、知識があろうと、罪人だろうと聖者だろうと、その法は区別しない─その法は、非常に公正だ。

そして、死はとても共産主義的だ ─それは、人々を平等にする。あなたが誰だろうと気にとめはしない。死は、人名録のような、出版された本のページをめくりはしない。あなたが貧民だろうと、アレキサンダー大王だろうと、まったくおかまいなしだ。  

いつかシッダールタは気づかざるをえなかった。そして、気づいたのだ。

彼は、とある若者の祭典に出向くところだった。その祭典の開幕を告げることになっていたのだ。もちろん王子には、年に一度の若者の祭典の開幕を告げる役がふさわしい。それは美しい夜だった。王国の若者が踊り、歌い、一晩中楽しむために集まっていた。一年の始まりの日─一晩中続くお祝いだ。そしてシッダールタは、その開幕を告げることになっていた。

その道すがら、彼が目にするのを父親がずっと恐れていたものに出会った ─そうしたものに出くわしたのだ。まず、彼は病んだ人を見た。彼にとっての初めての病気の体験だ。「何が起こったのだ?」と、彼は尋ねた。

この物語はとても美しい。 御者ぎょしゃ  は嘘をつこうとしたが、身体を持たない魂が御者を乗っ取って、彼に真実を告げさせたというのだ。彼は自分の意に反して、言わざるをえなかった。「この人は病気なのです」 

そして仏陀は、すぐさま知性的な質問をした。「ならば、私もまた病気になるのか?」御者はまた嘘をつこうとしたが、神の魂、光明を得た魂、身体を持たない魂が彼にこう言わせた。「ええ」御者は首をひねった。否定したかったのに、口から出た言葉はこうだったからだ。「ええ、あなた様も病気におなりになるでしょう」

それから彼らは老人に出会った ─そして、同じ問いがなされた。それから彼らは、火葬場に運ばれる死体に出会い、同じ問いがなされ ……仏陀は死体を目にして、尋ねた。「私もまたいつか死ぬのか?」

御者は言った。「ええ、そうです。誰も例外ではありません。残念ながら、誰も例外ではないと言わねばなりません─あなた様でさえ、死んでいかれるのです」

仏陀は言った。「ならば、馬車を戻せ。ならば、若者の祭典に行っても仕方がない。私はすでに病み、すでに老い、すでに死の淵に瀕している。もし、いつか死んでいくのなら、こうしたすべてのナンセンスに─生きて、死を待つことに、何の意味がある? 

それがやって来る前に、私はけっして死ぬことのないものを知りたい。私は、不死なるものの探求に一生を捧げよう。もし、不死なるものがあるとすれば、それを探求することこそ、人生で唯一、意味のあることだ」

そして彼がこう言っている間、彼らは四番目のもの ─オレンジ色の衣をまとい、深い瞑想とともに歩むサニヤシン、僧を目にした。「この人には何が起こったのだ?」と、仏陀。

御者は言った。「これこそ、あなた様がこれからなさろうと考えておられることです。この人は死が起こるのを目にして、不死なるものの探求へと旅立ったのです」

そしてその夜、仏陀は世を捨てた。不死なるものの探求のため、真実の探求のために、家を後にしたのだ。

死は生において、もっとも重要な問いだ。そして、死の挑戦を受け入れる者たちは、途方もなく報われる。