すべてを賭けなさい
ギャンブラーになるがいい
すべてを冒険に委ねなさい!
なぜなら、次の瞬間に確実なものは
何もないからだ
だとしたら、なぜ思い煩う?
なぜ心配する?
危険をもって生きなさい
喜びをもって生きなさい
恐怖を抱かずに生きなさい
罪悪感を持たずに生きなさい
地獄に対する恐怖も
天国を求める貪欲さも
持たずに生きなさい
ただ「生きる」がいい
ゴールド・ナゲッツ Osho
「今 ここ に生きる」とは、結局こういうことなんだと思います。
だって、過去もなく、未来もないとすれば、ただ今の瞬間にすべてを賭けて生きるしかないし、すべてを冒険に委ねることになるのですから。
本当にやりたいことがあって、そのハートの思いに身を任せるとなると、危険をおかすことにもなるし、でもそれが喜びにもなります。
でも、少しでも躊躇すると、そこにさまざまな思考がやってきます。
そして、いろいろ考えているうちに、できない理由がいっぱい積み上がってきて、それに加えてまわりからのいろいろな反対がやってきて、結局や~めた、となってしまいます。
世間では思慮深いことがよいことだとされているので、大抵はやりたいと思ったことも、いろいろと検討しているうちに、なかなかできずにお蔵入りとなってしまうことが多いです。
とはいえ、私の場合は自分がどうしてもやりたいと思ったことは、さんざん迷っても、結局はやってしまうことが多いです。
失敗も多いですが、自分でやりたいと思ってやったことなので後悔はありません。
まわりも、言い出したら聞かない性格だとあきらめているようです。
4年前に、その象徴的な出来事がありました。
あるとき、突然、「何かこれまでの人生では考えられないような馬鹿げたことをやりたい」という考えがやってきたのです。
そんなとき、たまたまヨーロッパを5000キロ自転車で走るという企画があることを知って、衝動的に申し込んでしまいました。
申し込んでから、あとで冷静に考えると、誰がどうどう考えても、「それって無理!」という計画です。
ヨーロッパを自転車で5000キロ走るには、会社を1ヶ月以上ほっぽりださなければなりません。
しかも、そんな馬鹿げたことをするために?
誰もが止めるに違いありません。非難の嵐が目に見えます。
実際問題としても、ほとんどこれといった運動もしていなかったので体力的にも難しいし、自転車を長距離乗った経験もない。
考えれば考えるほど無理なことに見えてくるのですが、ハートのどこかで、この一生に一度の馬鹿げたことを「やるんだ」と決めていたのです。
ところが、スタートは6月の末からなのに、なんと3月の中旬に意識不明で救急車で病院に担ぎ込まれて、緊急手術で一命を取り留めるという事態に陥りました。
もう少し発見が送れていたら、今ごろはこの世にはいなかったでしょう。
さすがに自分でも、これは無理だと観念したので、主催者に電話で事情を話して、「行けなくなりました」と報告しました。
ところが、おどろいたことに、「せっかくだから行きましょうよ」という思いがけないお誘いの言葉が返ってきたのです。
おそらく、顔面蒼白で、死にそうな顔をして横たわっている姿を見れば、そういう言葉はなかったでしょうが、相手はそんなに深刻な状況だとは思っていなかったのでしょう。
「主催者が行ってもいいって言うんだったら、行きたい」という気持ちが再びムクムクと持ち上がってきたのです。
そこ、医師に相談したところ、「そんなに免疫が落ちている時にそんな無茶なことをしたら命は保証できません。絶対に行かないように」と言われてしまう始末。
まわりに言うと心配かけるので、できるだけ誰にもいわず、「そもそも死ぬ前に思い切り馬鹿げたことをしたい」と思ってのイベントなので、もしこれを取りやめて死んでしまったら死に切れない。
それに「一度死んだと思えば、もう怖いこともないし」というわけで、身近な人には「死んだと思ってあきらめて」という遺言を残して旅立ったのでした。
なにせもともとやせていたうえに、1週間入院して、67キロあった体重が、退院した時には50キロになっていました。
そして、体力はすっかり失われていて、帰宅しても1週間は歩くのがやっとの状態。
歩けるようになると、午前中だけ会社に顔を出して、午後は「養生のため自宅で療養」と言いながら、実は自転車に乗る練習をしていたのでした。
最初は自転車に乗るのがやっとで、初日は1キロほど自転車に乗るだけ。2日目は3キロ。3日目は5キロ、と計画的に少しずつ距離を伸ばし、出発前の最後の練習ではなんとか100キロまで走れるまでになりました。
ところがどっこい、実際には毎日150キロから200キロを走ることになるはめに。
初日はポルトガルから入り、スペインを通ってジブラルタル、ピレネー山脈を超えてフランスの地中海沿いを、モナコを通ってイタリアのローマ。アペニン山脈を超えてベニスまで行き、そこからアルプスを超えてオーストリア、ドイツを通ってスイスのチューリヒまで。
暑いときには45℃を超え、2000メートル級の峠を越える時にはまわりは雪景色で0℃。
最初の日から45℃にもなる炎天下が続き、さっそく熱射病になり、宿に着いたら一歩も歩けないような状態で、夜におにぎりを差し入れてもらって、なんとかその日を生き延びる状態が最初の1週間でした。
息も絶え絶えの毎日で、なんとか最初の1週間を乗り切ってジブラルタルに着いて、1日のデイオフがあり、ほっと一息。
そこから少しずつみんなについていくことができるようになりました。
一緒に自転車で走ったチームのみんなとそのサポートチームの人々のおかげで、毎日体力的にぎりぎりの状態で翌日に命をつなぐような日々でした。
今から思うと、それは過去も未来も考えることもできず、本当にその瞬間瞬間のぎりぎりを生き抜いていた状態でした。
だから、ただ毎日毎日が自転車に乗って走るだけという単純な日々だったのですが、あれほど毎日が充実していて、楽しかったことはありません。
楽しいというのは、後になって思えばの話で、との時には、ただ苦しい思いをしながらも、無我夢中でした。
すべてを賭け、すべてをその冒険に委ね、次の瞬間に確実なものは何もない世界。
危険をもって生き、喜びをもって生き、ただ「生きる」という世界。
そんな毎日でした。
このOshoの言葉を読んで、その時のことが蘇りました。