男と女2章まで

 

あなたの内の男と女

愛と自由を手に入れる魔法あなたの内の男と女

生まれることなく、死ぬこともなく
名前もなく、顔もない――
その存在へ

To the Presence —
nameless, faceless,
never born and never dying

“The two shores of Love -inner man & inner woman” Sagarpriya DeLong
Copyright © 2015 Sagarpriya DeLong All rights reserved

 


 輝くような知性、しなやかな感受性……それがサガプリヤさんの印象です。

 彼女との出会いは忘れがたいものです。私のなかの男と女、二つの拮抗するパートを彼女は魔法のように引き出してくれました。驚嘆するとともに、すでに知っていたことのように感じました。

 この本は、今まで漠然としたイメージはあったけれどけっして到達できないと思っていた場所へと、あなたを簡単に連れて行ってくれるでしょう! 

吉本ばなな



目  次

推薦文 -吉本ばなな 001

まえがき 013

第一章 内なる男と女 017
内なる二つの極性/人生のパートナー選択への影響/内なる男と女への10の質問
正反対の特徴を体験する/男か女、一方への偏り

第二章 体のエネルギーから明らかになる二つの人格 033
イメージを受け取る/両足のイメージ/見えない女性/ギャンブラー
レゾナンス(共鳴)、深いリラクセーション

第三章 人格と存在の違い 055
信頼と恐れ、二つの視点/人格は努力、存在は無努力/欲望というブラックホール
愛の三つのレベル

第四章 瞑想とは何か 077
変えようとする前に、あるがままを見る/自然な衝動を信頼してくつろぐ/ガイド瞑想
男性性の瞑想と女性性の瞑想/男女のための呼吸の瞑想法

第五章 仕事、関係性、瞑想 ―三つの相互依存エリア 099
両脚を見れば仕事のことがわかる/三つのエリアのつながり
一つのエリアの症状から他の二つのエリアの問題が明らかになる
動物園の飼育係か?

第六章 ペアを設定する 119
対面して、感じる/人格に表れるレゾナンス/くつろいで見守ることの大切さ
舞台上の男と女/デザインの才能

第七章 愛とは何か 145
自立の必要性/ジャッジ/経済的な基盤/結婚への期待/離婚の成功例
勇気を出して、散歩する

第八章 出会いが困難なケース 171
自己評価の低い極性/波ひとつない静かな湖/強すぎる極性
他人の靴をはくな!

第九章 仕事、お金、生存への恐れ 193
男と女、どちらが稼ぐのか/くつろいで稼ぐ
創造性は死の恐怖を消滅させる/仕事の責任をとる
彼女は整備士ではない/キッチンで自分を確かめる

第十章 過去生 223
前世のトラウマの影響/二度目のチャンス/失敗を繰り返さないために
世捨て人/他人は鏡

第十一章 対話は可能だ 243
依存を明らかにする/内なる関係性に調和を創り出す/パーティの女
しぼりかす/気づきがすべてを変える/デザインの才能

第十二章 不安は冒険 283
勇気を出してジャンプする/デザインの才能/“やり方”は内側に
自由の感覚をとぎすます

著者について 305


まえがき

最近のマーケットには「自分を知る」メソッドがびっくりするぐらいあふれています。そのなかのひとつを選ぶのは至難のわざです。ひとつひとつが目標を達成するため、これをしなさいとか、あれを練習しなさいとか提案しています。もしあなたが自分を知りたいと思っているなら、あれやこれやを試してみるでしょう。

個人的なことを話せば、私もかつては消費者としてあれやこれやを試してみたのです。確かに、自分について少しは知識が増え、一部のひっかかりが解消したのは事実です。しかし一番肝心なものは見つからず、私も他の人たちと同じように、この探求に少しうんざりし、その手のものはすべて投げ出して、まっとうな生活に立ち戻って、そこでベストを尽くすしかないと考えるようになりました。

ところが、ふとした偶然から、私はOSHOに出会ったのです。精神的なマスターは探していませんでしたが、運よく彼を見出しました。あるいは、もしかしたら彼が私を見出したのかもしれません。

彼は私に言ったのです。自分自身を知りたかったら、なにかを「する」のではなく、自分のなかに「安らぐ」ことが鍵になる、と。

彼の弟子(サニヤシン)として多くの年月を過ごし、この安らぎのプロセスを通じて発見したのは、私が探していた自己のような実体は存在せず、むしろ対極の二つのエネルギー、男性性と女性性のエネルギーが互いにダンスしながら、一緒にいることを楽しみ、想像を超えた美しい愛を作り出せるということでした。

この愛を実際に体験してみる方法を、私はこの本の中で提案しています。私は、この本で紹介する「スターサファイア・エナジーワーク」の考案者ですが、その最初のクライアントでもあります。

この本が「私」という一人称で書かれているのはそのためです。私の実験はとても個人的なものだったので、そんなふうにしか表現できないのです。この本では私自身のプロセスを個人的な逸話や回想として書いています。だれかにセッションを施しているときでさえ、私自身もその人と一緒に成長しています。

この本の中で囲み記事として取り上げられている事例が現在形で書かれているのはそのためです。あなたもその場にいて、その一部になって、その臨場感を味わってもらうためです。

内側に男性と女性、二つの 拮抗きっこう  する側面があることに気がついたとき、あなたは同時に、二人のあいだに不和があることも見出すでしょう。多くの人の内側で、二人は争い合っています。必ずしも激しい争いではありません。

私の場合だと、一方(女性)が支配的でもう一方(男性)が衰退しています。男性は事実上眠り込んでいて、女性はあらゆることを一人でやらねばならない疲れから消耗しています。

もっとよく見ていくと、これが政治的な駆け引きであることがわかります。では、どちらが勝者なのでしょうか? フリッツ・パールズ(ゲシュタルト心理学の創始者)は「負けたほうが勝ち」とよく言っていました。でもこの勝利にはあまり価値がありません。

実のところ、本当の政治はあなたの中にあるのです。外側の政治は誰の目にも見えます。国と国が互いに競争し、経済的、政治的、社会的に勝者になろうと争っています。支配が受け入れられないと戦争が起こります。

こうした戦争は各個人の奥深くで起こっていることの反映です。個人、つまりあなたや私が変わって、みんなの内側から愛の泉がわき出したら、戦争などできなくなるのです。

スターサファイア・エナジーワークは、私がサイキック・マッサージの手法によって肉体から学んだことと、真実に安らぐというOSHOの理念を応用した私自身や他の人たちの心理学的研究から学んだことから生まれてきました。

この本の中で、私は人の肉体からやってくるメッセージを感じとる方法を解説しています。そしてOSHOの弟子であることで得た多くの洞察を分かち合うつもりです。しかし、この本の内容を生かし、自分の人生や生活に役立てるために、精神的マスターが必要なわけではありません。このメソッドは誰でも普遍的に応用できます。

 私とOSHO(彼は一九九〇年に肉体を離れました)以外に、この本に寄与した人物がもう一人います。それはニティヤ・クリスティアーナ・アリエヴィです。彼女はジャーナリストとしての優れた才能を生かして、イタリア語版の編集に貢献してくれました。

スターサファイアのクラアントとして、この本が一人でも多くの人に読まれることを彼女は願っていました。私の言葉がイタリア人の読者にも気楽に読んでもらえるように、彼女は労を尽くしてくれました。

その影響は英語版にも及びました。技術的すぎる部分を削除するように、私を説得したのは彼女です。そのため、経験のない人でも章から章へと楽に読み進められるようになりましたが、このワークを学ぶ真剣な学生たちのために書かれた内容の一部を割愛せざるをえませんでした。

ニティアはこの本に軽さで貢献し、私は重さで貢献し、そしてOSHOは ……そよ風となって貢献してくれたのです。

サガプリヤ イタリア、ミラノ


 

第一章

内なる男と女

 

愛はどんな人でも興味をもつ話題です。周囲を見回すと、映画の中にも、音楽の中にも、雑誌の中にも見つかります。いつも自分でも気がつかないうちに、あなたの目は新しい恋愛小説やドラマ、映画の広告にくぎ付けになります。あるいはいつもとは言わないまでも、「運命の人」と出会ったセレブの物語に思わず目を奪われてしまいます。

早い話、だれもが愛のパワーに捕らえられてしまうのです。なぜなら、それは人に起こりうるもっとも刺激的なことだからです。男性と女性の間には磁石のような引力が働いていて、そののめり込み方は全面的であり、その中に完全に自分を失ってしまいたくなります。

あなたに愛する人がいて、その人もあなたを愛していれば、相手を自分の人生に引き止めておくためにあなたはなんだってするでしょう。もしあなたにパートナーがいなかったら、あなたがこの世で一番したいことは、その人を見つけることです!

でも異性との関係で経験を重ねていくにつれて、自分がいつもまったく同じ種類の問題に直面することに気がつきはじめます。しかしそれをどうしたらいいのかわかりません。

パートナーとうまくいっていないときは、息が詰まるような感じがします。ときどき、自分は義務を果たしているだけだ、期待を満たしているだけだと感じます。

相手を追いかけるしかない時もあります……。どのような動きが展開されても、それに伴うのは重さと自由のない感覚です。そんな瞬間、何もかも八方ふさがりに思えて、あなたは逃げ出したくなります。その関係のないところならどこへでも!

たいていパートナーとの相性が合わないからだ、選択を誤ったからだ、だからこんなに苦しいのだと私たちは考えます。そして続けて考えます。いずれそのうち自分に「ぴったり」の相手が見つかって、何もかもうまくいくだろう!

そうかもしれません。でもよく見ると、完璧なパートナーへの期待は表面的なもので、関係性の根っこはもっと深くて、あなたの無意識のなかに根を張っています。異性関係で確実に成功したいなら、そこを見るのが最善なのです。

 

内なる二つの極性

心理学者のカール・グスタフ・ユングによれば、女性はみんな無意識の心の中に男性的な人格の刻印、「原型」としての「アニムス」を持っています。この男性の人格がずっと同じままでいることはありません。女性が心理的に成長するにつれて、その特徴も成熟していきます。

同様に、男性は誰もが移り気な移ろいやすい女性的な人格、「アニマ」をもっています。この異性の人格は日常生活では必ずしも目立ちませんが、夢の中ではっきりと見えてきます。ユングはまた錬金術の研究に基づいて、誰もが内側に「太陽と月」を持っていると信じました。つまり誰もが男性と女性の側面を持っているのです。

まったく同じではありませんが、私もそれとよく似た経験をしています。ユングとはかなり異なった経路をたどって、自分の結論に達したのです。

私は、何年もの間、マッサージをするとき、相手の肉体のエネルギーから浮かんでくるイメージを超能力のようにして「見」ていました。しばらくして、その印象には二つのタイプがあって、質的に異なっていることに気づきました。

肉体の働きかける部分によっても違いますが、そのイメージには女性か男性の特徴が備わっています。しかもこれらのイメージは明確なディテールを伴っています。顔の表情、体つき、着ている衣服、過去の職歴など。

この二つの対照的な人物像、「肖像」を発見したとき、私はまだユングの見解について詳しく知りませんでした。しかし、タオやタントラの原理のような東洋哲学に親しんでいたため、肉体の深部に対極の性エネルギーが隠れていても驚きではなかったのです。

私が驚いたのは、男性と女性の特徴がとても具体的に、まるで絵に描いたように表れていることでした。

これは重要なことだからクライアントにも知ってもらおう、と私は考えました。最初のころは、自分に浮かんだイメージを伝えるだけでした。

例えば、あるイメージでは、ひとりの体格のいい女性、普段着の大柄な女性が怖い顔で誰かを指差していました。彼女は不機嫌な母親のように見えました。それに対する人格はたぶん二〇歳ぐらいの若い男性で、細くてしなやかな体つきをし、用事があって市場に出かける途中でしたが、道草するのを楽しんでいるようでした。

この二人の関係はすぐに想像がつきました。女性が支配的で、気の毒な男性はついつい彼女の指図に従ってしまうのです。しかしその当時、この二人の人格を舞台の上で生き生きと演じさせ、相互に交流させる具体的な手法を、私はまだ知らなかったのです。

もっと後になって、クライアントが自ら内なる男性性と女性性を体験する手法を見つけましたが、それは私の口から男と女のキャラクターを説明するよりずっと有益なやり方でした。

 

人生のパートナー選択への影響

やがて、内側に見つかる両極の関係は外側にあるものと同じだということがわかってきました。例えば、私自身を例にとると、私の中の男性的な部分は早い時期から学校を辞めたがっていたようです。

実際には、当時の私は自分の男性的な部分にまったく耳を傾けていなかったので、きわめて知的な道を歩み続けて、アメリカの一流大学で哲学のコースを専攻し、優秀な学生になろうと全エネルギーを注いでいました。

しかしその後、結婚するとき、一六歳で学校を退学した男性を選んだのです。そして二度目に結婚したときも同じでしたし、三度目もそうでした。どの男性もとても知的でしたが、みんな正式の教育を一六歳でやめていたのです!

自分の内なる男性についてよくわかってくると、彼は木や石や漆喰やタイルなどの家の建材に興味があり、念願の職業は大工であることがわかってきました。それだけでなく、壊れたり故障したりしたものを修理するのが得意だということも。

私は頭では自分は電球ひとつ交換できない人間だと長いこと信じてきたのです。それなのに、人生で出会った男性はみんな大工や便利屋だったし、なかには人生のある時期、修理工をしていた人さえいました!

これは私にだけ起こったことではありません。よくクライアントがこう言うのを耳にします。「私の内なる女性は妻にそっくりだよ」とか「僕のガールフレンドはまったく同じことを言っていたよ」とか。これは偶然ではありません。私たちの内側には男性と女性のエネルギーを一体化し、彼らをひとつにしたいという欲求があるのです。

男性は外側に自分に一番ふさわしい相手、つまり内なる女性によく似た人を探し求めます。女性は内なる男性の特徴を備えた人を見つけようとします。たくさんの人がいて、一〇〇人の中からたった一人の人を選ぶことができたら、あなたは間違いなく「その人」を見つけるでしょう!

とりわけ結婚すると、それがはっきりします。誰かともっと深くもっと長くつきあいたいと思うとき、あなたは相手のなかに自分の「対極の側面」を見ているのです。たぶんそれを意識していないかもしれません。その人に批判的なことさえあるでしょう。でもその人から離れようとしても、どうしても離れられないと感じます。

この一致はいつもボーイフレンドやガールフレンドに当てはまるわけではありません。しかし実際のところ、考えている以上に多くのケースで、結婚していない場合でも、パートナーはあなたの隠れた側面の鏡になっているのです。

 

内なる男と女への10の質問

その気があれば、簡単な手法をつかって、あなたの男と女の側面を今すぐ経験することができます。質問に答えていきますが、質問してくれる友人がいた方がいいでしょう。質問する人はあなたと感情的なつながりのない人にしてください。理由は以下の質問を見ていけばわかります。

奇妙に感じるかもしれませんが、あなたは片目を閉じて、開いている一方の目から話します。目は窓のようなものですから、両方のエネルギーの根っこが肉体の奥深くに隠れていても、目を通じて二つのエネルギーに触れることができるのです。

右目は男性的なエネルギーとつながり、左目は女性的なエネルギーとつながっています。

最初に右目を片手で覆います。眼鏡をかけている人は、内側にハンカチを入れてふさいでもかまいません。開いている左目から始めましょう。それは女性的なサイドです。用意はいいですか?

質問――

  1. 今だれかに見られていること、質問されていることを、どのように感じますか?
  2. 今いる部屋をどう思いますか? 
    部屋の色は好きですか、暖かいですか、寒いですか?
  3. どんな活動をすると幸せになりますか?
  4. 自分が住んでいる場所は好きですか? 
    すべての面について話してください。家やアパートの種類、室内の照明、庭(または、それがないこと)、近所の人たち、地域、国……。住む場所を変えたいですか?
  5. あなたは働いていますか?
    (この質問はこのように尋ねる必要があります。というのも、男か女の一方のサイドしか働いていないケースがあるからです)仕事をしているとしたら、そのどの部分を担当しているのですか? その仕事は好きですか、それとも別の仕事に変わりたいですか?
  6. 人生では何を優先していますか? 
    第一のもの、第二のもの、第三のもの、思いつくかぎり挙 10げてください。
  7. 日常生活に、自分の興味を追及し、創造性を発揮する十分な余裕がありますか?
  8. 誰かとつきあっているなら、それはうまくいっていますか? 
    あなたの方が先にパートナーを選んだのですか? 今でもパートナーを愛していますか?
  9. やりたくないけれどしなければならないことがありますか? 
    それをしなくてもいいなら、空いた時間で何をしますか?
  10. 聞き手の人に、他に何か言いたいことはありますか?

少し休憩をしましょう。続いて左目をふさいで、今度は右目から、つまり男性の側から話します。友人にもう一度、質問を読んでもらいます。

答えがまったく違っていることに気がつくでしょう。二つのエネルギーが異なるものを選択するのは好ましいことなのです! 一日は二四時間あるのですから、両方に自分を表現する余地を与えればいいのです。

以前、このエクササイズを友人にしたとき、彼は自分の男性サイドがもっとスポーツをしたがっていることに気がつきました。毎日の予定にサイクリングを取り入れるようになって、彼は以前よりも調子がよくなりました。

一方がもう一方の表現を許さないとき、当然のことですが、問題が生じてきます。でもそれがわかっただけでもめっけものです。何かの変化が間違いなく起こってくるからです。

とはいえ、私がここで一〇の質問を紹介するのは、何かを変えるためではなく、誰でも簡単に内なる男と女に触れることができるということを知ってもらうためなのです。

 

正反対の特徴を体験する

男女のエネルギーの違いについて、どんなことがわかるようになるのか、まだお話ししていませんでした。

男性的エネルギーは、自然な状態では外側へと向かいます。男性は外向的なのです。拡大を好み、もっともっと領土を広げようとします。触ろうとして、両手を伸ばし、その先にあるものを指先でつかもうとします。

それとは対照的に、女性的なエネルギーはその本来の性質からして、どこにも到達したくありません。女性にとって、月へ行くことは無意味なのです! 女性は内側へと向かい、静かなものを好み、安らかさを好み、ただそこにいることを好みます。

例えば、五番目の質問を見てみましょう。働いているなら、どの部分を担当していますか? 

一般的に、男性なら言うでしょう。「組織をつくり、計画を立て、実際的な問題を解決する」女性ならたいてい言うでしょう。「多くの人と関わり、耳を傾け、理屈ではなく直観で答えを見つける」これは男性と女性が同じ仕事をしている場合です。

いつもそうとはかぎりません。半分だけが仕事をし、残り半分は働いていない、ということもよくあります。また一方の極だけが働いているが、その仕事が好きではなく、ただ生活のためにやっているという場合も珍しくありません。

 

男か女、一方への偏り

男性性と女性性の違いに戻りますが、一方は世界を、活動を、騒音を好みます。もう一方は親密さ、無活動、静けさを好みます。 

二つのどちらに大きな価値が置かれるか、それは私たちの社会的な条件づけに大きく依存します。それは文化や家族によって決まるのです。

ある文化は人生の非合理な側面を重要とみなしますが、他の文化では合理的、実用的な側面が重んじられます。

歴史的に見れば、インド、日本、中国の人たちは間違いなく前者のタイプでした。美しいもの、優雅なもの、精神を高揚させるものを愛好しました。もちろん、今日では極性が変化して、彼らは以前よりお金やテクノロジーに興味をもつようになりました。

ヨーロッパやアメリカは、少なくとも歴史的に見ると、いつも物質的な豊かさ、領土を拡張することに大きな価値を見出してきました。例えば、大英帝国の植民地がそうです。そして今まさに、変化の兆しが見られます。

ですから、芸術や音楽、文学や宗教に価値を見いだす文化に生まれた人は、より女性的な視点を発達させて、含蓄のないことや、愛や精神に結びつかないことは、彼らにとっては無価値なのです。

もう一方の人は、お金やテクノロジーに価値をおく社会に生まれて、実用性がないことや、具体的でないことには価値を見出しません。

また家族が決定要因になって、一方より他方の側面が優先されることもあります。父親が何かのビジネスを経営していれば、息子は影響を受けて同じ道を歩みます。母親が音楽家なら、子どもたちは情操を高めるものを尊び、重要とみなすようにしつけられます。

これらの質問から、人生では二つのパートが平等に表現されないこともある、ということが明らかになってきます。たぶん質問に答えている時点で、あなたもそのことに気がついていたでしょう。第七の質問で、一方が十分な余裕があると答え、もう一方が十分な余裕がないと答えることもあるのです。

ほかにも考慮しなければならないことがあります。一方が長年にわたって支配的だったとき、もう一方は平等な表現への望みをすっかり失っているかもしれません。信頼と自尊心が失われると、その弱い部分は閉じてしまいます。こうしたケースでは、その閉じた部分の自発的な表現を見ることはもはやできないでしょう。でもこの状況は修復が可能です。

その修復は努力しなくても自然に起こります。

たいてい何かがうまくいっていないと感じるとき、私たちはそれを正そうとします。何かをやってみます! そして努力すればするほど、いっそう混乱が深まっていきます。

この本はまったく新しいやり方を提案しています。自分の男性と女性のエネルギーを人生のあるべき場所へと落ち着かせるのです。そうなったら、あなたの内側には愛と充足感がわいてきます。何かが果たされていないという緊張感が解消されます。なぜなら両方のパートが今までずっと欲しかったものをお互いから受け取るからです。

 


 

第二章

体のエネルギーから明らかになる二つの人格

 

身体に触れるだけで印象を得たり、「イメージを見」たりできるなんて考えにくいかもしれません。私がとても若かった、確か二三歳の頃、カリフォルニアのエサレン研究所でマッサージをしていたとき、それは自然に起こりはじめました。当初から、この精 神的 サイキック な能力に私は驚かなかったのですが、むしろ驚いたのはクライアントの方でした。自分しか知りえない情報を肉体を介して私と分かち合っているのですから。例えば、ある女性の背中にマッサージを施していたとき、子どもの頃に、彼女の飼い犬が死んだ場面が見えました。そのことを伝えると、愛犬のことを思い出して、彼女は泣きはじめました。それはこれまでずっと抑え込まれてきた涙でした。その記憶が潜在意識の中に長いこと封印されていたのでしょう。

身体に働きかける経験をさらに積んでいくと、身体のある部分は他の部分より多くのイメージを伝えることがわかりました。例えば両手や、心臓の表と裏のエリアにいっそう注意が向くようになりました。 せきつい 椎の ついこつ 骨、とりわけ尾骨はよい情報源でした。こうした場所には必ず神経の末端が集中しています。 せきちゅう 柱の棘 突起 きょくとっき 周辺の小さな経路を探っていくと、内臓と情報をやり取りしている神経に触れることができました。

マッサージを施しているときはあまり会話をしません。もちろん、クライアントが大きな声を上げたり、トラウマ的な経験とつながったときは、すぐにその人に話しかけなければいけません。しかし通常は、無言でマッサージを続けて、身体のいろいろな場所からイメージを集めます。セッションが終わる頃には、包括的で首尾一貫したメッセージを組み立ててクライアントに伝えられるようになっています。

何年かそうやってワークをしていましたが、やがて両足からやってくるイメージに強く惹きつけられるようになりました。片足をちょっと握っただけで、まるで映画のように次から次へと場面が展開していくのです。情報が積み重なっていくと、だんだん全体の筋書きがはっきりとしてきます。たいていその人物の体つきのイメージが最初にやってきます。漫画家が何枚もキャラクターの絵を描いて、最後にパラパラッとコマ送りすると、ストーリーが展開するようなものです。

脚(legそれに初めて気がついたのがいつだったのか、はっきりとは覚えていませんが、イメージは男性と女性のエネルギーからやってきていたのです。とにかく言えることは、経験を重ねていくと、右)、特に右足(foot、足首から先)が男性的なものを表し、左足が女性的なものを表す、という確信をもつようになったことです。当時、興味深いとは思いましたが、あまり重要なこととは見ていませんでした。両脚からやってくる二つの複合的なイメージに、身体の他の部分からやってくるイメージと同じ重要度しか与えていなかったのです。

その後何年も経って、カウンセリングを教えるようになり、男女関係を本格的に扱いはじめるようになって、初めてゲシュタルト・セラピーのテクニックを応用して、両脚の二つの「 キャラクター 格」に対話をさせるようになりました(そのやり方は後で説明します)。二脚の椅子を向かい合わせに置いて、一方の人格がもう一方の人格について説明し、描写し、次に交替して同じことを行います。私が誘導しなくても、この二人の人格は、私が両脚から「読み取った」のとまったく同じことを細部にわたって説明します。クライアントが内なる対話を自分で直接的に体験する方法が見つかったのは大きなことでした。何が問題の原因なのか、私が部外者として彼らに教えてあげるより、はるかにその方が有意義だったのです。

 

イメージを受け取る

あなたは疑っていませんか。「誰かの身体から超能力のような力で情報を受け取るなんてことができるのだろうか?」と。でもそれは実は難しいことではないのです。エネルギーを読み取る実験をしたければ、以下の手順に従ってください。ここでもあなたの実験台になってくれる友人、妻や夫ではない人が必要です(ガールフレンドやボーイフレンドもそのカテゴリーに含まれます!)近くにパートナーになってくれる人が見つからなかったら、またはこの部分を読み飛ばしたかったら、次のセクションに進んでもかまいません。

その手順です――

・友人に仰向けに横になってもらいます。相手がマッサージテーブルに寝ているときは、一方の側の胸の近くに立ちます。床かベッドに寝ているときは、一方の腕のできるだけ近くに座ります。

・相手が少しリラックスしたら、自分も目を閉じて、自分の内側や周囲の空間の広がりを感じます。しばらく何もしないでいます。何もしないでいて、自分の身体が呼吸とともにふくらんだり縮んだり、心臓が鼓動を続け、神経が肉体感覚を伝え続けていることを意識します。多くの人がこの空間の広がりを夜明け前の薄明りのようなものとして経験します。人によっては、それがもっと深い闇や真っ暗闇として感じられることもあります。

・この空っぽさの感覚を感じたときは、自分の内側へ入っています。この「内側の空間」の感じに触れていたければ、一番大切なことは、起こっていることに変化を望まないことです。すべてはこのままでいい、何ひとつ変わらなくていいと考えるのです。

・片手をパートナーの心臓の上でゆっくりと動かします。腕はできるだけ力を抜いておきましょう。手のひらを胸骨の一〇センチぐらい真上にかざします。このとき、手のひらに相手のエネルギーを感じたら、再び目を閉じて、自分のすぐ前にあるスクリーンを見ていると想像します。私には空白のスクリーンが見えますが、人によっては白紙やホワイトボードや黒板、または夜空のように見えるでしょう。とにかく目を凝らして、このスクリーンに何かが現れてくるのを待ちましょう。

・すぐにイメージが見えてこなくても、信頼して待ちます。誰もが視覚的な情報を得るとは限りません。ときには、スクリーンを見ていると他のことが起きる環境がつくりだされます。他の

人には聞こえない言葉や音が聞こえるかもしれません。相手の存在がなんらかの感情を呼び覚ますかもしれません。あるいは以前は気がつかなかったことがなんとなく「わかる」かもしれません。しかし多くの場合、映像と呼ぶのにふさわしい印象がやってくるでしょう。

・パートナーの胸から手を離すと、すぐにイメージは消えてしまいます。再び手を心臓の上にかざすと、同じイメージか、よく似たイメージが戻ってきます。

・ときには疑問が起こってくるでしょう。「このイメージは自分から来ているのか、相手から来ているのか?」それを知る方法があります。目を閉じてスクリーンを見ているとき、その映像の周辺にスクリーンの境目があるかどうか調べてください。境目があって、その外の空間に何もなければ、あなたはそれから分離していて、くつろいでいますから、その映像は相手から来ています。どこにも境目が見つからなければ、客観性を失って巻き込まれています。自分が感じるものに反応してしまっているのです。

・では手を離しましょう。自分のリズムで、相手の胸から離れて、お腹の方へ移動します。再び自分の中心に落ち着いたら、片手をお腹の上にかざします。へそから指の幅三本分ぐらい下がったところの上約一〇センチ上です。あなたの手はいま第二チャクラの上にありますが、このチャクラのことは後でお話しします。それは主要なエネルギー センター 枢なので、そこに手をかざすと、イメージを容易に受け取ることができます。胸でやったのと同じようにやってみましょう。

・次にお腹から手を離して、パートナーのそばにゆったりと座り、自分の中にくつろぎます。

あなたが経験するかもしれないイメージは、手を通じて入ってきたエネルギーを、あなたの マインド が解釈したものです。実際には、エネルギーはまっすぐマインドに到達するのではなくて、まず肉体の感情や感覚の中枢である心臓、太陽神経叢、腹部を通過します。何かを感じたとたんに、あなたは条件反射的に、その感覚を分類し名前をつけるようにと脳に命令します。脳はすぐに過去のすべての経験を検索して、うまくいけば、その感情をぴたりと言い当てる「恐れ」や「怒り」や「歓び」といった名前を教えてくれるでしょう。しかし、多くの場合、その感情は複雑すぎるので、マインドは何かを伝えようとしてイメージをつくります。そのメッセージを解読できるのはあなたしかいません。自分に尋ねてみましょう。「これはどういう意味なのか?」パートナーに映像の意味を尋ねてはいけません。知っているはずがないのです!

「これはどういう意味なのか?」と尋ねたとき、マインドが別のイメージを描くことがあります。

さらに尋ねてみましょう。さらにマインドが三つめのイメージを描いたら、その三つのイメージに共通したものを探せばいいのです。

このような印象を受け取ることは、新しい言語を習うようなものです。そしてどんな言語にも言えることですが、ほかの単語よりもやさしい単語があります。最初に簡単なものを覚えましょう。強い感情に結びついたものや、暖かいや寒いといった状態、好きなものや嫌いなものなどです。少し練習すれば、もっと複雑な状態もわかるようになりますが、すべてをいっぺんに習おうとしないことです。

 

両足のイメージ

胸とお腹で「リーディング」の練習をしたのは、そこが一番実習しやすい場所だったからです。次に両脚から何が読み取れるのか、二つの典型的な実例を紹介します。少なくとも私が脚に触って、自分の中にくつろいだとき、どんな情報を受け取るかわかるはずです。

 


見えない女性

マルタは長身の美しいイタリア人女性で、心理学の博士課程を終了したばかりです。最近、オランダで、とてもハードで強烈な心理学のプログラムに参加しましたが、その最終日に、足首をひどく痛めてしまい、治療と快復のためにイタリアに戻らざるをえませんでした。

マルタが私に会いに来たのは、自分の女性サイドに懸念があったからです。女性的な部分がオランダにとどまりたがらなかったと感じているのです。怪我をしたのはそのためだから、その要求を聞く方法を見つけて、それにもっと注意を与えなければいけないと。

そのリーディングです――

左足に触っても、最初のうちは何も感じません。両手に生身の肉体ではなく物体を握っている

ような感じがします。印象がまったくなく、普通なら脚のエネルギーが閉じているときに感じられる暗闇、混濁、重さすらありません。少し待っていると、ある漠然とした印象が少しずつやってきはじめます。この人物は影のように、もしかすると幽霊のようにとてもとても希薄で繊細です。この人物は見えなくなることを選んだのです。彼女がテーブルでとても存在感のある男性の隣に座っているのがぼんやりと見えます。男性は歯で骨から肉をはぎ取っています。彼女は隣の椅子に座っていますが、男性からは見えていません。彼女の肉体の輪郭はまるで空気のように希薄なのです。

この人は普段口をききません。しゃべることはできますが、しゃべるより沈黙の方が深みがあるからです。

右脚を読んでいると、五〇歳ぐらいの男性が見えます。彼はやや大柄で、白髪交じりで、太い口ひげを生やしています。そういった詳細がはっきりと見えます。 かぶと をかぶり、その下からは髪がはみ出て、腰には幅広の金属の帯を巻いて、片側には剣が下がっています。鎖 帷子 よろい くさりかたびら の鎧のようなものを着ています。任務から帰ってきたばかりのようです。夜の一〇時ぐらいです。長い架台式テーブルが置かれた食堂へ入ってきます。大多数の人は食事を終えて去った後です。薄暗くて天井の低い部屋です。

次に、その男が食事の皿とビールのジョッキを前にして荒削りの木のテーブルに座っているのが見えます。周囲にあまり人はいませんが、彼はとても話し好きです。そのしゃべり方は少し荒っぽくて言葉も不明瞭です。いくらか酔っぱらっているのかもしれません。

この男は軍事組織に属し、敵の動きを探るために偵察か諜報活動のようなことをしています。実際の戦闘には参加していませんが、味方の陣営と敵の陣営の勢力関係を調査しています。この男はうぬぼれが強いところがあり、自分の能力と職務に大きなプライドを感じています。私には根拠のない自負心に見えます。


 

以上のようなリーディングでしたが、これではピンとこないでしょうから、セッションで何が起こったのか説明しましょう。女性サイドが自分を表現しているとき、私は上品さと洗練を感じました。彼女は品がよくて、美しく、優雅なものを好みました。彼女は繊細な人でした。荒っぽいことや下品なことは好きではなかったのです。ですから最初のうちは、彼女は悲しみに暮れて、泣いていました。

男性の側は強さを、男性的な強さを好んでいました。自分は女は好きではない、と彼は言いました。弱さが好きではなかったのです。激しく厳しい経験を好みました。目を細めて、彼はこう言いました。「俺は自分に自信があるんだ。何ものも恐れない自分が好きだ。挑戦があれば徹底的に立ち向かって、たいてい俺が勝つ。それが俺にとって大事なことだ……勝つということがね」

私が驚いたのは、セッションの間、この二人の距離がどんどん縮まっていったことです。男性は心を開いて話をしました。虚勢を張っている自分が好きだということ、と同時に、自分のことで深刻になりすぎない方がいいと心得ていました。女性は「私に触らないで」という態度でしたが、セッションで明らかになってきたのは、「彼がいないと生きていけない」という深い恐れでした。彼がいない方がむしろ生きやすいと気がついたとき、彼女は人生で本当にしたいことを思い描けるようになりました。その時点で、男性はその女性の優しさ、その美しさに一度も目を向けたことがなかったことに気がつき、衝撃を受け、泣きだしました。

ですから、最後はいい終わり方だったのです。

 


ギャンブラー

 アーロンはプロのギャンブラーで、ほとんど二〇年も競馬の配当で暮らしてきました。二年前にも来たことがありました。今回再び私に会いに来たのは、前の年の冬に大勝ちして、大金を手に入れたのですが、そこで初めて大金を手にしても自分の夢を実現することはできないと気づいたからです。だから金持ちになったらやりたいと以前から思っていたことを実行に移しませんでした。

 左脚のイメージです。それは数年前に見たものと変わりません。その女性は長い毛皮のコートを着て、幅広の襟が首を包み込んでいます。コートの下に胸元が大きく開けたドレスを着て、ダイヤモンドのイヤリングをつけ、いかにもギャンブラーの妻といったいでたちです。彼女はこうした贅沢なものを欲しがっているというメッセージです。今回と二年前の違いは、毛皮のコートの輪郭がぼやけてきたことです。ときどき、見えなくなることさえあります。それが意味するのは、今では毛皮のコートがなくてもなんとかやっていけるし、それで何の問題もないということです。

 ですから私はこう推察します ――金持ちになったときにかなえたいと思っていた夢を、アーロンが実現しなかったのはいいことだ。それはもはや重要なことではないから、それでかまわないのだと。

 右脚のイメージです。熱心に書類に目を通している人物が見えます。ギャンブラーは競馬場以外の場所にいるのですが、場面が切り替わって、馬についてのデータや図表を調べて分析しています。それとも、株式市場アナリストが投資前に考えうるすべての要素をチェックしているのでしょうか。私は驚きながらこう結論づけます。この人はギャンブラーではなく、不合理なものを受け入れられない性分の人なのだと。データの山にうずもれて座りながら、結果を合理的に導き出す確実な方法があるはずだと信じています。彼は「プロの株式アナリスト」です! このフレーズをもう少し後で、セッションのなかで使って、アーロンをからかってやるつもりです。


 

レゾナンス(共鳴)、深いリラクセーション

私は何年も肉体エネルギーのリーディングをやってきて、あるときたまたま、映像よりもっと重要な情報に行き当たりました。これからそれについてお話しますが、今回はそれを実地に実験してみる必要はありません。

マッサージをしているとき、相手によって違いますが、体のいくつかの部分が私の内面に特定の感覚を引き起こすことに気がつきました。それはスクリーンに何かが見えるのとは違いました。私の中心そのものに影響が及んでいたのです。言葉にするのは難しいのですが、内側が普段よりも生き生きとしているのを感じます。この活力や生気は愛の高まりのようにも感じられたし、膨張していく感覚のようにも感じられたし、シャンペンの泡立ちのようにも感じられました。

やがてクライアントの身体のこうした部分が、私の内なる存在とつながっていることがわかってきました。そしてこのつながりに関するかぎり、外側のクライアントとこちらの私という二人の人物はもはや存在しませんでした。私たちは一人の人物だったのです。相手のなかの生き生きした感じと私のなかの生き生きした感じはひとつの現象でした。この自分のなかに感じる「 ワンネ 感」は、私が一人のときよりも豊かなものでした。その経験を説明するのに「レゾナンス(共鳴)」という言葉を使いました。この言葉を選んだのは、その経験が音楽の現象に似ていたからです。二つの音がまったく同じだと一つの音しか聞こえませんが、楽器が二つあるので響きは豊かになります。要するに、私はクライアントと音楽的な出会いをしていたのです。

今ならこの感覚を説明することができます。私たちを取り巻く「生」は川の流れのようなものですが、この川と別の目的地をもったとき、私たちは川から分離します。ゆったりとくつろいで、自己流のやり方をしようとしなければ、私たちは再びこの川と一体になります。私に内面的な拡大感をもたらすクライアントの身体の部分は、この生命の川と調和的につながっているのです。それらは深くくつろいでいます。つまりこうした身体の部分は心理的にも精神的にも健全なのです。

残念なことに、人々の身体の中に、私の内的な ビーイング 在を明るくしてくれる、この プレゼンス 在の質を見いだすことはそれほど多くはありません。しかし、誰かのなかにそれを見つけたとき、私はこのように推測します。少なくとも人生のある側面に関して、この人に何の問題もないのだなと。この身体の部分は、私の知る限りうまく機能しているのです。

うまく機能しているとは、何を意味するのでしょうか? それはレゾナンスを見つけた場所にもよります。もしそれをハートに見つけたなら、その人は愛とは何かを知っていて、呼吸とともに愛を放射しています!

太陽神経叢にレゾナンスを見つけたら、その人が他の人たちに何かを頼んだときに、他の人たちは喜んで協力するでしょう。
この人物は生まれながらの指導者です。お腹にレゾナンスが見つかったら、その人がやっている仕事は彼か彼女の自然な性向に調和しています。もっと正確に言うと、お腹のレゾナンスが告げているのは、その人が正しい瞬間に正しい場所にいるということです。くつろぐことがそこへ連れてきたのです。

レゾナンスとは川の流れに「身を任せる」能力だと理解してから、私は身体の主要なエネルギーセンターにそれを探すようになりました。これはチャクラと呼ばれ、エネルギーが多く集中している場所として、ずいぶん昔にインドで発見されました。古代の賢者たちによると、骨盤から頭頂のあいだに七つのチャクラがあって、ほかにも両手や両足にもっと小さなエネルギーセンターがあります。

私はだんだんとセッションを始める前に、クライアントのこれらのエネルギーセンターをチェックするようになりました。目を閉じて、私はスクリーンに映像を見つけるために「外」を見て、私の瞑想スペースにレゾナンスを見つけるために「内」を見ました。そうやって、その人が心理的にも精神的にも健全かどうかを一〇分以内に見分けられるようになりました。それだけでなく、もっと健康になるため、その人はどんな方向に進んだらよいかもわかるようになりました。

これらのことがすぐにできるようになると、時間に余裕が生まれて、クライアントがただ私の言葉を聞くだけでなく、真実を自分で直接体験する手伝いができるようになりました。この時点で、私はマッサージを媒介とすることをやめて、言語的な手法を開発するようになりました。その人は自分の内面に目を向けるだけで、私が見たものを見ることができるのです。

この新しい手法を「スターサファイア」と呼んでいますが、それは宝石のサファイアにちなんで名づけられました。この宝石は表面を見ただけではわかりませんが、光にかざすと六方向に光を放つ星が見えます。私にとって、人々はこれに似ています。自分の内側に予想外の輝きを秘めているのです。私の仕事は人々の前に正しい角度で鏡をかざして、彼らが自らの内なる曇りない輝きを一瞥できるようにすることです。