瞑想アート


瞑想アート

真のクリエイティビティを目覚めさす

“Re Awakening of The Art” meera (Kazue Hashimoto)
Copyright © 2017 Kazue Hashimoto All rights reserved

ミラさんについて

 私達がミラさんに初めて出会ったのは、二年前、インドのプネーでした。私達は 30年来、精神世界の欧米の本を日本語に翻訳する仕事をしていますが、当時、Oshoの本を訳していました。

 そのご縁でプネーの OSHO瞑想リゾートに勉強に行っていたのです。初めて出会ったとき、ミラさんは輝くような笑顔で私達を出迎えてくれました。彼女の明るさと、まっすぐ私達の心に飛び込んで来る率直で飾らない人柄に、私達はすぐに彼女の大ファンになりました。

 ミラさんのワークショップに一日だけ参加したのですが、絵やダンスを通してそれぞれが持つ心の枠を打ち壊して自分を解放するやり方は、実に素晴らしいものでした。それは新しい自由で創造的な世界を作り出すために、とても大切なことだと思います。

 彼女は若くして日本を飛び出し、自由奔放に思うままに生きてきた希有な女性でした。そして生きることにトータルで、まさに今に生きていて、しかも誰にもあくまでも優しく、思いやりに満ちた人でした。

2017年 10月
山川紘矢・亜希子


目  次

はじめに 7

第1章 創造性の目覚め プライマル・ペインティング 11

第2章 自由の柱 39

第3章 対極のダンス 57

第4章 水彩の中に溶け去り、ひとつになること 83

第5章 男性が女性に出会い、東洋が西洋に出会う 109

第6章 ダイナミック瞑想 135

第7章 自画像 163

第8章 内なる世界の景色 187

第9章 統合を求めて 207

第10章 名声、自由、充足 231

第11章 芸術が再び目覚めるとき 251

あとがきに代えて ~ 謝辞 ~ 269

 

はじめに

アート。それは、人が命の全体とつながりたい、命につながりそれを表現したいという渇望そのものです。

 数千年も前、どんなアートの流派が生まれるよりもずっと前に、狩りをして生きる古代の部族は、スペインのアルタミラの洞窟の壁をキャンバスとして、すばらしい感受性と正確さでバイソンなどのさまざまな動物たちを描きました。

 狩人たちのアートは、注意深く学んだ技術を駆使した作品ではありません。人間であることを表現している、純粋な祈りのようなものです。

 同じように、画家として訓練を受けていなくても、読者のみなさんは、この本を読まれながら、自分自身の表現することへの渇望を突然思い出すかもしれません。

 生きることは神秘です。

 どうすれば本当の自分に触れられるのでしょう?
 どうすれば魂の叫びが聞こえるのでしょう?
 どうすればそれを表現できるのでしょう?

 私たちは毎晩眠ります。それはほんの少しだけ死ぬことと同じ。そして毎朝、私たちは再生する……そう目を覚ますのです。

 この生と死の循環、目覚めと眠りは、自然の呼吸に過ぎません。私たちが意識することなく、自動的に繰り返される生と死の循環。これを夢と呼んでもよいのかもしれません。

 この本が語るのは、この夢からの目覚めの物語、第二の目覚めの物語です。「描く」ことを通しての再びの目覚め、その再びの目覚めの後、何があるのでしょう?

 遊びとして ……アートとして ……笑いとして ……ダンスとして、そこからクリエイティビティあふれた〝ミラスタイル〟の人生がスタートするはずです。

さぁ、一緒に始めましょう! あなたの人生を心から味わい尽くすために

ギュンター・ニチケ(ゴヴィンド)

一九三四年にベルリンで生まれ。ドイツや英国の様々な大学で建築を学び、一九六○年に東アジア(主に日本)に移住。一九六 ○年からアメリカのMIT(マサチューセッツ工科大学)やUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)で教鞭をとり「東アジア建築と都市主義」を教える。日本にてトランスという現代的技法を使うプライマルセラピーとエンカウンターを組み合わせた人生探求のためのコースを教える。

『Japanese Gardens』(日本庭園)( Koeln、1990)、『 From Shinto to Ando』(London、1993)、『The Silent Orgasm Koeln、1995)の著者。「東アジア建築と都市生活様式研究所」ディレクター。


 

第1章

創造性の目覚め 

プライマル・ペインティング

 

はじめまして。私はミラと言います。私が今いるのは「マルティバーシティー・プラザ」。インドのプネー市にあるOSHO瞑想リゾートの一角です。

OSHOは稀代の思想家として知られていますが、彼についてはまたあとで述べるとして、私はここで毎年一回のペインティング・トレーニングや、短期コースを指導していて、一年の大半を過ごす大切な場所です。

ここでは、みんなが自分なりのやり方で真剣に自己と向き合っていますが、もしそれをゲームと言うのならば、私のゲームは絵を描くこと。実は今も、一年に一回開かれるペインティング・トレーニングの参加者を迎えに行くところです。

私は、黒色のローブを着て、瞑想リゾートの中心部へと向かっていきます。さらに小道をたどると、オフィスの横幅いっぱいの窓ガラスに映る自分に気づき、一瞬立ち止まって見直します。ときどきは自分の姿を見るのもいいものですね。特にこれから六週間という長いトレーニングがスタートする前ですから。

こうして見ると、私ってけっこうワイルドかも(笑)。長くつややかな黒髪、額にかかるように切り揃えた前髪、オリーブ色の肌、輝く黒い瞳、広い小鼻、小悪魔的な唇……いかにも東洋人な顔つきをしています。

和服に身を包んだら、エレガントな芸者にもなれそうです。屈託なく微笑んだり声を上げて笑ったりするときには、日本海に面した漁村に住む少女のようにも見えます。実際私はそういう場所で生まれたのですから……。

そうしているうちに、プラザに着きました。ここは集合場所としても使われる四角い広場で、深緑の大理石が敷き詰められ、三方には小さな庭園が作られています。今日のプラザは人でいっぱいのようです。ほとんどの人はマルーン色のローブを着て、コースの待ち合わせ場所を探しています。今朝から三つのコースが始まるからです。

私のコースはヨーロッパから南米、アジアまで世界中からやってきた二十五人の参加者の他、八人のヘルパー、三人の通訳、二人のアシスタント、それに一人のリーダーがいます。

各グループの集合場所にはサインが出ていて、私のところには〝マスターペインター・トレーニング〟と書かれています。しかし英語を読み慣れない人もいて、どこに行ったら良いのか迷っているようです。カラフルな混沌に包まれた広場は、スピリチュアルな場所を目指す国際列車の駅のようです。

プラザでは訪問者がさまざまなプログラムを申し込みますが、その内容はプライマル・セラピーからヴィパッサナー、さらにはシャーマニック・ヒーリングまで多様です。短いプログラムは一日から三日間ですが、私がこれから行うペインター・トレーニング(以下ではこれをトレーニングと呼びます)のように六週間という長期プログラムもあります。

集まった人々と談笑していると、何人かが話しかけてきて、私のペインティング・プログラムにこれだけの時間とエネルギー、それにお金を費やすことにまだ迷いがあるのだと言います。

一人の人にはこう言います。「決められないのなら、入るようにはなっていないのよ」。人生ですべてが同時に手に入ることなどないのですから、もしここで誰かが私と何かすることで必要なものが得られないのなら、どこか別のところで得られるのだと信じています。

最近よく思うのは、人はクリエイティビティを脇においてしまいがちということ。人々は自己発見の冒険に乗り出そうと、この場所にやってくるのですが、それは瞑想、セラピー、秘儀的な技法、あらゆる種類のワークショップを通して行われるものと思われています。

選択肢が多すぎて、クリエイティビティはたいていリストの一番下に置かれてしまっています。まずセラピーを受けて自分を掘り下げ、自分の中にある暗い部分をのぞきこみ、痛みや恐怖を癒して、本当の自分を見つけなくちゃならない。そうしたら、いつかクリエイティブになれるかも……これが、クリエイティビティについての共通理解です。

はっきり言うと、このアプローチは間違っています。もし本当に自分の隠れた暗い部分を見たいのなら、内側にもたくさんの光が必要です。そうしてはじめて、問題に直面できます。

つまり〝クリエイティビティ〟が、自分の美しい側面をサポートしてくれてこそ、この自己発見の旅ができるのです。自分の美しい側面がサポートされると、暗い部分も喜びをもって見ることができるようになります。

ですから、まずはクリエイティブな活動から始めましょう!

あなたの内に眠るクリエイティビティは、インナーチャイルドの発見、自発性や感受性ともつながります。こういったものが発見できたら、もう自分の暗部に押しつぶされることなく、「これが見られたからこそ、成長できる」と感じることができるでしょう。

それではいざ、出発! 参加者、ヘルパー、アシスタント、みんな一緒に歩き出します。リゾートのバックゲートへと続く道を歩き、素敵な黒いピラミッド型の建物へと入ります。

このピラミッドは、数千年前に実在した神秘家のナロパの名を拝借しています。リゾートにある建物はすべて、ラオツ(老子)、クリシュナ、ジーザス(イエス)など、過去に存在した神秘家たちの名にちなんで名付けられています。

私たちは階段を上り、巨大な三方の壁がガラス窓になっている部屋に入ります。空間が広すぎて方向感覚を失ってしまうと言う人もいますが、私は大好きです。私のプログラムには広大なスペースが必要ですから、許されることなら、自分が絵を描くために、リゾートのすべてを使いたいくらいです(笑)。

いつもトレーニングの始まりは、参加者たちに円状に座ってもらい、名前、出身地、トレーニングを受けようと思った動機などを紹介してもらいます。でも、今日はプラザで大勢の人に揉まれたせいか混沌としていて、みんなのエネルギーは、まだゆっくりと座る準備ができていないようです。

ちなみに私にとって、エネルギーとは脈動であり、心臓の鼓動、さらに言えば、六週間のワークショップという帆船を動かす風です。エネルギーを正確に言葉に表すことは難しいですが、この本を読み進むにつれて、しだいにどんなものかお分かりいただけるのでは、と思っています。

話を戻すと、ピラミッドに入った参加者たちはまだ落ち着いていないので、自己紹介を始めても、ただ〝頭(マインド)〟だけで出会うことになりかねません。ちなみにマインドというのは、毎日の生活で、人と接するのに使う、精神活動の中でも観念的な表層のことです。

ですから、私は音楽コレクションの中からアップビートな曲を選んでかけます。参加者はそれに合わせて踊り始めました。このトレーニングで重要なことは、参加者がマインドからハートへ、さらに本人の深い意識レベルへ移ることなのです。これを実現するには、〝身体〟を動かすことが近道なのです。

マイクを使って、踊りながら床に触れる足の感覚に意識を向けさせます。私たちは怪我でもしない限り、足の裏や脚のことを考えたりはしません。身体を移動させる道具に過ぎないと思いがちですが、これは大きな間違いです。

足には多くの秘密があります。例えば仏教の瞑想〝ヴィパッサナー〟は、まず足を組んで目を閉じ、呼吸のリズムを見ます。次に立ち上がり、ゆっくりと歩きます。視線を地面におき、足裏が地面に着くときの足裏の感覚に意識を向けます。こうすることで瞑想者にとっての〝気づき〟あるいは意識の炎がゆっくりと育っていくのです。

かつて私は、日本舞踊を学びましたが、ここでも、足裏や背中に気づくことが大切であることに気づきました。さらには舞踊の師匠を通じて、踊りが持つスピリットを吸収しました。師匠を通じて、人が地に足を着けて、身体と根づき、目覚めるためには、ダンスが効果的な方法であることを体得したのです。

このことを参加者のみなさんに伝えたいと思い、踊りながら足だけでお互いが関わるようにと伝えます。足同士が触れあって、挨拶をして、一緒に踊るようにするのです。これはとてもシンプルですが効果的です。なぜなら知らない人同士が顔を突き合わせると、急にエネルギーが縮こまってしまうことがよくあるからです。

でも、参加者のマインドは「この人とはエクササイズをしたけど、あの人は避けたいな」なんて意見を言い始めることでしょう。でも、足で人と関わる場合、それほど個性が気にならないもので、お互いにリラックスしたままでいることができます。足とは身体の中でも本当に無垢な部分なのです。

こんな風にして数分間「あんよごっこ」をした後で、私はゆっくりと身体の他の部分に意識を向けさせます。それから「自由に踊って、アイ・コンタクトをしながらパートナーを変えましょう」と言います。

私はリーダーであり、円滑にトレーニングを進めるファシリテーターなのですが、とにかくダンスが大好きなので、みんなと出会いながら部屋中を踊ります。

「踊りを通して身体とつながるのは、自分の本当の気持ちに気付くのに役立ちます」と、私は再びマイクを取り、グループに話しかけます。「目を閉じて自分の気持ちを探しましょう。身体の動きで気持ちを表現して!」

徐々に周囲の空気が変わりはじめ、気持ちが強まり、みんなの踊りが誇張されていきます。それから目を開けて同じことを続けます。「この空間と周りで踊っている人をすべて飲み込んだら、気持ちにはどんなことが起こりますか?」

楽しそうな人もいれば、悲しそうな人もいます。中には不機嫌だったり、怒っている人もいます。これは、私たちの内側にあるごく普通の感情です。気持ちを人と分かち合おうとする人もいれば、ひとりで踊っている人もいます。

それでも時間が経つにつれて、ほとんどの人が楽しそうなムードへと変わっていきます。それには知らない人同士とは言え、音楽に身体を預けて、美しい空間で踊ることができるという部屋の雰囲気も大きく関わっています。

こうしたムードに包まれ、これらのシンプルなエクササイズをすることで、私たちはみなこの部屋に〝たどり着く〟ことができました。今、この場所に、頭も心も、感情もエネルギーも全部そろって存在しています。この状態になれば、最初のシェアリング・セッションをすんなりと始められるでしょう。

音楽を止めると、私たちは大きな輪になって座ります。私は一人ひとりの顔を見回しながら、プネーでのトレーニングがどうして特別なのかを思い直します。私は世界中でトレーニングをしていますが、この場所ほど多様な民族や文化が出会い、交わるところはないのです。

私はこれらの国々に行くまでもなく、プネーでのトレーニングを通してその国々を理解できます。参加者たちは、異なった文化や職業を持ちながらもクリエイティビティについて、互いの考えを話す場面になると、いつもなぜか同じ論点が繰り返し浮かび上がります。

しかし、このシェアリングこそが、国を超えて私たちがひとつになる助けをしてくれるのです。誰もが同じ問題と真剣に向き合おうとするのですから……。

このことをしっかりと心に留めて、私はみんなと一緒に「過去への旅」へ誘います。各々が楽な姿勢で目を閉じたら、「あなたはどんな子供でしたか?」と尋ね、幼少期に起こったクリエイティビティにまつわる出来事を思い出してもらい、その中からひとつ、辛かった記憶をみんなにシェアしてもらいます。

初めから過去を掘り下げるというのは、一般的にハードルが高いと感じられるかもしれませんが、ダンスの効果もあってか、子供時代の記憶や出来事は、みんなの口から苦も無くすらすらと出てきました。

それに参加者のみなさんは、このトレーニングのために数千キロの旅をしてきているのですから、そもそもの意欲のレベルが高いのは、当然と言えるかもしれません。

ここからは参加者の発言を見ていきましょう。まずはヴァルダンという女性がシェアをはじめました。幼少時代に母親が庭で花を摘むのを見たときの話のようです。

「母が摘んだ花はすごくきれいだったので、学校の美術の時間に、その花を一生懸命に描いたんです。でも誰もほめてくれなくて……。それに学校の先生は私の絵を一度も優秀作品として選んでくれなかったのです」

これが彼女のクリエイティビティを傷つけてしまったのでした。

それから何人かのシェアの後で、別の参加者、ディプティという台湾から来た小柄で美しい女性が話します。興味深いことに、彼女の経験は正反対のものでした。彼女の絵はいつも先生に選ばれ、教室の壁に貼られていたと言うのです。

しかし彼女は内側深いところで、自分が少しも正直でないことを感じていました。みんなに受け入れてもらい、認めてもらうためにいい子になって、〝お利口さんな絵〟を描くようになっていたのでした。

「このことで、私は自分がインチキだと感じました」彼女はやわらかく、小さな声で告白しました。

ここまでをお読みになって、あなたはどう感じましたか? 子供がどれほど傷つきやすい存在で、クリエイティブな衝動はどれほどたやすく損なわれるか、分かっていただけたと思います。

ひとりは自分の絵が決して選ばれなかったことで、もうひとりは、自分の絵が常に選ばれたことで、クリエイティビティの芽を引っ込めてしまいました。

どちらの場合も、その子の個性的な表現を伸ばす手助けでは無かったのです。ディプティもそんな状況を敏感に感じ取って、大人たちに褒められるために、先生が望む絵を描いてしまったのでしょう。

もうひとつ、話を紹介しましょう。アテネからやってきた大柄な金髪の女性アレクサンドラは、エネルギッシュで魅力にあふれています。彼女の話は最もドラマティックでした。

子供のころ、ひとり遊びが好きだった彼女は、絵の具を使って〝色と遊ぶ〟ことができたようです。しかしある日、母親の口紅の色が気になって仕方なくなり、無断で持ち出して隠してしまったのです。怒られても口紅を返さなかったアレサンドラに母親は憤然とします。

「口紅を返さないなら、絵を破ってしまうからね!」
アレクサンドラは母の言葉を信じませんでしたが、絵は目の前で全部破り捨てられてしまいました。

彼女にとってこれはあまりにもショックな事件でした。絵が破られるのを目の当たりにして、彼女の内側の〝何か〟が壊れてしまったのです。

その後も絵は描き続けたようですが、子供のときに感じた、創造の源が腹の底から湧き上がるような気持ちにつながることは、なくなってしまいました。大人になった自分に、あの〝マジカルな気持ち〟が戻ってくるのだろうかと思っているようです。

話しながら、彼女は泣き始めてしまいましたが、私は彼女の勇気に胸を打たれます。このようなシェアリングは、トレーニングの本質的な要素ですが、実際に本質に触れるのは勇気がいることなのです。

〝本当の傷〟に触れると、最初は本能的にそれを押しのけたり、忘れたふりをしたり、ときには自分から隠そうとしたりしますが、本当の傷こそが、過去を現在に蘇らせることができます。勇気を持ってその傷に触れ、昔に感じた痛みを再体験します。

心の暗い片隅に隠されたままにせず、気づきと理解の光の中に持ち込むのです。すると、傷は自然に癒され始めます。こうしない限り、クリエイティビティのエッセンスに触れることは不可能なのです。

このように本当の傷を知った参加者に対して、私はすべてを受け流してしまいわないように注意します。開いた傷口に応急処置をしたり、慰めを与えたりすれば、本当の癒しが起こる妨げになってしまいます。

アレクサンドラに対しても、ハートを開いて耳を傾ける以外は何もしません。でもそれだけで十分なのです。彼女は大人だし、自分のインナーチャイルドを支えることができます。

シェアをしているみんなの暖かい雰囲気がある限り、同情や優しい言葉は不要です。彼女は形こそ違うものの、誰でも同じような経験をしていることを知っています。

もうひとつ紹介したい話も女性のものですが、かといってグループが男子禁制なのかなんて思わないでください(笑)。参加している男性については後から紹介しますね。

物静かで美しい日本女性、サンギータと呼ばれる五十代の女性で、広島市の近郊に住んでいます。彼女がプネーの話を初めて聞いたのは、もう何年も前のことで、一度だけこのリゾートに短期間滞在したこともあったようです。

幼かったころの彼女のエピソードは鯉のぼりの絵を描くというものでした。

「まだ小さく、幼かった私には鯉のぼりの魚は全体が大きすぎて、目だけしか捉えられませんでした。なので私は魚の目だけを描きました。その時間はとても楽しく、目を描くことに没頭しました。

でも、その絵を見た先生に、『何をしているんだ! そんなものをここで教えているんじゃない!』……

私にとって、これはあまりにショックな出来事でした。それ以来、私はクリエイティビティを無くしてしまい、二度と絵を描くことができなくなってしまったのです」

さて、このようにして参加者全員がシェアを終えると、いよいよ紙を使ったトレーニングに移行します。ここで使う紙は特別なもので、少し灰色がかった白色で、分厚く、繊維を織った質感があります。

これはプネー市郊外で作られたハンドメイドの紙です。この紙に触れると、指はすぐに繊維の質感を思い出し、自分の感覚と自然につながることができるのです。

さて、トレーニングを続けます。床に積み上げられた紙を取り、私はこう言います。

「この瞬間、この紙だけがあなたにとっての世界です。あなたの人生にこの一枚の紙しかないとしたら……あなたはどうやってこの紙と関わり、何をしますか? あなたの内側でどんな感じがしますか?」

このように私がほんの少しあと押しをするだけで、参加者はこの状況の意味を自ら探求し始めます。紙を曲げてみたり、子供のような好奇心で紙を見つめたりしています。

さらに、ここでは結論を出そうとしたり、特別なことをする必要はないと注意を促します。

「あなたたちも気がついたことがあると思うの。子供はシンプルな素材があるだけで、際限なくクリエイティブでいられることに……。例えば、砂浜で遊んだことを思い出して。水と砂しかないのに、何も使わないでも何時間でも遊べるのよ」

さらに続けます。「その瞬間に子供たちはわくわくしているの。私も子供のときに、おばあちゃんに同じ話を何度もねだったものよ。話が分かっていても、子供のころの私にとって毎回が新鮮に感じたの。この感覚をあなたたちも思い出して欲しいの」

ここまで話を聞くと、紙をくしゃくしゃにし始める人もいたり、丸めてボールにしたり、ドレスの形にしようとする人が出てきます。別の人は真ん中に穴をあけて、舌をそこから突き出しました。トレーニングを行っている場には、制限の感覚も、もったいぶった感じの雰囲気もありません。

「ねえ、この紙がいくらするか知ってるの?」などという、古い記憶は脇に投げ捨てられています。

クリエイティビティについての態度を論点にするとき、グループのなかでよく出てくるのは、お金や時間、エネルギーにまつわる社会的、経済観念を持って、その価値を測ろうとする人です。クリエイティビティは、とかく時間と労力の無駄遣いと結び付けられやすいのです。

「現実的じゃないね。目的が見えないものに、せっかく稼いだお金をドブに捨てるようなものだよ。何の役にも立たない」といったように……。しかし、私たちがここで創り出した無邪気とも言える雰囲気は、経済観念とは無縁なものです。

さらに、いよいよこの〝実験〟を一歩進め、互いに誘い合って一緒に遊ぶ段階にきました。すると、エネルギーはみるみるうちに上昇し、この場所はすぐに巨大な保育園のようになりました。

部屋の片隅で、日本人の男性がイタリア人女性の足元に紙を置く様子が目に飛び込んできます。男性はその子に「紙をマットのように踏んづけて」と言うのです。

彼女はにっこり笑ってその上に乗っかり、楽しそうに踊り始めます。男性はもう一枚紙を取って、マットをもうひとつ作ります。彼女はその上に飛び移ります。一枚、一枚と、ますます速く男性は彼女を部屋中に連れて回ります。

ふたりが繰り広げるこのゲームは、とても素敵でした。女の子が踊り、男性が彼女のために道を作っていく……。

こんな調子で、この瞬間、人々はくつろぎ、自発的に、心に浮かぶままに創り出していきます。意識しないうちに、クリエイティブなプロセスそのものへの鍵を手にしています。

もちろん、最初はそれが簡単には思えません。紙一枚だけで? ほかに何も使わずにだって? 幼稚園でさえ、もっとサポートしてもらえるのに……。先生に言えば、ハサミやノリ、絵の具や鉛筆など、役に立ちそうなものを持ってきてくれるかもしれません。

でも、ここで与えられているのは「紙一枚」だけです。その代わりに、クリエイティビティが内側からやってくるのを感じてもらうためです。これが、私が目指していることなのです。

トレーニングが行われているスペースの雰囲気は良い感じです。参加者はお互いをそんなによく知らないのに、〝ひとつである感覚〟が生まれています。

誰かが紙をちぎり、雪のように降らせています。紙飛行機を折って飛ばしている人もいます。紙で出来た鳥や家、草を編んで作るハワイのスカート、望遠鏡、あらゆる種類の紙で出来たお面もあります。

みんなが心ゆくまで楽しんだ後で、部屋の真ん中に自分たちが創ったものを集めるように誘います。私たちはできあがった山の周りに輪になって立ちます。興奮が落ち着いたところで、私は言います。

「ほら、目の前にみんなの〝クリエイティビティ〟があるのよ。この愛おしいみんなの作品 ……

時間をかけて、味わいつくしてみて。この瞬間は、もう二度と戻ってこないものだから」

二度と戻らない瞬間というのは、本当に魅惑的です。参加者が創り出した作品のパワーに心の底からワクワクし、私はみんなのクリエイティビティに魅了されます。

もともとは四角かった紙がありとあらゆる形に生まれ変わり、それらをこうしてひとつにまとめてみると、クレイジーな建築物のようにも見えます。グループのみんなに語りかけます。

「私が子供のとき住んでいた村は雪深かったから、雪で家やいろいろなものを作っていたわ。みんなの作品を見てそのときの気持ちが蘇ってきたわ。なぜってほら、窓から入ってくる光が紙を照らして、本当に雪景色のように見えるの。

みんな今、経験して分かったでしょ? クリエイティブになるためにいろんなものは必要ないの。ハートを開けばクリエイティビティも自然に開いてくるものなのよ。だから、今、この〝入ってくる〟感じに任せて。そうしたら、このフィーリングと理解を、あっちにあるペインティング・ルームまでもっていきましょう」

さて、ペインティング・ルームのあるクリシュナ・ハウスの屋上では、参加者が座るクッション、手作りの大きな紙、絵の具とインク、絵筆、スポンジ、水が入った小さなプラスチックのバケツが置かれています。場所は四人分でひとまとめにされているので、座ると横にも前にも誰かしらの人がいることになります。

この屋上の部屋は細長い形状で、グループを左右に半分ずつに分けるように二つの大きなペインティング・エリアがあり、真ん中には、踊ったりシェアリングをしたりするスペースが設けられています。

そうそう、自分ではあまりに自然なことで書き忘れそうになりましたが、ここで絵を描くとき、立って描かないというルールがあります。座ったり、床にひざをついて描きます。

なぜだと思いますか? 人は立つとエネルギーが上昇していき、意識が頭やマインドに入り込みやすくなるのですが、先述したように描くと全身が使われて、ペインティングのプロセスが有機的になりやすくなるのです。

私もかつては立って絵を描いていましたが、この方法に変えてからは、一度も立って絵を描いたことはありません。

まず、みんなに座る場所を見つけてもらい、紙や絵の具に触れる前に、目を閉じるように言います。そしてゆっくりと感覚を研ぎ澄ませながら、自分の顔に触れてみるように伝えます。絵を描くことを教えるはずなのに、指で自分の頬をなぞっているのですから……それは不思議な光景です。

しかし、これにはちゃんとした理由があります。ぺインティングは〝ビジュアル・アート〟です。つまり、絵は目を通して映し出されたものを心が鑑賞するということで、他の感覚を一切使いません。

ですから絵を描くという活動は、ともすると知的な側面に偏りがちで、それ以外の要素から切り離されてしまうのです。これは現代美術が路頭に迷ってしまった大きな理由でもあります。いつからか絵画は〝知性のみが創り出したもの〟になってしまったのです。

こうした現実に直面した私は、絵画に自然や人間の内部にある、知性以外のものを内包するにはどうしたら良いかを考えました。

私が思う真実を言うと、人間の内側深くにある、腹の底から湧き出た絵画でない限りは、価値はないのです。

なぜなら、そうでないと、自分自身の独創性、真のクリエイティビティに触れることはないからです……。

もちろん、テクニックを使えば、誰にでも絵は描けます。これは、美術学校で教えられるやり方ですが、そういったものに頼った絵画のなかで、私が求める〝有機的な質〟を見ることはまれなのです。私はみんなに説明します。

「私は知らないという、ゼロの段階から始めてみましょう。みんな普段から鏡で自分の顔を知っていると思っているでしょう? 私の目は青いとか、鼻先はとがっていることを知っているから描写できると思っている。

でも、それを一度捨てて欲しいの。あなた方が赤ちゃんだったころ、何でもその手で触れて、口に入れて味わい、経験していったのよ。大人になった今は、意識的にこの段階に戻る必要があるの」

顔から始めて、私は頭全体を触るようにガイドします。それから頭頂部、耳、首、肩、胸、おなかに降りて、太ももから足先まで触っていきます。しばらくしてからこう言います。

「今まで触っていないところはあるかしら? セックス・センターを無視していない? そこを触るのは禁じられているのかしら?」

私がOSHOの弟子として学んだことのひとつに、セックスのエネルギーは人間が持つ力、全体の源という真実があります。これは出発点、源、命の泉として湧き出し、身体中に広がるにつれて形と性質を変えていきます。

このエネルギーが生き生きしていないと、去勢されたようになってしまいます。偉大な芸術家たちが、いつの時代でも非常にセクシャルな人々が多いのは、クリエイティビティとは性のエネルギーが溢れ出したものだからなのです。

「自分に触れることは、何も悪いことじゃないから区別しないで。頭は良くて、性器は良くない部分だなんてことはないの。幼いころは親に とが められるまでは、区別などなかった。でも、人は成長するにつれて、ゆっくりとこの無垢な感覚が奪われていく。

でも今、ここでは、みんな目を閉じている。誰もあなたを見ていないし、あなたのことを判断する人もいません。だからあなたは恐れず、自然でいられます」

こうして身体全体を触り終えたら、ゆっくりと手を身体から離します。目は閉じたままで、腕を前に伸ばします。何かに触れようとして、差し出す感じで。

「それが何なのか分からなくてもかまいません。分からずとも、ただ感じる自分でいるのです。深い切望のフィールを感じて」

これは象徴的なジェスチャーであり、一人ひとりの経験は異なるはずです。例えば、子供のころにお母さんに手を差し伸べてもいなかった。抱き上げてもらい、ぎゅっと抱きしめて欲しかったのにそうならなかった。あるいはお父さんや恋人に手を差し伸べる ……という場合もあるでしょう。

中には、自分を超えたものへの 憧憬どうけい を形にしたいというようにもっとスピリチュアルな経験をする人もいるでしょう。また別の人は、このグループの中では特に、クリエイティブでありたい、美を表現したいという切望を表すかもしれません。

いずれにせよ、手を差し伸べる姿勢によって、全員が同じフィーリングとつながります。

「このフィーリングを感じながら腕をゆっくりと下ろし、床の上にある紙に触れます」

これまで数多くの人々のトレーニングをしてきた経験から言うと、床に座り、目の前に置かれた真っ白な紙を見ながら、これから絵を描くのだと考えた瞬間、内側の何かが恐怖で凍りついてしまうものです。なぜなら、自分のクリエイティブな衝動が阻止された幼少期の出来事を思い出してしまうからです。

両親は子供にパブロ・ピカソのようになってほしいと願っていたかもしれません。もちろん絵画だけでなく、何をするにしても、優秀であることを願ったでしょう。しかし、こうした親の野心が、子供の喜びやスピリットを押しつぶしてしまうのです。

子供は親の期待に応えることなど無理だと知っています。だから多くの場合、絵を描くという考えそのものを捨ててしまうのです。

しかし、クリシュナ・ルーフの屋上で、目を閉じたまま、何かを描こうとするのでもなく、触れるという原始的な感覚を通して紙とコンタクトすると、これまでの絵を描くという行為とはまったく異なる経験になります。

目の前で波のように揺れていた手が、ゆっくりと大地へと戻っていき、紙との最初の触れ合いが起こります。

「指先で軽く触れたり、手の平で押さえつけたり、手の甲で撫でてみると、手が紙に触れる部位によって、感じ方が異なるのが分かるかしら? 右手と左手でも触れた感じは違うかもしれないわ。自然と手がある一定の動きを始めるかもしれません。円を描いたり、対角線上に手を走らせたり……」

私は紙の端っこにも触れるようにガイドします。というのも、普通はここに〝境界線〟があるからです。紙の端でひとつの世界が終わり、また別の世界が始まります。

みんなにその線を越えて探求してほしいのです。紙と床に何の違いもないように、絵画とそれを取り巻く世界全体の間も同じなのです。もしかすると、画家の内側にあるフィーリングと作品に現れる外側の表現の間にも違いはないのかもしれません。

しばらくしてから目を開けて、手の感触やフィーリングに変化が起きないかを感じてもらいます。「手を動かす速さが変わるかどうか、今感じている感覚がなくなるかどうかに気付いてください。無邪気に探求していた質が維持できるでしょうか? それとも、大人のマインドに引き戻されてしまうでしょうか?」

これはとてもデリケートな瞬間です。目を開けると、急に自意識が戻ってきて、自発的な流れが途切れてしまうことがあるからです。急に自分は何をしていて、他の人が見たらどう思うだろう。今からは何をしたらいいのかと、考えてしまいます。

「自分とのつながりを失いそうに感じたら、もう一度目を閉じて。急がなくていいのよ。紙の横に何が置いてあるでしょう?絵の具やインク、絵筆やスポンジ、それに水もあります。あと、緑とか青とか、色に名前を付けないで。それにこの色は好きでこれは嫌いだなんて、考えなくていいの。容器を開けて、材料に触れて、ただその感覚を探求してみて」

ちなみに小さなプラスチックの容器に入れたアクリル絵の具がひとりに十二色、ビンに入ったインクが五色用意されています。

ここで、私がペイティングのための材料をどうやって選んでいるか説明しておきましょう。アクリルは合成絵の具で、乾くと完全に固定されます。水彩絵の具は乾いても濡らせば取り除けますが、アクリル絵の具ではそうはいきません。

そこがこのトレーニングで使うと面白いのです。前に進むことしかできないので、画家にとっては大いなる励ましになるのです。アクリルの絵の具は人生にも似ていますね。巻き戻しボタンはありません。未来へ向かって進むしかなく、過去に戻れないのです。

それにアクリル絵の具はビギナー向けの良い画材でもあります。描いたものの上に何度でも塗り重ねることができるので、新しい形をつくったり、変化させたりもできます。それにトレーニングで使う紙は厚くて強いので、絵の具の重さで破れることもありません。

さらにアクリルに加えて使用するカラーインクは鮮やかな色味と透明感という二つの特質を持っているので、アクリル絵の具の上にこのインクを散らしても、下の色が透けます。カラーインクは絵に深みを与えて、ムードを生み出します。これらの画材は、私たちの感受性を開く力を持っています。

みんなに紙の上で、アクリルとインクで遊ぶように誘いますが、一度に全部を使わないようにと付け加えます。全色を使わねばならないと思った瞬間、またもや何をしたらいいのか、どのように組み合わせたらいいのか……という類の考えに囚われてしまうからです。

そのため、みんなにできるだけ楽なステップで進んでほしいのです。

「あなたが本当に惹きつけられる色をひとつ選んで、その色とつながってみましょう。好きなやり方でかまいません。どんなやり方でもいいから、紙の上にその色をぬりましょう。絵筆でもスポンジでもいいし、指や足を使ってもいいのよ」

一色だけならずいぶんと安心できますし、好きな色であれば、なおさら親近感が抱きやすいでしょう。

自分の経験から言うと、紙の上にまず好きな色を塗ると、身体の中にある記憶のようなものが動き始めます。次の色は自然にやってきます。それは考えた末のものではなく、ちょうど最初の色に対する応答のようにやってきます。これは細胞の記憶のようなもので、頭ではなくて本能で描きます。

数分後に、みんなに止めるように言います。そして、目を閉じて内側に入り、朝から一緒に創ってきた子供心を持ったスペースにつながるように促します。「このつながりを失いそうに感じたら、いつでも止まって、内側に入って、そしてつながりなおして」

私は参加者に対して、ある一定の描き方、ある種の構成の仕方やテクニックを使うようにはガイドしません。そうではなくて、切望の感覚、特に美に対する切望、あこがれの感覚につながるように促します。

未熟で、絵の才能がなくても、誰でも自分の人生において何らかの美を表現したいと思っています。私はその気持ちをサポートし、励ましたいのです。

何かしたいというクリエイティブな衝動を感じている、何ものにも制限されたくない内側の〝無垢な子供〟をサポートすること。これが、私が行っている絵画へのアプローチの第一段階です。

この衝動が満足したときに初めて、子供は体系や指針を受け入れる準備ができるのです。ですから、私のトレーニングの最初のセクションを〝プライマル・ペインティング(原初絵画)〟と呼ぶのです。

このセッションは、子供時代の無邪気さに戻り、失われた衝動と再びつながり、再出発することを目指しています。

このやり方で絵を描くように誘われると、まず手始めにという感じで、家や木、兎や猫、風景、太陽、月、星というような「対象物」を描く人がほとんどです。これはごく自然なことですが、それと同時に制限されていることに気付かされます。

なぜなら物体を描くと、自分のクリエイティビティが特定の形に押し込められてしまうからです。こうなると、描き続けるのが難しくなります。それに対して、動きを楽しみ、色と戯れ、形を持たない抽象のままにしておくと、柔軟で制限のない状態を生み出してくれます。

ここで私は少し身を引いてクッションに座り、くつろげるアップビートな曲をかけ、三十分程度自由に楽しんでもらいます。まだゲームの初期段階なので、これくらいの時間が限界です。これ以上長いと、知らないうちに〝頭(マインド)〟に戻ってしまいかねません。

私は静かにまわりを歩き、絵を見ることで、みんながこの段階でどのような状態にいるのか、どの方向に向かおうとしていて、自分のクリエイティビティをどう探求しているのかを観察します。

部屋の雰囲気は、みなが夢中になって絵画に集中しています。私にはこれまでに多くのトレーニングをリードしながら得た、第六感がありますが、全員が同じエネルギーの波に乗っていると感じられます。

取り残されていたり、フラストレーションを感じたり、ボーっとしたり、落ち着きを失ったり、途方に暮れている人はいません。

これから始まる長い旅のスタートとしては上出来です。ここまで、少しずつステップを積み重ねることで、絵画への新しいアプローチの入り口に私たちはたどり着いたのです。 

さあ! 私が冒頭でも語った〝革命〟の始まりです。これから先に多くのステップが待っています。そして私に課されたチャレンジは、このトレーニングの意味、さらには現在の美術の世界に対して持ちうる影響力を、読者であるあなたとシェアすることです。

これまでに私が発見したことの意味を残さずに、言葉で表現しきれるかどうかは、この本を書き終えて、初めて分かることでしょう。

この瞬間は未知のベールに包まれています。しかし、アクリル絵の具で絵を描くときのように、後戻りすることはできません。人生のように、巻き戻しボタンはありません。一歩ずつ前に進むしかないのです!