「コンパッション」の立ち読みコーナー

コンパッション

慈悲心を持つ勇気が人生を変える

目 次

まえがき スタンフォード大学心理学者スティーヴン・マーフィ重松 010
はじめに 015

P A R T Ⅰ  コンパッ ションが大切な理由 

第一章 幸せの隠し玉:コンパッション 036
つながるために生まれた 039
我は他者なり 041
研究が示す展望 044
コンパッションの恩恵 046
思いやりを受け取る 048
ヘルパーズ・ハイ 050
コンパッションが大きいほど目的意識が高い 052
コンパッションが大きいほどストレスは少ない 053
孤独の解毒剤 055
思いやりは伝染する 058
もう少しの辛抱 060

第二章自己受容のカギ:自分に向けるコンパッション 066
自分への思いやりとは異なるもの 067
自分への思いやり不足の高い代償 078
自分への思いやりのメリット 082
 エネルギーをチャージする
 現実的なゴール設定をする
 経験から学ぶ
 孤独からの解放
「親切で、幸せでいてね」 084
結びつきという原点 087

第三章 怖れから勇気へ:抵抗を乗り越える 090
コンパッションという勇気 091
コンパッションが怖い 098
プライド〈偽りの鎧〉 104
親切の文化 105
抵抗を手放す 106
コンパッションの筋トレ :スタンフォード大学のコンパッション・トレーニング 109

P A R T Ⅱ  マインド 識と ハート の訓練

第四章 コンパッションから行動へ:意図を動機に変える 114
四無量心 115
明確な意図の設定 119
エクササイズ:意図を設定する 121
経験を捧げる 123
エクササイズ:献身する 024
意図と献身の利点 126
どのように意図が動機となるのか 131

第五章 コンパッションへと向かう道:意識を集中することで軌道に乗る 138
上の空(彷徨う心):脳のデフォルトモード? 139
心を鎮める 143
エクササイズ:深い呼吸 145
エクササイズ:広大な心 148
思考を集中させる 149
エクササイズ:マインドフルな呼吸による集中 151
エクササイズ:イメージを使った意識の集中 156
メタ認知の強化 159
エクササイズ:メタ認知 160

第六章 不自由からの解放:自己中心の牢獄から脱出する 166
毎日を開かれた心で生きる 168
慈愛&慈悲の瞑想を通じて心を解放する 173
エクササイズ:慈愛瞑想 176
エクササイズ:慈悲瞑想 179
沈黙の訓練のパワフルな成果 181
慈愛&慈悲には願望以上の効果がある 185
結びつきへの原点回帰 187

第七章 「私が幸せでありますように」:自分自身をいたわる 190
自分への思いやりと愛着の方式 191
苦しみと共にいる練習 193
自分への赦しを育む 198
エクササイズ:自分を赦す 200
自己受容 202
エクササイズ:自分を受け入れる 204
自分への親切 206
エクササイズ:自分への親切 207
自分への慈愛 211
心の泉を満たす 213

第八章 「私と同じように」:気づかいの輪を拡げる 216
親近感がもたらすパワー 220
同朋意識を育成する 223
エクササイズ:同朋意識を育成する 224
他者への感謝を育む 229
エクササイズ:他の人に感謝する 231
気づかいの輪を拡大する 232
エクササイズ:気づかいの輪を拡大する 233
より積極的なコンパッションのためにハートを整える 237
エクササイズ:ハートを整えるトンレン 242

P A R T Ⅲ 新しい生き方

第九章 さらなる幸福へ:コンパッションの力でより健康で強くなる方法 248
心の幸福をもたらすコンパッション・トレーニング 250
慈悲深い人は立ち直りが早い人 253
コンパッション・トレーニングと感情の調整 258
倫理意識の錨を下ろす 261

第十章 勇気が増すほどストレスが減少し、自由が拡大する:慈悲心を基本姿勢にする 266
日常生活の中のコンパッション 269
個人変容のセオリー 271
見る、感じる、行動する 274
意識が変わると、感じ方も変わる 278
世界とのかかわり方 280
フィーリングから本質的な在り方へ 283

第十一章 ひとつであることのパワー:世界をコンパッションで満たすために 286
医療制度とコンパッション 287
子供たちの教育を見直す 291
優しい職場、優しい経済 297
「一風変わった会社」 301
社会に正義とコンパッションを浸透させる 304

謝辞 310
NOTES 注釈 314


序文

他を思いやる勇気が人生を変える

スタンフォード大学心理学者 
スティーブン・マーフィー重松

「スタンフォード大学 マインドフルネス教室」「ハートフルネス スタンフォードの心理学授業」の著者

 日本の読者の方々に向けて、本書をご紹介できることをうれしく思います。いま世界はどの時代にも増して、この素晴らしい本に書かれた学びの数々を必要としていると感じます。私たちには人生を変えるための勇気が備わっていて、それを可能にするのがコンパッションだとジンパは示しました。

 コンパッションは、日本語で「慈悲」という仏教用語に訳され、一般的には「思いやり」と呼ばれます。Compassionという英単語の語源はラテン語で、「ともに苦しむ」という意味です。つまりこれは人や苦しみに対して示される「優しい」という言葉と同義語です。本書の副題にあるように、他を思いやるには勇気が必要です。「勇気」という言葉はラテン語では「心臓」を意味し、勇気は思考する脳ではなく感じる心から見出さなくてはならないということがわかります。

 今日の世界は危険極まりなく、多くの人々は恐怖に囚われ、社会に背を向けて安全な場所へと逃げ込んでいます。しかし他人との接触を避け、自室に引きこもっていては自分らしい生き方も愛も享受できません。ジンパの教えは私たちが怖れを直視し、乗り越えることを可能にし、もっと優しくなれるように導いてくれます。思いやりが生来備わっている、本来の自分自身に立ち返ることで、私たちは勇気をもって、怖れではなく愛を選択できるのです。

 コンパッションの実践はたやすいものではなく、勇気が要るとジンパは説きます。他者が直面するトラブルや苦しみに自分の心を開くには、感じやすい心が必要です。他者の苦しみにかかわることで自分も傷つくことへの怖れを乗り越えなくてはなりません。コンパッションを示すには、自分や宇宙を信頼し、鎧(よろい)を脱ぎ捨てて相手のほうに歩み寄って行く勇気が不可欠です。

 その一方でコンパッションは勇気を生みます。他者を思いやることで、人は怖れから解放され、勇敢になります。関心を自分の外に向けることで視野が拡がり、自分の悩みは相対的に小さくなり、しかもありふれた問題だと気づきます。怖れていた相手が自分と同じ人間で、敵ではないとわかった時、人は強くなるのです。

 私の著書同様、ジンパの本書もマインドフルネスをベースとしていますが、これは幸福に至る道として広く知られるようになりました。この認識は宗教的・科学的根拠に裏付けられています。幸福を実現するにあたり、次に目指すべきはメンタルヘルス・教育・職業の各分野でコンパッションを中心に据えることだとジンパは提案します。

 ジンパも私も目指すテーマは同じで、私が主唱する「ハートフルネス」とはマインドフルネスにコンパッションと責任を加えた、マインドフルネスの発展形です。ハートフルネスは、マインドフルネスで得られる個々人の幸福からより広い領域へと誘い、個人、組織、そして世界全体の変容を促すものです。

 私たちが住む世界は今大きな危機に瀕していて、私たち自身とこの惑星を救う唯一の手段がコンパッションなのだと、ジンパと私は考えています。ジンパの幅広い知識は僧侶としての豊かな経歴のみならず、社会科学分野の高等教育の賜物です。ジンパは人々の日常に起きる苦境を乗り越え、よりよく生きるためのツールを、伝統仏教と最新の心理学の両方から提示します。コンパッションの実践により、それを受けた相手も私たち自身も幸せになれることを、宗教と科学がともに立証しています。

 思いやりのある行動をする時、そこには目的が生まれます。それは私たちの重い心、そして私たちと触れ合った人々の心を軽くします。勇敢な心は、誰しもが等しく抱える弱さという真実、とりわけ世界中で猛威を振るった疫病蔓延のさなかにこそ痛感させられる、人の脆弱(ぜいじゃく)さを優しく受け止めます。それはこの惑星で人として生きることの苦難と喜びの両方に開かれた心を育て、この世界でコンパッションを実践する勇気を育みます。

 最近日本で開催した私のワークショップで、ある参加者がこんな質問をしました。「僕は他人に対してコンパッションを感じません。どうすればもっとコンパッションを持てるでしょうか?」私はこう答えました―まず最初のステップとして、もっとコンパッションを持ちたいと願うことができれば上出来だ、と。そして次にマインドフルネスを学び、実践することで自らの心とのつながりを感じ、同時に他者とも深くつながっていることに気づくこと。彼自身が変容することで、自分と周りの人々に対するコンパッションが育っていくでしょう。

 本書では、ジンパの16時間に及ぶインタラクティブなコース、「コンパッション育成トレーニング」のエクササイズや心理学研究のデータなどを通じて、包括的にコンパッションを育てる方法を提案しています。本書を読み誘導瞑想エクササイズを実施すれば、コース受講者が得るメリットのうちいくつかが得られるでしょう。本書にはまた、このコースを受講して人生が変わった人々の証言が書かれています。

 文中に登場するジンパの祖母の話は私の祖母にとてもよく似ていて、特に心に残りました。彼の祖母はごく自然にあるがままの自分を受け入れ、純粋で自由な雰囲気を漂わせているとジンパは語ります。祖母の年齢ゆえの静謐(せいひつ)さや智慧は、未来のことばかり考えてほとんど今を生きていない、若く落ち着きのない、野心家の僧侶だった彼自身と好対照をなしています。彼は祖母の思いやりに触れ、自分自身と調和し、周りの人々に対して開かれた心を持つ人の究極の美しさに深い感銘を受けました。

 別れの時、祖母はジンパの顔を両手で優しく包み、まっすぐ目を見て「親切で、幸せでいてね」と伝えます。それ以来彼は忠実にその教えを守って生きています。祖母は彼に、自分自身や周りの人々に親切でいることは私たちを幸せにすると教えました。コンパッションを啓蒙するジンパのライフワークは、彼の祖母にとってごく自然で当たり前のことを、私たちに伝えようとする試みと言えるでしょう。彼女は日常の中でコンパッションを体現しました。

 『コンパッション』は、思いやりのある世界は私たち、つまりあなたや私から始まるということを教えています。ジンパや私の祖母の人生からもわかるように、コンパッションは偉業ではなく、ただ人間であることの証です。その気になれば、私たちの毎日は親切な行動によってコンパッションを示す機会であふれています。自分自身や他者、そして私たちを取り巻く世界に対して、コンパッションを体現することを選択しませんか? ジンパはその選択を、人間の存在にかかわる最も重要な精神的課題だと断言します。

 本書はスピリチュアルであると同時に実践的な内容で、読者を思いやりのある生き方へと導くガイドブックになると確信しています。人は生まれながらにいたわり合う生き物で、コンパッションの種は私たち全員のなかにあるということを、ジンパが教えてくれました。彼は日々の暮らしの中で心を開き、公平で思いやりに満ちた社会を築くために、私たち一人ひとりができることを示しています。

 ジンパのチベットの伝統のなかに、人生最後の日に自らの死とどう向き合うかを見れば、その人の精神の進化がわかる、という言い伝えがあります。人生は有限だと自覚することは、私たちの日々の行動をより勇敢に、思いやりを持って生きるのに役立つと私は考えます。他を思いやる勇気をもった人として生きたなら、きっと穏やかな心でこの世をあとにできるでしょう。今この瞬間から、私たちの存在の中心に愛を携えて生き始めるべきだとジンパは私たちを促します。始めるのにこれ以上ふさわしい時はありません。  


はじめに

“時機を得た考えほどパワフルなものはない”
――ビクトル・ユーゴー

 幼い頃、私はダライ・ラマ法王と手をつなぎ、わくわくしながら彼の足取りに追いつこうと懸命に歩いた日のことをよく覚えている。当時私は6歳くらいで、インド北部シムラーにあるチベットの子供たちのためのスターリング・キャッスル・ホームをダライ・ラマが訪問した時のことだった。そこには私を含め二〇〇人を超えるチベット難民の子供たちが住んでいた。このホームは、小さな丘の上の二つのイギリス植民地時代の建物の跡地に一九六二年、イギリスの慈善団体セーブ・ザ・チルドレンによって設立された。訪問に先駆け、私たち子供は歓迎のチベットの歌の練習に励み、大人たちは道路を掃いて、蓮の花、宝結び、宝瓶、向き合っている二尾の金色の魚、八つの輪止めの法輪、白い蓋、宝傘、そして法螺貝(ほらがい)というチベットの吉祥(きっしょう)八文(はちもん)様(よう)を石灰粉で描き、訪問の準備に忙しかった。ダライ・ラマ訪問の日、学校の周りにはインドの警察官がたくさん集まっていた。その朝、私は到着を待ちながら彼らとビー玉で遊んだことを覚えている。そしてついに到着すると、それは魔法の時間だった。この日のために作られた白漆喰の香炉からはもうもうと渦巻く煙が立ち上った。色とりどりの一張羅(いっちょうら)に身を包み、カタ(歓迎を表すチベットの伝統的な白いスカーフ)を握りしめ、学校へと続く道の両脇に並んで、声を限りに歓迎の歌を歌った。ダライ・ラマが学校内を巡るにあたり、一緒に歩く子供たちの一人として私も選ばれた。歩きながら私が「僕もお坊様になれますか?」と訊(たず)ねると、「よく勉強すれば、いつでも好きな時にお坊さんになれるよ」という答えが返ってきた。振り返ってみると、まだ幼いうちから僧侶に心惹かれた唯一の理由は、あのホームに二人の僧侶の教師がいたことだ。彼らはホームにいた大人たちの誰よりも親切で、誰よりも博学に見えた。いつでも幸せそうで穏やかで、時々輝いて見えた。私たち子供にとって一番大事だったのは、彼らが一番面白いお話をしてくれたことだ。

 11歳の時、最初の機会が訪れた。それはチベットの新年の元日(その年は二月の終わり頃だった)のことで、私は父の反対を押し切って僧侶となり、僧院に入った。父は私が家族の稼(かせ)ぎ頭(がしら)になる機会を逃した―彼の世代の常識では、子供が学校を卒業して企業で働くことを望んでいた―と言って怒った。それからの一〇年近く、私はゾンカルチョーデ僧院内の小さなコミュニティの一員として暮らし、働き、瞑想し、詠唱(えいしょう)した。インド北部、ダラムサラの静かな緑の丘で、私は啓発を求めてやってきたヒッピーたちから初歩的な英語を学んだ。

 特に仲良くなったのはジョンとラースで、ジョンはヒッピーではなかった。彼はアメリカ人の隠遁者(いんとんしゃ)で、尊敬するチベットの聖人の瞑想小屋のすぐ近くに綺麗(きれい)なバンガローを借りて一人で住んでいた。私は彼と週に一、二回会って話し、彼に十八世紀のインド仏教の古典である、チベットの経典を読んで聞かせた。ジョンは私にパンケーキとハムの味を教えてくれた。

 ラースはデンマーク人で、僧院のすぐ近くに住んでいた。私はよく彼の家を訪ねては雑談し、ジャムを塗(ぬ)ったトーストをご馳走(ちそう)になった。

 一九七二年の春、チベット再定住プログラム開始に伴い、僧院は灼熱(しゃくねつ)のインド南部に引っ越した。13歳となった私は僧院の同僚たちとともに森の開墾(かいこん)、溝(みぞ)堀(ほり)、トウモロコシ畑での労働などに参加した。定住計画の準備期間となった最初の二年間、私たちは日当0・75ルピー(約1・5セント)を支給された。

 ゾンカルチョーデ僧院には教育と呼べるものがほとんどなく、若い僧侶が一般の学校に通うという慣習もなかった。インド南部に移住した当時、私は僧侶として必要な祈祷(きとう)文をすべて暗記し終わっていた。開拓の労働は四時に終わるので、その後の自由時間で英語の勉強を再開しようと考えた。周りには英会話ができる相手がいなかったため、コミック本を読むことにした。そしてある日安い中古のトランジスタラジオを手に入れてからは、イギリスのBBCワールド・サービスやアメリカのボイス・オブ・アメリカ(VOA)を毎日聞いた。当時VOAには「特別英語放送」というユニークな番組があり、番組MCが英語をゆっくりと二回ずつ話すという内容だった。英語がほとんどわからなかった私にとって、この番組は大いに役立った。

 僧院の若手の中で唯一英語が話せて読める(当初は初歩的な語学力だったが)ということで、私は自己肯定感と、他者とは違う個性を感じるようになった。比喩(ひゆ)的にも現実にも、難民社会や僧院という小さなコミュニティの向こう側には世界があり、その世界にアクセスできるのは僧院の中で私ただ一人だった。英語力のお陰で私はラジオニュースでイギリス、アメリカ、ロシアなどの大国が織りなす世界情勢について学び、そこにはもちろん我が愛するチベットが中国共産党の手に堕(お)ちた悲劇の話もあった。

 一九七六年頃、17、8歳で私の英語のカルマを変えた素晴らしい女性と出会った。バレンティナ・スタッシュローゼン博士はバンガロール(彼女の夫がここでマックス・ミューラー・スクールの代表をしていた)に住む、サンスクリット語と中国語の文献に精通したドイツ・インド研究者だった。スタッシュローゼン博士は私の英語の習熟に深い関心を寄せた。彼女は私が英文学に親しむ道を開き、ヘルマン・ヘッセ、アガサ・クリスティ、エドガー・スノーの『中国の赤い星』(筑摩叢書)、そして例文がたくさんついた英語辞書(これが一番役立った)などを送ってくれた。初めてナイフとフォークの使い方を覚えたのもスタッシュローゼン博士の自宅でのことだった。私たちの文通は、彼女が亡くなった一九八〇年まで続いた。彼女の親切がなかったら、私の英語力はあれから進歩することもなく、英語が切り拓(ひら)いた今の人生すらなかったことだろう。

 トレバー・リンの『仏陀』も読んだ。革命家、哲学者、そしてスピリチュアルの師でもある仏陀の人生と教えについて英語で書かれた本だ。特にこの本を通じて、私は英語の感情に訴える力に深い感銘(かんめい)を受けた。チベット語で書かれたものでは決して感じなかった生命力と臨場感がそこにはあった。たとえるなら誰かがそばで話しているような感覚だ。(チベット語は話し言葉と書き言葉のギャップが大きい。)

 ちょうどその頃、私の古典仏教研究に最も大きな影響を与えたチベットの師との出会いがあった。博学と詩作で知られるゼメイ・リンポチェは、私が知る限り最も優しい人物だ。彼は私の僧院からバスで一時間ほどのところにある別のチベット入植地で、静かな瞑想に明け暮れるセミリタイヤ生活を送っていた。彼はたくさんのチベット語の教科書を編纂(へんさん)していたため、リンポチェの名前は聞き及んでいた。そして実際に会って話すと、僧侶になりたかった頃の情熱が戻ってきた。初めて会った日からリンポチェは私の貪欲な知識欲に気づき、以来変わらず目をかけてくれた。こうして一九七八年の夏、私は小さな僧院を出て、同じインド南部だがバスで一〇~一二時間のところにあるガンデン修道院大学に入った。

 一九八五年、私はインド北部ダラムサラを訪問した。ダライ・ラマ法王に遅れまいと必死に歩いた、あの子供時代の出来事から二〇年ぶりのことだった。たまたまダライ・ラマの英語通訳が講義初日に来られなくなったため、私は急遽(きゅうきょ)ピンチヒッターとしてダライ・ラマの教えを通訳するという名誉に預かった。数日後、ダライ・ラマが私に会いたいとのことで、オフィスから連絡があった。約束の時間に行くと、秘書がダライ・ラマのオフィスの建物内の謁見(えっけん)室に案内してくれた。建物の外観は緑のブリキの波板の屋根で、石と木でできたシンプルなコロニアル様式のバンガローだった。部屋に入ると、ダライ・ラマがこう言った。「君のことは知ってるよ。ガンデン僧院の優れた論客だってね。でも君が英語を話せるとは知らなかった。」私の通訳を聞いた英語圏の人々がダライ・ラマに、私の英語は聞きやすいと話したそうだ。ダライ・ラマ法王は、出張の際に彼の通訳として同行してもらえないか、と私に持ちかけた。私は涙があふれた。ダライ・ラマにこんなに近くでお仕えできる日が来るとは、夢の夢にも思ったことがなかったからだ。言うまでもなく、私は「それほどの名誉はありません」と快諾した。

 インドで難民として育ったチベット人にとって、チベット人が神のように崇拝するダライ・ラマにお仕えすることとは、国外追放を経験した両親の世代が被った犠牲に敬意を示す手段でもあった。

 かくして私はダライ・ラマの海外出張に同行し、マインド&ライフ・ダイアローグなどの主要な科学集会を含む学際(がくさい)的な探求分野のイベントの英語圏の聴衆に向けた通訳や、出版プロジェクトのサポートをするようになった。私は一九八五年からダライ・ラマの筆頭通訳となり、現在までの約三〇年にわたり、類(たぐ)い稀(まれ)なコンパッショ(慈悲の心)ン(慈悲の心)の主唱者にお仕えしてきた。

 この仕事の初日から法王が明言していたのは、私を専任職員にしないということだった。私の僧侶としての教育や才能を台無しにしないためだと彼は言った。その代わり、自分の研究に集中し、学びに一生を捧げて独自の道を歩むようにと助言された。これほど慈しみ深い配慮はない。

 時が経つにつれて、私は自分の運命とは古典的チベット仏教の伝統を現代の世界に伝える伝道師となることだと考えるようになった。僧院育ちにして英語と欧米文化に魅了された人格形成期を過ごすという不思議な経歴によって、そのような役割が醸成(じょうせい)された。当時、古典仏教の伝統的訓練を受けた人々の中で英語ができる人材は少なかった。英語力の向上に伴い、私が愛する二つの文化のインターフェイスという特別な役割に目覚めていった。

 この役割をよりよく満たしたいという動機から、私はイギリスのケンブリッジ大学に進学し、新たな人生が始まった。たくさんの人々の親切のお陰で私はダライ・ラマに仕え、主要なチベット経典の英訳といった文化の橋渡しとしてのキャリアを築くという幸運に恵まれた。古典的チベット仏教の伝統と、現代社会の哲学や文化、科学の融合からきっと素晴らしいものが生まれるだろうという、私が初めに抱いた直感は、経験によって裏づけられた。本書もまた、異文化の解釈という大きなテーマの一環として生まれたものだ。

 コンパッションは私の一生の関心事だ。幼少期の私は、他者から慈悲を受け取る側だった。一九六〇年代初頭、言葉も文化もわからない新しい土地で、親の世代が難民として適応するのに四苦八苦していた中、セーブ・ザ・チルドレン基金に寄付してくれた何千という一般英国市民のお陰で、私を含む何千というチベットの子供たちは安心して成長できる家が提供された。バレンティナ・スタッシュローゼン博士やゼメイ・リンポチェのような人々のお陰で、私は一般的でない教育にもがきながらも目的を見出すことができた。仕事としてダライ・ラマのすぐそばでお仕えしながら、私は慈悲心という、人の資質を心から信じて生きることの意味について、最前列で観察するという特権を享受(きょうじゅ)してきた。

 今私には妻がいて、二人の未成年の娘もいる。北米の町に住み、インドのチベット寺院での暮らしとはかけ離れた生活をしている。ほとんどの人々同様、私も日常的に仕事、家族、人間関係のバランスを取り、生活費を稼ぎながら健全な精神を維持し、優先順位を守り、基本的に前向きに生きるという、目まぐるしい現代人のストレスの中で懸命に生きている。チベット仏教の伝統の教えの中には、現代人が日常的に直面する困難の解決策となるヒントがたくさんある。本書ではそれらの一部を紹介していきたい。

 コンパッション(慈悲の心)とは何だろう? ほとんどの人はコンパッションを高く評価し、自分の人生にも社会にも重要だと考えている。コンパッションが人としての日常経験の一部であることも否定できない。大人は子供を愛し、世話をする。苦しんでいる人を見れば本能的にその人に心を寄せる。つらい時に誰かが手を差し伸べてくれば感動する。慈悲心とは、良い人生を送ることと関係があるということにほとんどの人は同意するだろう。コンパッションが宗教的・人道的を問わず、すべての主要な伝統の道徳的指針に含まれているのは単なる偶然ではない。政争の場ですら、両陣営が慈悲の心の価値を強く掲(かか)げている。

 私たちはコンパッションについて意識・行動の両面で十分理解しているにもかかわらず、日々の暮らしや社会の中心に置くことができていない。現代の文化は親切心や慈悲心といった価値観とのつき合い方について混乱しているように見える。欧米の一般社会では、コンパッションとは何か、そしてどのように作用するかについての明確な定義や文化的枠組みが欠落している。ある人々にとってそれは宗教や道徳上の話であり、社会とは関係のない個人的志向の問題だ。またある人々にとっては、人には無私の精神など存在せず、他人の幸福を最大の関心事とするような慈悲の心があることも疑わしいという姿勢を持つ。ある著名な科学者がこんなことを言っていた。「利他主義者を引(ひ)っ掻(か)くと、偽善者の血が流れるだろう。」この対極の頂点として、慈悲の精神を一般人には手の届かないレベルにまで高めた、マザー・テレサ、ネルソン・マンデラ、ダライ・ラマのような人々がいる。そうなると慈悲心とは偉人特有の資質として遠くから畏敬の念をもって眺めるものであり、私たちの日常には縁のないものとなる。

 コンパッションとは広義において、他者が苦しんでいる時に私たちが寄せる関心の一種であり、その苦しみが取り除かれるべく行動したいと思う気持ちのことだ。慈悲を表す英語、コンパッションの語源はラテン語で、“ともに苦しむ“という意味だ。宗教史学者カレン・アームストロングによると、セム語族(アフロ・アジア語族に属する言語グループ)で慈悲を表すと、ヘブライ語ではラハマヌート、アラビア語ではラーマンとなり、語源を辿ると子宮を意味する。これは慈悲の典型的表現として、母の子供に対する愛を想起させる。根底にあるのは、苦しみや悲しみなど、人が遭遇する避けられない現実に対する自然な反応だ。

慈悲は苦しみに対して怖れや反発ではなく、理解や忍耐、思いやりを示すという反応を起こす。慈悲は苦痛を伴う現実に対して私たちの心を開かせ、痛みの軽減を探ろうとする。慈悲は共感という感情と、思いやり、寛大さ、その他の利他的表現を体現する行動とを結びつける。

 何らかの苦痛や窮(きゅうじょう)状(きゅうじょう)に直面し、慈悲の心が起きると、瞬時に三つのことが起きる。① 他者の苦痛や窮状を知覚する、② その苦痛や窮状に感情が動く、。そして③ 本能的にその状況が改善されることを願う。慈悲は行動へとつながる。他者の状態に気づくと助けに行く、あるいは何か手を差し伸べたいと考える。今日では科学者が慈悲の神経生理学的根拠を探る研究を始め、長い進化の過程を掘り起こそうとしている。

 社会全体で、私たちは慈悲の本能が人の性質や行動の一部として果たす基本的役割を長らく無視してきた。そして競争と私欲という見地から人の行動を説明するという、よくあるストーリーを掲(かか)げてきた。自分たちのことを、そんな風に言い聞かせてきた。

 そのようなストーリーは、往々にして自己達成的予言となる。私たちのストーリーが、人は本質的に利己的で攻撃的な生き物だと言えば、人は誰もが自分のために生きているとみなすようになる。「食うか食われるかの世界」にあって、他者は競争相手であり、敵対していると考えるほうが論理的に見えてくる。そうなると他者を見る目は、連帯感や絆(きずな)ではなく、不安や怖れ、疑惑に満ちたものになる。これとは対照的に、もし私たちを語るストーリーが、人とは生まれながらに慈悲心と親切心に恵まれた社会的動物であり、私たちの幸福は他者と分かちがたく絡(から)み合っていて、根底から支え合う存在だとするなら、私たちの世界の見方、そしてそこでの立ち居振る舞いはまったく違ったものになるだろう。その意味で、人が自分についてどう語るかは、極めて根源的なレベルで重要になる。

なぜ今、コンパッションなのか?

 今日いくつかの潮流が合流し、コンパッションの時代の到来を想起させる。世界は狭くなり、限りある天然資源に反して人口は増加の一途(いっと)を辿り、環境問題は人類全体に影響し、人々、文化、宗教を隔(へだ)てる距離はテクノロジーや人口動態、世界経済によって縮まってきた今、私たちは喫緊(きっきん)の課題として共存と協力の精神を育成する必要性に迫られている。私たちは文字通り運命共同体だ。人類が一つの運命を共有しているという現実こそが、慈悲の本質と言える。たとえば、世界の人々が一斉に慈悲の心を自分たちの信条の根幹をなすものだと確信したら、何百万という人々が一つになり、互いを尊重し合うためのゆるぎない共通基盤が醸成(じょうせい)されることだろう。ダライ・ラマとの一連の対話の中で、感情の科学者ポール・エクマンは、彼が言うところの「地球規模の慈悲心」が、現代の世の中で最も問われている課題だというパワフルな主張をした。私たち一人ひとりが、そして地球市民全体として、自らに内在する慈悲心を真剣に体現できれば、より人道的な世界をつくるという夢も現実味を増してくる。

 霊長類研究、子供の発達心理学、神経科学、新経済学など多様な分野の研究結果が示すのは、人は自分にしか興味のない好戦的な動物ではなく、協力的で他者への思いやりのある生き物だということだ。これには希望を抱かせる。さらに、最近の脳画像技術と脳の神経可塑性の発見(人の脳は環境や経験に反応して物理的変化を起こす)のお陰で、瞑想などの意識的なメンタル・トレーニングが脳に与える影響に科学者たちが気づき始めている。熟練した瞑想者の脳画像研究を行った著名な心理学者・神経科学者リチャード・デビッドソンその他の研究者は、ニューロンのレベルで瞑想の効果を探求する道を開いた。このような科学の進化は瞑想科学と呼ばれるまったく新しい分野となり、瞑想のような習慣が健康、認知発達、感情制御、そしてもっと多くの効果を生み出すことについて研究が進んでいる。この新しい科学は、意識訓練により、文字通り脳を変えられることを示している。

 数年前、ダライ・ラマのインドの自宅で行われたマインド&ライフ・ダイアローグのイベントの一つで、彼がそこにいた科学者に向かってこんなことを言ったのを覚えている。「君たち科学者は、人の意識の病理のマッピングには素晴らしい業績を上げた。しかし、人の意識のポジティブな側面、たとえば慈悲心といった資質について、ましてやそれを育てる可能性についてまったく何の実績も出していない。一方で瞑想の伝統は意識の訓練や、コンパッションのようなポジティブな資質を伸ばすテクニックを開発してきた。君たちの素晴らしいツールを駆使して、瞑想という習慣が持つ効果を研究してはどうだろう? このような習慣の効果を科学的に解明できたら、もっと大きな世界に対して広めて行けるんだがね。スピリチュアルな修行としてではなく、健全な意識と感情のためのテクニックとしてね。」

 これが予言的コメントだったことは、マインドフルネスの画期的なストーリーが示している。欧米でのマインドフルネスは仏教瞑想に端(たん)を発していて(特に二○世紀初頭の旧ビルマ、現ミャンマーで一般人向けに作られた瞑想法)、ジャック・コーンフィールドやジョセフ・ゴールドスタインといったアメリカ人の先駆的仏教徒が東南アジアの僧院で数年間の修行をしたのち一九七〇年代にアメリカに持ち帰ったものだ。ビルマ・インド仏教の師であるS・N・ゴエンカや禅指導者ティク・ナット・ハーンもこの運動の立役者だ。一九七九年、マサチューセッツ大学医学部に、ジョン・カバット・ジンが慢性痛に悩む人々のために開発されたマインドフルネスの訓練を使ったクリニックを開設した。このテクニックはMBSR『マインドフルネスをベースにしたストレス低減法』として知られるようになった。ここでの治療の成功について『マインドフルネス・ストレス低減法』(北大路書房)というCD付きの本を書いて治療プログラムと実践について紹介している。彼の二冊目の本『マインドフルネスを始めたいあなたへ』(星和書店)が出版された頃には臨床の現場がマインドフルネスを採用し、ストレス、慢性痛、注意欠陥障害など、多種多様な問題に対する治療効果を試し始めた。

 ここ十年ほどの間で、米国国立衛生研究所(NIH)が出資するマインドフルネスを取り入れた研究プロジェクトが指数関数的に増加し、数千万ドルという規模の資金が投下されている。ダライ・ラマも一般社会向けに仏教を基本としたメンタル・トレーニングの習慣を推進していて、これもマインドフルネスのもたらすメリットへの関心を高めるのに大いに貢献している。今日マインドフルネスは治療、経営、リーダーシップ訓練、学校、競技スポーツなどの現場で生かされている。その主流としては「マインドフル育児」、「マインドフルリーダーシップ」、「マインドフルスクール」、「ストレス対策のマインドフルネス」などがある。アマゾンでマインドフルネスをキーワードに検索すると、三千冊以上の書籍がヒットする。

 今やコンパッションが世界の次の大きな潮流となるための態勢が整った。人の性質や行動を理解する上で、慈悲心の占める位置を捉えなおす運動が科学分野で増加している。慈悲の訓練に基づくセラピーは、社会恐怖症から低すぎる自己肯定感まで、そしてPTSDから摂食障害まで多様な心身症の症状改善に効果を現している。教育者たちは、子供たちの社会・情緒・倫理面の成長の一環として親切心や慈悲心の教育を取り入れようと模索している。そんな中で、宗教色のないスタンダードな慈悲の訓練のためのプログラムを構築する機会が私に訪れた。こうして誕生したのが今日「コンパッション育成トレーニング」(CCT TM)と呼ばれるプログラムだ。

スタンフォードの「コンパッション育成トレーニング」(CCT ™️)

 CCT™️の歴史は二〇〇七年冬、起業家精神旺盛な神経外科医ジム・ドティと出会ったときに始まった。ジムは、特に慈悲心などの利他的行動の背後にある動機を科学的に探るため、あらゆる分野の専門家が一堂に会するフォーラムをつくろうとしていた。彼は私に興味があるか、と訊ねた。もちろんだとも! その結果生まれたのがスタンフォード大学慈悲利他研究教育センター(CCARE)であり、既存の科学の枠組みの中で正面からコンパッション研究を行えるようになった。私はスタンフォード大学の客員教授として、コンパッションを育成する訓練の開発に携わることになった。

 CCTは八週間プログラムとしてスタートした。初歩的な心理学と誘導瞑想で人の思考、感情、行動の力学をよりよく理解する訓練で構成された、週に一回、二時間のインタラクティブなクラスだった。参加者はクラスがない日の宿題として、最初は一五分で、のちに三〇分の誘導瞑想の録音を聞く。さらには日常の中で、直前のクラスで学んだ課題を実践するという練習も行う。

 「伝統仏教の技法からつくられた瞑想から仏教的要素を取り除いてしまったら、その瞑想にはどれほどの効果が残るだろう?」という疑問が浮かぶかもしれない。これに対する私の答えはシンプルだ。プロの通訳者として私は長い間ラルフ・ワルド・エマーソンの、多言語への翻訳が可能かどうかに関する言葉に感銘を受けてきた。彼の著作『Society and Solitude(社会と孤独)』の中で、彼は「どんな本であれ、真の洞察や人の情緒など、そこに書かれた善なるエッセンスは翻訳可能である」と書いている。この原理は他言語への翻訳に限らず、人の置かれた状況に対する洞察を伝える際に使われるすべてのコミュニケーション手段にも言えることだと私は考える。伝統仏教の慈悲の訓練が基本的な部分においてよりよい人格形成に役立つのであれば、その伝統的手法は民族、宗教、文化を超えて私たち全員が理解可能な形に翻訳可能だ。つまり、根源的で、最善の真実は万人に当てはまるということだ。

 初期のCCTは、スタンフォード大学の学部生と近隣住民向けに実施され、この経験をもとにプログラムの微調整を行った。たとえば、最初のプログラムでは瞑想の部分が多く、きちんと座り、静かに内省することに慣れていない人々にはあまり効果が上がらないことに気づいた。そういう人々向けには、より活動的でインタラクティブなエクササイズのほうが、主催者が育成したい精神・感情の状態を醸成しやすいことがわかった。そして瞑想以外のいくつかの技法を取り入れることにした。たとえば二人で向き合い、相手を批判することなく理解し、共感するエクササイズなどを行うと、クラスでのディスカッションは非常に有意義なものになった。

 訓練をより包括的な内容にするため、私は三人の指導者の協力を仰いだ。スタンフォードの講師で、著名なヨガと瞑想の指導者ケリー・マクゴニガル、結婚・家族問題のセラピストで、マインドフルネスの正規指導者マーガレット・カレン、感情の研究者で瞑想指導者エリカ・ローゼンバーグ。これら三人の同僚たちはCCTの第一期シニア・インストラクターとなり、のちにモニカ・ハンソンとリア・ワイズが加わった。(リアはCCAREで慈悲教育の責任者でもあった。)チームとの協力のもと、ケリーとリアがCCTの包括的指導者育成コースを作り上げた。現在までに一〇〇名を超えるインストラクターがこのコースを指導している。彼らが担当するCCTは、スタンフォード大学の学部生からパロ・アルト、サンフランシスコ湾の近隣住民まで、がん患者支援ネットワークから退役軍人向けPTSD在宅治療センターまで、サンディエゴの大手民間ヘルスケア・グループからグーグルのエンジニア、スタンフォード・ビジネス・スクールの学生まで、多種多様な参加者が受講している。そこでの話を本書でいくつか紹介していきたい。関心のある読者向けに、本書で引用した科学研究などの出典を含む参考文献を本書の巻末に記した。

 ダライ・ラマは以前こんなことを言った。良い食事と適度な運動が健康な身体には不可欠だと世界中の人々が知っているように、いつの日か、健全な精神と幸福な人生にはメンタルケアと訓練が不可欠だと世界が気づく日が来るだろうと。その日は、思うほど遠い先のことではないかもしれない。

本書について

 私が言いたいのはこんなことだ。コンパッションは私たち人類の基本的な性質の根幹をなすものだ。私たちの中にある慈悲心を見出し、育み、自分自身や他者、周囲の世界とつながることは、個人としての幸福と社会の繁栄のカギとなる。私たち一人ひとりが日常の現実、そして共有する世界の中心に慈悲の心を置いて過ごすための手順を踏むことができる。そのためのステップごとのやり方を本書の第二部でご紹介しよう。

 本書の目的は、おわかりのようにシンプルで野心的だ。コンパッションを、誰にでもわかる身近なものとして捉えなおし、個人・社会として取り入れたいこととして、義務感ではなく自然な欲求と位置づけることだ。慈悲の精神を、高(こうまい)邁(こうまい)な理想として見上げる存在から、人の日常のごちゃごちゃした現実の中に活きる力へと変えていきたい。本書では頭(マインド)と心(ハート)を効率よく訓練する方法を示し、慈悲の心を自らの基本姿勢とするための道筋をつける。この姿勢がより幸福で、ストレスが少なく、より充実した人生と、より平和で安泰な世界の礎(いしずえ)となる。

 コンパッションのパラドックスは、コンパッションを行使する当人がその最大の受益者となることだ。第一部を読むとわかるように、コンパッションは私たちを幸福にしてくれる。その力は普段私たちの脳内を満たしている自分に対する落胆や後悔、不安といった想念のモードからもっと大きい関心へと開かせてくれる。予想するイメージにそぐわないかもしれないが、コンパッションは人を楽観的にする。関心の対象は苦痛でも、それは苦痛が終わること、そしてそのための行動を起こすという究極的にポジティブな、エネルギーがみなぎっている状態だからだ。コンパッションは習慣化した狭量な強迫観念を超越した目的意識をもたらす。それは人の心を軽くし、ストレスを和らげる。自分自身や他者に対する忍耐と理解を促す。怒りやその他の反射的感情の代わりとなる選択肢を与える。これは特にPTSDに悩む退役軍人に効果が認められている。コンパッションがあれば人はより孤独でなくなり、怖れが軽減される。またコンパッションを持った人々の親切が巡り巡って自分に返ってくる。

外来クリニックで働く32歳の内科医の女性がCCTに参加し、コンパッションがどんな風に役立ったかについてこう話した。


 私が見る患者の数は時々一日三十五人にも及ぶため、個々の患者と心のつながりを感じなくなっていました(( ))。彼らは人というよりただの数字でした。私はまったく疲れ切っていて打ちのめされていました。医療に携(たずさ)わるのを辞めようかとも思っていました。CCTに参加して慈悲の訓練を始めると、いろんな変化が起こりました。私が変わったのです。診察室に入る前に三つの深呼吸をするようになり、心の中で診察が終わった患者について考えるのをやめました。するとどういうわけか、診察室にいる人物に集中できるようになりました。目の前にいる患者の苦痛に再び関心が向かうようになりました。もっと重要なのは、患者の処方箋を書くだけでなく、患者に対する気づかいを示せるようになりました。仕事は相変わらず忙しくやるべきことも多過ぎますが、以前のようなストレスを感じなくなりました。私の行動が再び意味を持ち始め、以前より調和がとれたように感じます。これからも医療と慈悲心の実践に励みます。


 私たち人間は、慈悲の命ずるところから逃れられないという事実は祝福に値する。人は皆、誰かの助けを受けてこの世に誕生する。人が成長し、苦境を乗り越えて成人となれるのは、誰かに守られ、支えられたからにほかならない。自力で何でもできる壮年期ですら、他者の愛と協力の有無次第で幸福にも悲惨にもなり得る。それが人間というものだ。人はか弱く、それは天恵だ。怖れなき心は、人であることの基本的真実を受け入れる。私たちは勇気を持って物事を直視し、慈悲の心でこの世界に存在し、この星に生きる人間であることの証(あかし)としての苦痛や喜びに対してハート全開で臨むよう、進化することができる。社会的・道徳的動物として、人は認められ、尊重されることを希求する。特に愛する人々にとって大切な存在でありたいと願う。人は自らの存在が何らかの目的のために生きていると考えたい。私たちは「意味を求める」動物だ。他者とのつながりを通して、人は他者にとってかけがえのない存在となり、他者の暮らしに喜びをもたらすことで自らの存在に意味が生まれる――こうして人は自らの命に価値と目的を見出す。これがコンパッションの持つパワーだ。