瞑想するとボケない?

今回は「瞑想するとボケませんか?」という質問にOSHOは答えています。

もう少し質問の全体の要旨を意訳すると、以下のようになります。

「知性に必要な細胞には限られた寿命しかないことを考えると、その細胞の限界とともに知性も衰え、ボケるしかないのでしょうか? それとも適当な刺激を与えれば知性は死ぬまで成長して、ボケないでいられるのでしょうか?」

OSHOは質問に答えるときに、独特のしぐさがあります。

それは質問を聞いた後、しばらく間を置いて、自分の手をしばらくじっと見るのです。

その手に答えが書いてあるのかと思うほどです。

もうひとつ、いつも驚くのはOSHOの目です。

OSHOの目は動かないのです。

NLPを勉強するとわかりますが、目の動きと思考とは関連していて、人がものを考えたり、過去のことを思い出したり、未来を想像したり、自分の五感とアクセスするときには目が動くものなのです。

つまり、目と脳は連動しているらしく、脳のそれらの記憶領域や感覚の領域、思考の領域にアクセするときに目もそれに応じて動くようなのです。

ところが、OSHOがその答えについて話しだすまでの間のOSHOの目の動きを見ていても、上を向いて考えるふうでもないし、目もあちこち動いたりはしないのです。

今回は、いつもよりもちょっと間があってから、しばらく手をじっと見つめるようなしぐさをして、おもむろに口を開いて話しはじめるわけですが、いつも「どうしてそんなことまで知っているのだろう」「どこからそんな答えがやってくるのだろう」と思われることばかりです。

OSHOは語ります。

「通常の人間は14歳で知性の成長を止める
 それは生物学上の目的が完了するからだ
 14歳でその人は、子供を産むためには
 生殖のためには、十分に成熟している
 生物学的には、このポイントを超えては
 もはや関心がない
 これが理由で 平均的人間は
 14歳で行きづまる
 精神年齢に関するかぎりはそうだ」

「だが彼らの精神年齢は14歳でとまったままだ
 これが現在まで繰り返されてきた
 これは変えることができる
 そしてこれは変えるべきだ
 なぜなら、成長に向けての
 無限の潜在可能性があるのだから

 だがその変化が起こるのは
 あなたに何らかの生物学を超えた目標が
 あるときだけだ
 もしあなたの人生の関心が
 セックス、子供たち、家族、食べ物
 家にのみに限られるなら
 それならその必要はない
 その程度の知性で充分だ

 だがもしあなたが
 アルバート・アインシュタインのような関心をもつなら
 そのときはあなたの知性は
 働きはじめる
 ときにはあなたの肉体さえも追い越す」

「知性とは
 それを使ってあなたが何をしているかによる
 瞑想している人には
 知性の最高の高みに到達する最大の可能性がある
 なぜなら 瞑想の中で
 その人は人間に為しうるかぎりの
 最高の仕事をしているからだ

 それは自己を悟ること
 「私は誰か」を知ることだ
 自分の主観性の最も深い内側に入っていくこと
 それこそが知性にとっての最大の仕事だ

 そのときあなたは算定すらできない
 あなたはゴータマ・ブッダの知性を算定できない
 それは計測を超えている
 測定を超えている
 もしあなたが瞑想者なら
 あなたの瞑想が進んでいくにつれて
 ますます輝きいてくる
 あなたの人生の最後の息まで
 あなたの知性は成長することになる
 それだけではなく 息を引き取った後でさえ
 あなたの知性は成長し続けるだろう
 なぜなら あなたは死にはしないからだ」

現代科学は、人間の平均寿命をどんどん伸ばしてきています。

人間の平均寿命は120歳まで可能だという説がありますし、最近話題のiPS細胞や再生医療の発達などを見ていると、若返りなども可能となって、寿命はまだまだ伸びそうです。

でも、OSHOの話を聞いていると、知性の成長は肉体の寿命とは関係なく、それを使って何をしているかということに関係ありそうです。

では「知性」とはなんでしょうか?

「息を引き取った後でさえ
 あなたの知性は成長し続けるだろう
 なぜなら あなたは死にはしないからだ」

肉体が死んだ後でさえ知性は成長しつづける?

あなたは死ぬことはない?

OSHOのいう「知性」とは?

このあとOSHOは、肉体が死んだ後でさえ成長し続け、死ぬことはないという知性について語ります。

それではOSHOのお話をお楽しみください。

日本語の字幕付きです。字幕が表示されない時には、画面の右下の「字幕」表示のためのアイコンをクリックして日本語表示を選択してください。

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