もしあなたが光明を得たら?

 アメリカのオレゴン州の準砂漠地帯のど真ん中にコミューンを建設していた当時、OSHOは沈黙の中にいて、公の活動は一切していませんでした。

 そのコミューンには5000人ほどが建設に携わっていました。マニーシャもその一員として電気部の管理責任者として一日中働いていました。

 朝8時から12時間以上、125平方マイルほどの町の中の、あらゆる建設現場に機材を調達する手伝いをし、夜には大きな食堂のひとつで夕食を終えて、レストラッやディスコで警備係に加わったり、病室で医療スタッフとして追加の仕事をする日々を過ごしいていました。

 マニーシャはその当時、3年間ほどドライブバイでOSHOに会う以外には個人的に会っていませんでした。   

 OSHOはもう当時3年近くも沈黙していて、出席すべき講話の時間もなく、毎日とにかく自室によろよろとたどり着く頃には、疲れ切って、瞑想しようとすることさえない日々でした。

 Y字型接続や 銅製ニップルに取り囲まれた世界にいて、光明を得ることさえ考えずに日々を過ごしていたのです。

 そんなとき、コミューンのコーディネーターのひとりから電話かかかり、突然OSHOに会う用意をして、ジーザスグローブと呼ばれるコーディネーターのセンターに夕方来るようにと呼ばれます。

 行ってみると、他にも20人ほどのサニヤシンたちが呼ばれていました。

 そこでOSHOは意外な発表をします。

 それは、そこに集まった21人は光明を得ているので、呼んだのだと話したのです。

 それは全くマニーシャにとって予期せぬことでした。

 自分が光明を得ていることが明らかになったのです。

 しかし、そこで最後にOSHOは意外な注意を与えます。

 それは、「ただあるがまま、普通でいなさい。それから何事についても、罪悪感を持たたないこと」と言うのです。

 しかしそれはその後のマニーシャにとって、大きな意味がありました。

 数日後、マニーシャはエンライトメット(光明を得ること)を祝うために電気器材供給部でパーティを開きました。

 電気の世界からスピリチュアルな光明の世界へ突然昇格したことについて、まわりの人たちはマニーシャに率直に 質問するのは、あまりにも恐れ多いと感じているようで、面と向かってそのことについて話さなくても、コミューン全体がその話題で持ちきりになっていました。

 なぜ、誰それは光明を得ていて、誰それは得ていないの? グループ療法のセラピストが光明を得ていないのに、どうして工具部で働くマニーシャが光明を得るなんてことがあるの?

 マニーシャ自身もさまざまな疑心暗鬼にとらわれます。

 「これは何かを教えるための、OSHOの方便のひとつなのかしら? だけど、そんなことってありえる? OSHOは具体的にとても明確な詳細を指示したし……それとも、ただ私たちに冗談を仕掛けているだけだろうか?………

 以前にもいろいろなやり方で、彼はそうしてきたし。でもそれはありえないわ、だって光明を得た人たちは、実際に証明書を受け取っているのよ!」

マニーシャ自身はこんなふうに感じながらも、「光明を得ているとOSHOが言ったのだから、そうに違いない。私は彼を愛し、信頼している。それに、私は自分自身を指名したりしないが、彼はマスターで、その彼がそうしたのだ。」

 そこでマニーシャは証明書を自分の寝室の壁に逆さに貼り、己のエンライトメントを全面的に生きることを心に決めたのでした。

 そういう日々をすごして数カ月すごしているうちに、OSHOは公の講話を再開します。

 そして、21人の光明を得たと公表をしてからほぼきっかり4ヶ月たった日、あるサニヤシンからの質問に答えて「光明のリスト」は冗談だと宣言したのでした。

  そこでマニーシャを含めて、21人の光明を得たと公表され人たちは公式に光明をとり消されたわけです。

 マニーシャは再び暗闇に戻されたのですが、それはほとんどマニーシャに動揺を与えませんでした。

 マニーシャはすでにそのときにはある「鍵」を見出しており、何ごともその事実を変えることはできないという心境に達していたのです。

 このマニーシャの「鍵」とは?

 その鍵は、悟りを得ていなくても、悟りをあなたに与えてくれるものなのです。

 そのマニーシャのプロセスと「鍵」は私たちにとっても大きな示唆を与えてくれます。

 OSHOの講話によって「光明のリスト」は冗談だったということがあかされ、マニーシャの光明は取り消されたわけですが、マニーシャはすでにある「鍵」を手にしていたので、光明は得ていなくても、マニーシャが手にした可能性の一瞥を奪うことはできませんでした。

 マニーシャはその鍵を手にするにいたったプロセスを次のように書いています。

 「数日、数週間、数ヵ月とたち、私の状態に変容が起こる。

 自分が光明を得ていることをいったん受け容れると、もはや行くべきところも、探求すべきことも、到達すべきゴールもないということを受け容れざるをえなくなった。私はすでに完全なのだ。不完全さを含めて。完全なのだ。

 いまこの瞬間を逃す言い訳はもうできない。計画したり、苛立ったり、自分自身の誤りを訂正するための言い訳もできない。

 自分がすでに完全であることを受け容れると、内なる解説者は効力を失ってしまう。

 ときに古い習慣から、マインドが入ってきて、「ほら、心配すべきことがあるんじゃない?」とか、「あなたは本当に自惚れ屋ね」とか、「短気だわ」とか、「欲張りね」などと言う。

 私はマインドに対して、私が光明を得ていることを思い出させる。

 私は自惚れ屋で短気で欲張りかもれないけれど、だからどうだというの?私はすでに光明を得ており、こういったことは私の様々な側面であり、それを否定したり直したりするつもりはもうない。

 自分のマインドに耳を貸すことは、OSHOを疑い、私のエンライトメントを疑うことだ。

 私の注意を引き付けられず、無視されて、だんだん内なる解説者は蒸発していく。生まれて初めて、私は完璧に、掛け値なしの自分自身となる。

 人が私に期待しているであろうことや、ある状況の中で要求されることに対して、私は無頓着だ。

 私のするすべてに対する唯一の尺度は、それが私の中心に響くかどうかだ。いまの私は、可能なかぎりもっとも深いレベルでくつろいでいる。

 いまなら、私たちはどこも変える必要がないと OSHOが常に言ってきたことを理解できる。ただ、あるがままの自分自身を受け容れればよいだけだ。この受容を通して、すべてが変わる。

 数カ月のうちに、OSHOは公の講話を再開し、あれからほぼきっかり四ヶ月たった日、あるサニヤシンからの質問に答えて、「光明のリスト」は冗談だと宣言する。

 私は公式に光明をとり消され、再び暗闇に戻されたのだが、それはほとんど私に動揺を与えない。

 私はすでに鍵を見出しており、何ごともその事実を変えることはできない。

 私は、いかに多くのエ不ルギーが理想の自分をつくりだすことに奪われていたか気づいた。そして、いかにそれが大きな緊張と不幸と自己嫌悪を生み出し、結果として他人に対する愛の欠如を招いていたのかを理解するに至った。

 いま、私はすべての幸福、すべての愛——自分と人に対する愛——は、すべてを受け容れることの純粋な源から発するべきだと知っている。
 
 けれど、時がたつにつれ、鍵は形を曖昧にし、習慣や条件づけの強さが少しずつかつての古い生き方へと引き戻そうとする。

 だが、私は自分の可能性の一瞥を得たことに対して感謝している。

和尚との至高の瞬間

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