自分自身であること

自分自身であることは
満足するために必要なものすべて一
自らの生に意義と重要性を与えるものすべてをもたらす

ただ自分自身であり
自らの本性に従って成長してゆけば
あなたは天命を全うするだろう

ゴールド•ナゲッツ

すべての不幸や苦しみ、悩みは、
自分を見失っていることから生じているのではないでしょうか?

人生の意味を見失って落ち込んでしまったり、
何をやってもうまくいかなくなったり、
自分が何をやっていいかわからなくなっていたり。

人の期待に応えて生きているうちに、
自分が何をやりたいのかがわからなくなって
しまうこともあります。

そういうときは自分を見失ってしまったときのサインです。

自分自身でいることができてこそ、
自分がやることに満足することもできるし、
人生に意義を見いだすこともできるのです。

では自分を見失ったとき、自分自身を再び見いだすには
どうすればよいのでしょうか?

自分を見失ったまま人生を終えてしまうこともよくあることですが、
あるときふと自分がわからなくなっていることに気づいときに
自分探しの旅がはじまります。

そのときに、探す方向を間違うと、探せば探すほど迷ってしまい、
自分自身から遠ざかってしまいます。

最初は多くを学べば自分のことがわかるようになるだろうと思って、
多くの本を読んだり、いろんな教師やマスターを探したり、
さまざまな知識を学ぼうとします。

そのためにあちこちを旅し、これが本当ではないか、
あれが本当ではないかと、いろんなティーチャーやマスターの
もとをさまよったりします。

しかしそのようにして探せば探すほど道に迷い、
自分から遠ざかってしまっていることに気づいたのは、
マスターOSHOに出会ったときです。

OSHOは、知識を教えるのではなく、むしろアンラーニング、
これまで学んできた知識を取り去ることをしているのだ、
というふうに語っているのを聞いたことがあります。

さまざまなことを学ぶことで、かえって先入観を持ってしまって
本当のことが見えなくなってしまう、ということはよくあることです。

そして借り物の知識を身につけることで、
本当に学ぶということができなくなってしまっています。

なぜなら、すでに知識でいっぱいになってしまっているコップには、
新たな水を入れることはできないからです。

新たに学ぶためには、先入観もなく、
空っぽのコップでいることが求められます。

自分をいろんな借り物の知識でいっぱいにしている限り、
本当のことは学べないのです。

そして学歴、職業や地位や役割や本当の自分を隠すための
さまざまな仮面で覆ってしまっていると、自分でさえ、
何が本当の自分なのかわからなくなってしまっています。

それらの偽の仮面や人格を取り去って本当の自分自身に出会う
というのはなかなか骨の折れることです。

もし、それでも本当の自分に出会いたい、
自分自身でいたいと思うのならば、
そのひとつの道は瞑想です。

瞑想のなかでは、すべての世間的なことから離れて、
ただ自分自身でいることのスペースの中へと入っていくことになります。

それはマインドや感情、人格や肉体などの表層の世界から
内側の世界へと入っていくことです。

内面の中心や中心に近い層では本性や本質の層があります。

より中心の層に近づくほどに、あるがままの自分であること、
自分自身であることに近づいていきます。

それはこれまで築き上げてきている表面的な仮面や
人格を落とす作業でもあります。

そのための作業としては、西洋のセラピーでは、
精神分析やエンカウンターやさまざまな療法が発達してきています。

しかし東洋では瞑想によって本来の自分自身に
気づくことがなされてきています。

その本当の自分自身のことを仏教や禅では仏性とか本性と
いうふうにいわれたり、本来の面目という言い方がされたりしています。

最近はそこまで難しくは考えなくて、あるがままの自分自身で
あることを受け入れていく、という言い方がされています。

最近では「ハート瞑想」が自分自身であることを助けてくれるには
とても有効なことがわかってきています。

それはハート瞑想では、人間の意識の多重構造のすべての層を
ジャッジすることなく、あるがままに受け入れることができるからです。

マインドの作用は批判したり、比較したり、競争したりすることですが、
そうすることで自分自身であることを難しくしています。

それはもっと自分をよくしていこうとするからで、向上心でもあり、
素晴らしいことであると考えられています。

しかし、それが本来の自分自身からのものではなく、
エゴやマインドからのものからのものであるときには、
自分自身から遠ざかることになってしまいます。

そして最終的には自分を破壊してしまうことになることが多いです。
自分を見失って、激しい落ち込みや自殺へと導かれることさえあります。

ハートの作用はジャッジせず、愛をもってあるがままに受け入れ、
あるがままの自分自身でいることのスペースをもたらします。

そこから自然に自分自身でいることができるようになってきます。

その自分自身であることから、自然と歓びと楽しみの中からものごとをなします。

好きこそ物の上手なれという言葉がありますが、
努力を努力とも思わず、苦労を苦労と思わず、他人から見れば
大変そうに見えることでも、本人にとってはそれは歓びであり、
自然と成長し、向上していくことになります。

それはハートからものごとをなしているからです。

このように、自分自身を見失うときはマインドにとらわれている
ときでもあるので、そういうときには、ハートとともにいることが
できれば、本当の自分自身を取り戻すことの助けになります。