心の健康の四本柱

健康というと、私たちは肉体の健康を考えがちです。

ですから、健康法というと、どんな食事が健康にいいのかとか、
なんとかダイエットとかで、あれを食べるといい、
これを食べないほうがいい、こういうサプリがいいとか、
主に食事のことやダイエット法が巷に溢れています。

もう一つは運動についてです。書店に行くと、健康になるための
エクササイズや運動法の本がずらりと並んでいます。

しかし、心の健康法、ということについては
それほど多くの本がありません。

心の病気についての本、うつや精神病や拒食症や、
そういう類の本が並んでいます。

しかし、人間は外側の肉体があるだけではなく、
心や精神などの内面の世界があります。

その内面の健康についても考える必要があります。

健康は、肉体の現象にとどまらない。
 肉体の現象は、健康のひとつの次元にすぎない。

 しかもそれは、最も表面的な次元だ。
 肉体は基本的に、死に至るからだ。

 健康だろうと不健康だろうと、
 それはつかの間のものだ。

 真の健康は、あなたの内側で
 あなたの主観性、
 あなたの意識の中のどこかで起こらなくてはならない。

 意識は、誕生も死も知らないからだ。
 それは永遠なのだ。

 意識において健康であるとは、

 第一に目覚めていること。
 第二に調和していること。
 第三にエクスタシーにあること。
 第四に、慈愛に満ちていることだ。

 この4つが充たされていれば、人は内面的に健康だ。

 すべての瞑想法は、あなたをもっと気づかせるための技法であり、
 あなたを非現実的な夢から連れだすための方便だ。

 そして、踊ったり、歌ったり、喜びに満ちてあることで、
 あなたはより調和に満ちた状態になる。

 ダンサーが消え、ダンスだけが残る瞬間がある。
 その稀なスペースで、人は調和を感じる。

 歌手はすっかり忘れられ、歌だけが残るとき、
 そこに機能している中心がなく、歌だけが残るとき、
 私として機能している中心がないとき                                     
 ──「私」がまったくないとき──
 そしてあなたがフロー(流れ)の中にあるとき、
 その流れる意識は調和している。

 目覚めて調和していることが、
 エクスタシーが起こる可能性を生みだす。

 エクスタシーとは、表現不可能な究極の喜びのことだ。
 それを、言葉で言いつくすことはできない。

 エクスタシーを手にしたとき、
 究極の喜びの絶頂を知ったとき、
 結果として慈愛がやってくる。

 あなたがその喜びを手に入れれば、
 あなたはそれを分かち合いたくなる。
 あなたは分かち合いを避けられない。
 分かち合いは不可避だ。
 それは、手に入れることの論理的帰結だ。

 それは溢れはじめる。あなたが何かをする必要はない。
 それはひとりでに起こりはじめる。

 この4つが、内なる健康の四本柱だ。

 それを手にしなさい。
 それは、私たちが生まれもった権利だ。
  私たちはただ、それを主張する必要があるだけだ。

Osho 『Don’t Let Yourself Be Upset by the Sutra, rather Upset the Sutra Yourself』

OSHOサマサティ 健康とエイジングより

OSHOの動画メッセージ(11)を公開しました。

私のワークは いかに生き いかに死ぬか
 いかに喜び いかに悲しむか
 いかに青春を楽しみ いかに老いを楽しむか
 いかに健康を楽しみ いかに病気を楽しむか
 という教えで成り立っている」

「私はトータルに在ることを教える
 所有しないように 何もつかまないように
 執着しないようにすることだ

 物事が来ては過ぎていくにまかせなさい
 物事があなたを通り抜けるにまかせるのだ」

「あなたの死は 生そのものと同じぐらい
 大いなる贈り物をもたらすだろう

 そうなれば人は この存在全体が自分のものだと分かる
 夜も昼も 夏も冬も 
 ─ すべては彼のものだ」

「もっとも偉大な学びとは 
 何にもしがみつこうとしないことだ

 あなたの愛にも あなたの喜びにも
 あなたの身体にも あなたの健康にも

 すべてを楽しみなさい
 ─ あなたの健康 あなたの身体
 あなたの愛 あなたの男や女
 ─ すべてを楽しみなさい」

「何であれ 意識とともに行えば
 それは生き切られ 後には何も残らない

 何であれ 無意識のうちに生きれば
 それは残存物となる

 あなたはけっしてトータルには生きないので
 ─ 何かが完結せずに残る」

「あなたの身体を内側から知るようになるのは
 まったく異なる世界
 以前には知識も情報もなかった世界を知るようになるようなものだ

 医学は この内なる身体のことは何も知らないし
 それを理解することもできないだろう」

 ひとたび内なる自己は 
 外側の身体とははっきりと異なり
 まったく別だという完全な認識が起これば
 死は存在しなくなる

 死が存在しないとき
 人はいとも簡単に身体という殻を離れ
 私心のない傍観者として物事を眺めることができる

 それでは今日も、素敵な1日を!