Oshoの図書館と講話の関係
Oshoの講話は、私が彼の講話を聞いていた1985年から1990年にかけてに関して言うと、一時期毎日朝夕2時間にわたって語られることがありましたが、通常は1日に1回、朝か夜に2時間語られていました。 その講話のときには、…
Oshoの講話は、私が彼の講話を聞いていた1985年から1990年にかけてに関して言うと、一時期毎日朝夕2時間にわたって語られることがありましたが、通常は1日に1回、朝か夜に2時間語られていました。 その講話のときには、…
Oshoのような広大なる人物をひと言でいうことはできないことを百も承知で、Oshoをひと言で言うと、どうなるか? 「広大なる人物」と書きましたが、私が知る限り、彼ほどの業績を人類に残している人を知りません。しかもその範囲…
私たちは生まれたときに親からつけてもらった自分の名前にとても同一化している。 新しいサニヤス名をもらって、その名前を変えるというのは、それまでの自己同一化を落として、それまでの条件付けから自由になることでもある。 それな…
そして、サニヤシンということも、ただ何でもない人、無名の人になるまでのゲームにすぎないとOshoは言います。 「私がサニヤシンでありなさいと言うとき、 それが意味するのは『ただ在りなさい』 ということだ。 あなたの黄土…
そして、Oshoはサニヤスの意味について次のように語っています。 「自己を知らない立場から生を見る ことがサンサーラ、世間だ。 自己を知っている立場から生を見る ことがサニヤスだ。 だから、誰かが私に、自分はサニヤスを …
サニヤシンというのは、インドで伝統的には世間を捨てた求道者のことを意味していますが、Oshoはそのことに新しい意味を持たせて、それをムーブメントとしました。 Oshoの弟子はサニヤシンと呼ばれ、その新しいムーブメントは「…
Oshoの弟子になる人たちとは、どういう人たちなのだろうか? Oshoの活動を見ると、4つの時期に分けられます。 第1期は、Oshoは哲学の大学教授を辞めてインド遊説をしていた時代。 第2期は、1974年前後にボンベイ(…
アメリカのOshoのコミューンに2週間滞在してOshoの弟子になった私は、日本に帰る前に、そこで知り合ったロサンゼルスに住んでいた友人の所に遊びに行きました。 彼はサーファーで、サーフィンをしたくて、ロスのラグナビーチの…
今ではサニヤス名(Oshoの弟子になった時にもらう名前)とはいっても、全くの自由。 さままななサニヤス名のリストもインターネットで公表されているので、その中から自分で好きな名前を選んで名前にすることができますし、サニヤス…
昨日はOshoとは何者? ということを少し紹介しましたので、 今日は、このOshoブログを書いている私は何者? ということを少し紹介しておきたいと思います。 表向きはOshoの本などを出版している、OEJ Booksの出…