ここでOSHOの話している「至福」というのは、光明を得ている境地のことですので、エクスタシーとでもいえるような、幸福を超えた境地です。
これは1985年にアメリカのコミューンで、ロサンゼルスのKNBCテレビの記者がOSHOにインタビューしたときのものです。
記者の質問はこうです。
「なぜ至福を売る必要があるのでしょうか? それはタダではないのですか?」
OSHOはこれに対して、明確に答えるのですが、その記者は、再び同じ質問を繰り返します。
「よろしいでしょうか。なぜ至福が売り物なのか?
なぜ至福を売るのでしょうか? もう3分ほどお願いします」
その記者の尊大な態度と聞き方は、人を小馬鹿にしたような、無礼な聞き方だな、と思えるものですが、
OSHOは気にするふうでもなく、例のごとく切り返します。
OSHOは応えます。
説明はできるが 同じことは繰り返せない
何か別のことを言おう
私は繰り返しはよしとしない
記者は答えます
「わかりました。では、別の理論をお願いします。なぜ至福を売り物にするのか」
OSHOは答えます。
ここでOSHOは「価値」に対する人間の心理を説明した後、あるたとえ話をします。
OSHOのたとえ話は、いつも絶妙なのです。
どうしてそのような話を、話の内容にそって、絶妙なタイミングでできるのだろうと、いつも感心させられます。
たとえ話なのですが、その話を聞くことで、ものごとの本質が、とても具体的に理解できるようになるのです。
そのお話は,絶妙なストーリーテラーのOSHOから直接聞いてくださいね。
そしてOSHOは次のように語ります。
世間の人は 勝手な解釈をする
そうでなければ
わたしの至福はいくらでも手に入る
価値のわかる人なら
繊細に感じとることのできる人なら
受け取ることにオープンな人なら
誰にでもだ
値札はついていない
だが 料金を払わない限り何一つ
理解できない人たちがいる
そういう気の毒な人たちのために
あらゆるものに値段をつけているのだ
慈悲ゆえのことだ
そして、OSHOは記者を見つめ、かすかな笑みを浮かべます。
記者は、そのときどんな顔をしてOSHOを見ていたのでしょうか?
私は至福が売り物だという話は聞いたことがなかったので、この記者の質問はいったいどういうところからの質問なのかが最初理解できませんでした。
誰かが至福に値段をつけて売っているのだろうか? と
しかし、OSHOの答えを聞いていて、おそらく、そういうふうに解釈している人たちがいて、そういう人たちからの質問を記者は口にして、OSHOに質問していたのでしょう。
あなたは至福をどのように手に入れますか?
それではOSHOの講話をお楽しみください。
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