クールな愛

今回のOshoへのお話は「Coolness of Love」についてです。

ここで、Coolness というのは、ホットでもなくコールドでもない、ちょうどその中間にあるのが愛だ、というふうにOshoは語っています。

通常私たちは、情熱的な愛を求め、その情熱が愛だと思っていますが、Oshoは情熱は愛ではない、と明言しています。

なぜ、情熱が愛ではないのかは説明が長くなりますし、中途半端に説明すると誤解のもとになりますので、直接Oshoから聞いていただくのがよいと思います。

とはいえ、Oshoから聞いても、なかなか受け入れがたいかもしれませんが、どう受け取るかはお任せします。

また、そのホットの真逆がコールドですが、Oshoはそれは情熱を放棄してしまった人のことで、死んでしまったと同然だと言います。

この言い方もちょっと過激なので、文章にするのは憚れますので、ここには書けません。

オランダの出版社が、Oshoの本はこれ以上出版できないという意味がよくわかります。

でも、Oshoは詩人でもあるので、Oshoの言葉は美しいです。

そのクールな愛とはどのような愛なのか?

そのOshoの言葉を少し書いておきますね。

ちょうどその二つ
(ホットとコールド)の間には
愛の涼やかさ(クールネス)がある
愛は冷淡ではない
そして愛は熱くもない
それは涼しいそよ風だ
新鮮なそよ風だ
早朝のそよ風だ

それがあなたにそよいだら
あなたは感じるだろう
再び若返ったように
新鮮さを取り戻したように
まるで突然シャワーを浴びたかのように

愛は与える
自身のハートを他者に
それは何かを得たいという欲望ではなく
何かを分かち合いたいという渇望だ

満たされたものの
平安と静けさと歓び
そしてこれらを分ち合いたい
近しい人たちに
その人たちは友人かもしれない
その人たちは夫 妻 子供 父
母かもしれないし 誰でもだ
愛にははかりしれない涼やかさがある

その涼やかな愛こそが世界を救うとまで、Oshoは語っています。

では、その涼やかな愛をどのようにすれば手に入れられるのか。

それについてはOshoから聞いてください。

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今日はここまでとします。

えたに