OSHOの予知力

アメリカのコミューンの最後のときを考えたときに、OSHOがどうして突然コミューンを離れたのかということが、私にとってはひとつの謎でした。

この頃の状況をいろいろ考えたり、当時のことを知っている人たちからそのときの状況を聞いたりして私なりに得た結論は、OSHOはコミューンを離れることで、コミューンの人々を救ったのだということです。

当時、シュンニョが書いているように、州警察の警官隊がコミューンの襲撃命令のために待機しているという噂がありました。
そして、それは事実だったことが、のちに公文書で明らかにされています。

リーラという人がいます。

とてもサイキックな人で、過去世の話や死後の世界についても日常にある普通のことのように話したりするので驚くのですが、彼女のお父さんが亡くなったときのことを話してくれたことがあります。

彼女のお父さんは死後の世界など信じない人だったらしいのですが、「死んだらわかるわよ」とリーラはお父さんに言っていて、「死んだら、あの世のことを教えてちょうだい」とリーラは言っていたらしいのですが、彼女のお父さんは90歳近くでなくなって、死後リーラに会いに来たそうです。

そのときにすでに亡くなっていた彼女のお母さんに会いたいと言ったらしいですが「お母さんはすでに別のところに生まれているので、会いに行かない方がいい」とそのお父さんに言ったというのです。

私がリーラの日本での瞑想のためのワークショップをオーガナイズしていたときに「日本にオーラソーマを紹介するといいわよ」と言って、私にオーラソーマを紹介してくれたのもリーラです。ユニティインスティチュートではサトルボディヒーリングなどを教えています。

そのリーラは、ずっとアメリカのコミューンにも住んでいたので、彼女に当時の状況のことを聞いたときに話してくれたことがあります。

当時、彼女はしばしばコミューンが襲撃されるヴィジョンを見ていたのだそうです。
それが何日か続いたあと、OSHOがコミューンを離れてから、そのヴィジョンを見ることがパッタリなくなったのだそうです。

アメリカではその何年か前に、ある宗教団体のコミューンがアメリカ政府の警察隊の襲撃を受けて、そこにいた多くの人が殺戮された事件がありました。

記憶に新しい出来事では、大量の化学兵器が隠されているという理由で、アメリカはイラクを攻撃して、フセインをつかまえましたが、あると言われていた大量の化学兵器は結局見つからなかった、ということがありました。

その同じ危険がコミューンに迫っていたのを見て取ったOSHOは、自らがおとりとなってコミューンを出たのではないかというのが、私の仮説です。

OSHOはそのための準備をしていました。
赤い服やマラを捨てるようにと宣言し、ブッダフィールドがなくなるということを宣言したのも、その後の事態を予見した上でのことではなかったかと思われます。

OSHOがコミューンを離れることで、そのにいた人々は救われることになりましたが、OSHOは逮捕され、収監された刑務所でタリウムという毒を飲まされて、放射能をあびせられ、その後体調の不全に苦しみ、それが原因で亡くなることになります。

OSHOの予知力についてはシュンニョは次のように書いています。

「OSHOには未来が見えるのではないかと思うことがときどきありました。
私でさえ未来のできごとについてちょっとした予感が働くことがあるのですから、OSHOには未来のできごとの全体像が見えないはずはないと思えるのです。

それでも私が理解するには、彼の教えのすべては「この瞬間に在ること」にあります。
「この瞬間」がすべてです」

「未来のことなどだれが気にかける? 私は『今』生きている」──OSHO

OSHOがコミューンを離れる前夜、シュンニョはある夢を見ます。
その夢は、その後に起こることの前触れを予見したものでした。

シュンニョは書いています。

「10月のある晩、こんな夢を見ました。
OSHOが急いでこの家から出て行こうとしています。
まるで地獄のようにごったがえした家のなか、私はハンガーにかけたOSHOの1枚のローブを手にして、部屋から部屋へと駆け回っていました。

不思議なことに、のちにOSHOが逮捕されたとき、OSHOはこのグレートホワイトのローブを着ていました。
夢にはシーラの仲間のサヴィータもでてきて、私の行く手をふさいでいました。

その晩私は無意識のなかで、これから起ころうとしていた出来事の波動を感じていたに違いありません。
未来は、すでになんらかのかたちで現在のなかにあるのでしょう。

翌日の午後、OSHOは山のなかで休暇を過ごすために、しばらくここを離れる予定だと聞きました。
私もOSHOと行くことになりました。

ムクティ(OSHOの調理係)、ニルパ、デヴァラジ、ヴィヴェック、それにジャエッシュと一緒です。

ジャエッシュとがはじめてラジニースプーラムを訪れたのは、ほんの2、3ヶ月前のことでした。
彼はカナダの成功した実業家でしたが、車で通りすぎるOSHOの目をひとめ見ただけで、それまでカナダでしていたことをすべて清算することに決めました。

彼はそのままホテルに戻って、カナダに電話を入れたのです。
自分の師(マスター)を見いだした探求者がどのようにふるまうかを理解しない人たちは、彼は催眠をかけられたと思うでしょう。

ジャエッシュとは洗練されたハンサムな男性です。
決断力と意志の強さに釣りあった、ユーモアのセンスの持ち主でもあります。

愛に満ちたハートと世間のことによく対処できる鋭敏なビジネスマインド──
なかなかあいいれないこの二つを兼備した彼は、その仕事ぶりによって、のちに急成長をとげたOSHOの最後のコミューンの基盤を据えました。

ジャエッシュとがいなかったら仕事ははるかに困難だったろうとOSHOが言うのを、私は何度も聞きました。

ジャエッシュとにその仕事を勧めたのはハシヤでした。
OSHOはみずから彼女を新しい秘書に選んだのです。

ハシヤはシーラとはまったく対照的でした。
彼女はハリウッド出身で、優雅で魅力的で、知性的な人でした。

私たちは車で空港に向かいました。
そのあいだ、空は夕日に照らされて、明るいオレンジ色に輝いていました。

二機のジェット機が待っていました。
私はニルパとムクティといっしょにその一機にのりました。私たちは窓に顔を押しつけて、滑走路の友人たちに手を振りました。

数分後、私たちは空の上にいました。
ジェット機は機首を上げ、さらに上空へと向かっています。
私たちは目的地を知りませんでした。それがおかしくて私たちは笑いました」

 

「和尚と過ごしたダイアモンドの日々」

(本書は絶版になっています。 お問い合わせはinfo@oejbooks.comまで)