アメリカの正義

OSHOとそのまわりにいた数人の人たちが小型ジェット機でアメリカのコミューンを旅立ちました。
降り立った先はノースカロライナ州のシャーロット。

そこからOSHOが体験したことは、まるで映画のシーンです。
それはアメリカの真実のひとつの側面を映し出すものでした。
ケネディが暗殺された国。
キング牧師が暗殺された国。

シュンニョは書いています。

『アメリカの正義』と呼ばれるものは茶番でしたーー
その後の4日間に私が法廷で目撃したのはそのことです」

この間に起こったことをここで詳述はできませんので、詳しく知りたい方はシュンニョの本を読んでいただればと思います。
ここではいくつかのトピックを紹介します。

そのような状況のなかでOSHOはどのようにふるまっていたのか、ということを知る機会にもなります。

このできごとのなかで、アメリカ政府はどのようにOSHOを扱ったのかということは、国家権力のあり方をつぶさに知る機会にもなります。

実際に自分が事件の渦中に置かれて、それがまわりでどのように噂され、報道されるのかということを一度体験すると、世間の噂やメディアでの放送ということがいかにいい加減なものであるかということが身にしみてよく分かります。

今回はシュンニョの体験を通してですが、政府がどのように権力を行使しているのかという実態を知るにはとてもいい機会になります。

そこでのできごとは、小説や映画の世界のなかで起こったことのように思えますが、実際にOSHOやシュンニョたちに起こったできことなのです。

シュンニョは書いています。

1985年10月28日、リア社製の小型ジェット機は、ノースカロライナ州のシャーロットに着陸しようとしていました。闇のなかに荒涼とした空港が見えます。

ところどころに背の高い草がまばらに生えた茂みがあり、着陸するジェット機の起こした一陣の風に揺れていました。

エンジンが止まってからニルパはハンニャを見つけました。
ハンニャはまだとても若いのですが、ニルパの義理の母にあたり、シャーロットで私たちは彼女のところに滞在する予定でした。

ハンニャは友人のプラサードといっしょに滑走路に立っています。
ニルパははしゃいでハンニャに声をかけました。

「手をあげろ!」という大きな声があちこちから聞こえたのはそれとほとんど同時でした。
そしてたちまち私は別世界に放り込まれたのです。

一瞬の空白状態のなか、マインドは「これは現実じゃないわ」と言いました。
ほんの2、3秒の間に、飛行機は、武装した15人ほどの男たちに包囲されていたのです。
私たちに銃が向けられていました。

それは現実でした。
暗闇、点滅する明かり、ブレーキの悲鳴、どなり声、パニック、恐怖──それらのすべてが私のまわりで起こっていました。

それでも取り乱すわけには生きません。
その場の危険が身にしみてわかったからです。
「くしゃみもだめよ‥‥‥」私は自分に言い聞かせました。
「‥‥‥それだけでも撃たれるわ」。
銃を持った男たちはひどく恐がっているようでした。
それには理由があったのです。

その事件から3年後、あるフリーランスのジャーナリストが関係当局にインタビューしました。
それによると、私たちを包囲した男たちは、二機の飛行機の乗員を逮捕せよという命令を受けた際に、私たちは軽機関銃で武装した逃亡中の犯罪者もしくはテロリストだと聞かされていたというのです。
そのジャーナリストはそれを裏付ける書類も見せられています。

男たちはランバージャック・シャツにジーンズといった服装でした。
私はてっきり、オレゴンかアメリカ南部の白人グループが、OSHOを誘拐しにきたのだと思いました。
それが逮捕だということも聞かされていませんでしたし、男たちがFBIのメンバーだったとも知りませんでした。

私の目にしているのはプロの殺し屋です。
人間性を失った倒錯した人たちという印象を受けました。
表情の欠けた目は空洞のようでした。

男たちは「手をあげて飛行機から出ろ」と叫んでいました。
パイロットはドアを開けたのですが、私たちは出られません。
OSHOのアームチェアがつかえていたのです。

• • •

銃を持った男たちは「じっとしていろ!」「飛行機から降りろ!」「動くな!」という具合いに、矛盾した命令を叫んでいました。
モンティパイソンの一場面みたいです。

やがてようやくOSHOのアームチェアが取り除かれ、男たちは飛行機に飛び乗ってきました。
ムクティは靴を履こうとしゃがんだために、あやうく頭を撃たれるところでした。

滑走路に出ると取り調べを受けるために、手をあげ足を広げて、ジェット機の機体にお腹を押しつけるように言われました。
私たちに荒々しく手錠がかけられたとき、私はハンニャのほうをふり向き、おびえた様子をしていた彼女に「だいじょうぶよ」と言いました。

それから私たちは空港のラウンジに座らされました。
机や棚や鉢植えの陰には銃をかまえた男たちがいます。
銃身を切りつめた散弾銃を入り口の方に向けていました。
私たちはそんな状態でOSHOの飛行機が着陸するのを待っていたのです。

重たいブーツのたてる足音、プラスティックの防弾チョッキが腕をこする音、無線機を手に指令する押し殺した声。やがて1台の飛行機の着陸音が聞こえてきました。
その後の5分間はおそろしいものでした。

私たちは彼らがOSHOになにをするかわかっていません。
ニルパは滑走路が見えるガラスのドアのところまで行って、警告の合図を出そうとしていましたが、銃を突きつけられて、椅子に戻るように命令されました。

私はそうして待ちながら、死のような沈黙を感じていました。
暴力的な男たちの手のうちにあり、なにひとつできないという無力感がありました。

殺風景な待合室の緊張に、息が詰まるようでした。
やにわに男たちのあいだから、パニックにとらわれたような叫び声があがりました。
着陸したジェット機のエンジンがいつまでも停止しないので、その理由がわからなくてあわてていたのです。

エンジンが動いていたのはただ、OSHOのためにエアコンを動作させておくためでしたが、それを知らない男たちは、それにおおあわてでした。
一刻一刻がすぎていきます。
私は胸が悪くなるほど空虚に感じていました。

OSHOがガラスの扉から入ってきました。
手錠をかけられています。

散弾銃をかまえたふたりの男に両脇をはさまれています。

OSHOが待合室に入ってくる姿は、弟子たちに朝の講話をするためにブッダホールに入ってくる姿と変わりませんでした。
彼は静かです。
鎖につながれて待っている私たちを見て、顔に笑みが浮かびました。

彼はまるで「ドラマ」のなかを歩いているようでした。

それは今まで見たことのないドラマでしたが、彼にとっては同じことです。
外側で起こっているどんなことも、彼の「中心」には触れられません。
そこにはおそらく、静まりかえった深い湖があるのでしょう。

つぎに起こったのは茶番でした。
聞いたこともない一連の名前が読み上げられたのです。
ドラマの筋はさらに混沌としてきました。

「あなたがたはまちがった人を捕まえているわ」とヴィヴェックは言いました。

ドラマの筋書きも、配役も間違い?──すべてが奇怪に見えました。
一連の名前を読み上げた男は、紙を赤く染めた白子のように見えました。
その男は強い性的な波動を放っていました。
「この人は他人を傷つけるのを楽しんでいる」そんなふうに思いました。

私たちは逮捕されたのかどうか何度も尋ねましたが、なんの答えもありません

 

「和尚と過ごしたダイアモンドの日々」

(本書は絶版になっています。 お問い合わせはinfo@oejbooks.comまで)