ウルグァイを飛び立って、次に向かった国はジャマイカでした。
一方、OSHOと会ったウルグアイの人たちは、政府を相手に訴訟を起こしていました。
政府がOSHOの永住ビザを取り消したのは違法行為だったばかりではなく、それは「ウルグアイは自由な国だ」というウルグアイ人の幻想を壊したというのです。
シュンニョは書いています。
「私たちは空港で出迎えを受け、アループがOSHOのために見つけた家へと連れて行かれました。
アループは堅実で信頼できる女性です。
ラクシュミとシーラという、OSHOのそばにいたふたりの暴君と働くという経験さえも、ほほえみを浮かべて切り抜けてきました。
彼女はポルトガルにいるハシヤとジャイエッシュと連絡を取りつづけていました。
OSHOがウルグアイに滞在することがどれだけ危険になったかを知るアループは急いでジャマイカに飛び、OSHOが安心して滞在できる家を見つけてくれたのです。
それはある有名なテニス選手の家でした。
広大な敷地のなかにある広々としたバンガロー式の建物です。
庭にはプールがあり、島の美しい眺めが広がっていました。
私たち一行のほとんどはまだウルグアイに残っていて、家を片付けたうえで状況の進展を見守っていました。
私たちと会ったウルグアイの人たちは、政府を相手に訴訟を起こしていました。
政府が和尚の永住ビザを取り消したのは違法行為だったばかりではなく、それは「ウルグアイは自由な国だ」というウルグアイ人の幻想を壊したのです。
自分の国が「北の人たち」(ウルグアイ人はアメリカ人のことをこう呼びます)の支配下にあることを知り、ウルグアイの人たちは傷つきました」
「OSHOとともに過ごしたダイヤモンドの日々」
http://u111u.info/kBc1
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