OSHOウルグァイを離れる

状況の変化を見て取ったOSHOは、ウルグァイを去りたいと言うようになりました。
そして間一髪、OSHOは逮捕を免れ、ウルグァイを離れたのです。
それと交換に、アメリカ合衆国はウルグアイに対する新たな一億五千万ドルの貸付金について発表しました。(当時の換金レートで350億円以上に該当)

シュンニョは書いています。

警察はそのまま立ち去りました。それでも状況は、すでに複雑で好ましくないものになっていました。
それにOSHOはウルグアイを去りたいと言っているのですから、ここでの滞在はもう終わるしかありません。
それでもまだ、いくらか心残りがありました。
私たちはまだ、現実を直視することを拒んでいたからです。

六月の第二週に、ジョンとイザベルは、アルヴァレスからこんなふうに言われました。

―――OSHOは少なくとも、あと六週間は滞在できる・・・・・・
そしてそれだけ待てば、永住ビザはほぼまちがいなく手に入る。
それは朗報でした。
まさに私たちが望んでいたような朗報でした。

六月十六日、私はモンテビデオの歯医者に行ったついでに、いつものようにマルコスが家族といっしょに暮らしている家を訪問しました。
私がこの朗報のことを話すと、マルコスはびっくりしてこう言いました。

―――和尚は六月十八日までに出国しないと、逮捕される・・・・・・
サンギネット大統領は何年かぶりにワシントンを訪問し、レーガン大統領と会談している・・・・・・
アメリカからウルグアイへの新規への貸付金についてだ。
私はすぐに家に戻りヴィヴェックにこれを伝え、彼女はそれをOSHOに伝えました。

すぐに自家用機が手配され、新しい国に入国するための準備が始まりました。
私たちが新たな希望をかけていたのは、ジャマイカでした。
私はその日の夜までに荷造りを終え、翌朝、ラフィアといっしょにジャマイカ行きの飛行機に乗りました。
OSHOはヴィヴェック、デヴァラジ、アナンド、ムクティとともに、あとから自家用機で来ることになっています。

OSHOがウルグアイを離れたその日、ウルグアイ内務省には、毎時零分にワシントンから電話があったそうです。OSHOが出国したかどうかを確認するための電話でした。

十八日の午後五時、アルヴァレスから電話がありました。
彼は出入国管理局から電報を受け取っていました。
その日の午後五時三十分までに出入国管理局に出頭しないなら、OSHOは逮捕されることになる―――
それを通告するための電報でした。

私はつぎのように聞きました。
午後六時三十分ごろ、OSHOは私たちにとってはミステリースクールになっていたウルグアイの家を離れました。

ちょうどそのとき、三台のパトカーが到着し、空港までOSHOの車のあとをついてきました。
空港に着くと、家に住んでいたサニヤシンはみんな、マルコスといっしょに歌い、踊り、お祝いしました。
警官たちは呆然とした顔でそれを見ていました。
彼らのお祝いで、空港の張り詰めた雰囲気がやわらいでいくなか、OSHOは待機していたジェット機に向いました。

ジェット機が空高く舞い上がり、点滅する灯火しか見えなくなったとき、さらに何台ものパトカーが猛速度で空港に乗り入れてきました。
六月十九日、アメリカ合衆国は、ウルグアイに対する新たな一億五千万ドルの貸付金について発表しました。

 

「和尚と過ごしたダイアモンドの日々」

(本書は絶版になっています。 お問い合わせはinfo@oejbooks.comまで)