恋愛結婚の破綻はどうして起こるのか?
私たちの両親が80歳前後であれば、その両親はほとんどが見合い結婚でしょう。
その次の世代ぐらいからは恋愛結婚が普及しましたが、そうなると今度は自分で相手を捜さなければならなくなります。
それで最近はインターネットでの出会いサイトで相手を捜したり、プロの仲人業とかが出てきたりしているようです。
それはそれで、また大変なのかもしれません。
今はセミナー講師のミスティカがアメリカから来日してわが家に滞在していますが、どこかで「日本人の30歳以下の女性の25%がバージンだ」という記事を読んだみたいで、「日本はどうなってるんだ?」って驚いてました。
その真偽はともかく、せっかく愛する人を見つけて恋愛結婚にこぎつけたとしても、「米国では2組に1組が離婚」「日本では3組に1組が破局」という記事があったりします。
どうして、そのように結婚は破局にいたるのか、ということについて、OSHOは語っています。
それは「愛が起こるまで待つことを、あなたは知らなかったからだ」とOSHOは言います。
では、愛とは何か?
OSHOに言わせれば「愛とはなにかあなたは知らない」ということなので、では「どうすれば愛を知ることができるの?」って思いますが、そこでOSHOはそのヒントも語ってくれています。
「『待つ』という瞑想的な境地を学ばなければならない」と。
インターネット社会になり、変化のスピードがますます加速し、すべてがインスタントに、簡単に、やさしくなければ興味を持てなくなってしまっている現在社会の風潮のなかで、待てなくなっている現代人にとっては「待つ」という瞑想的な境地って、ずいぶんハードルが高いように思われます。
シュンニョは語ります。
「東洋では、両親が結婚相手を決めるのは、時代遅れになってきたとはいえいまでもありふれて見られることです。
それは愛の不確実性に対処するためのひとつの方法でした。結婚制度とはそのようなものです。
OSHOはこんなふうに語るのを聞いたことがあります。
「古い結婚は破綻した。新しい結婚も破綻しつつある。
新しい結婚は古い結婚への反発から生まれたにすぎないのだから。
それは理解からではなく、反発と反動から生まれたものだ。
いわゆる『恋愛結婚』というものがそれだ。
愛とはなにかあなたは知らない。
ただ美しい顔、美しいからだを見てあなたは思う。
『ああ、私は恋をしている』
こういった恋愛は長続きしない。二日もつづけて、同じ顔を二十四時間見ていたら、あなたは退屈するだろう。
同じからだ・・・・・・あなたは隅々まで探検してしまった。
もう探検するところはない。
同じ土地を何度も探検しているうちに、自分が馬鹿になったように思えてくるだろう―――なんでこんなことをしているんだ?
こうした恋愛、こうした恋愛結婚は破綻しつつある。
いや、すでに破綻している。
その理由は、愛が起こるまで待つことを、あなたは知らなかったからだ。
あなたは『待つ』という瞑想的な境地を学ばなければならない。
そのとき愛は激情ではない、欲望でもない。そのとき、愛は性的なものではない。
そのとき、愛は同じリズムで鼓動するふたつのハートを感じることだ。
美しい顔や美しいからだの問題ではない。それはもっと深いものだ。
それは調和の問題だ。
調和から愛が生まれたならば、そのときはじめて私たちは、順調な生、充足した生を知ることになる。
そして、そうした生のなかで、愛はますます深まっていく。
その愛は外面的なものではなく、内面的なものに依存しているのだから。
その愛は鼻のかたちや高さにではなく、同じリズムで鼓動するふたつのハートを感じることにかかっている。
そのリズムはさらに育ち、新しい深み、新しい広がりが加わることもあるだろう。
セックスはそうした愛の一部にはなりうるが、その愛は性的ではない。
セックスは愛のなかに入りこみ、愛のなかで消えるかもしれない。
その愛はセックスよりもはるかに大きい。
だからあなたの愛する人が若かろうが老いていようが問題ではない」
「OSHOと過ごしたダイヤモンドの日々」
http://u111u.info/kBc1
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