自由と責任
OSHOはアメリのコミューンではゲストとして、3年半の間、沈黙のなかに過ごしていました。 毎日プールで泳ぎ、ドライブに日に1度か2度でかけ、あとはただ沈黙のなかに過ごしていました。 そのOSHOは口を開き、話しはじめる時…
OSHOはアメリのコミューンではゲストとして、3年半の間、沈黙のなかに過ごしていました。 毎日プールで泳ぎ、ドライブに日に1度か2度でかけ、あとはただ沈黙のなかに過ごしていました。 そのOSHOは口を開き、話しはじめる時…
アメリカに建設されていたコミューンがどうして破壊されなければならなかったのか? そのことにどうして私がこだわるかというと、そこはあまりにも美しい楽園だったからです。 天国があるとすればまさにそこがその場所でした。 人々は…
アメリカに建設されていたコミューンがどうして破壊されてしまったのかということは、いろいろと考えさせられましたが、そのひとつのヒントをシュンニョが書いてくれています。 そのヒントとは、権力欲とそれをゆるしてしまった自由と個…
今回は、OSHOがどのようにものごとに対処するかということについて書いてみます。 このシュンニョの手記には、私たちがふだん接することのできないOSHOのことが書かれてあります。 そのOSHOの行動を知ることで、OSHOが…
アメリカで建設されたコミューンについて、私にはずっと解せないことがありました。 それは、どうしてあれほどの美しいコミューンが崩壊することになったのか、ということです。 ひとつには、外側からの理由としてはアメリカ政府の方針…
人生のなかで、命拾いした、とか危機一髪の状況って、経験したことがあるかと思います。 車を運転していて、危うく事故になるような状況で難を逃れて胸をなぜおろしたりとか。 私の場合だと、趣味でロードレーサーのバイク(自転車)で…
1981年6月にOSHOはアメリカに渡り、それから1985年に再び語り始めるまでの間、3年半に渡って、沈黙(サイレンス)の期間を過ごしました。 その間、ごく一部の限られた弟子との限られた会話以外にパブリックで話すことはあ…
OSHO秘話ヒストリアシリーズ、第6話。 今回もOSHOのドライブネタでお送りします。 このシュンニョの記事を読んだ時に、映画の「イージーライダー」の最後の場面が思い浮かびました。 イージーライダーの二人がバイクを走らせ…
OSHOがアメリカにいた頃、毎日ドライブしていたそうなのですが、スピード違反のチケットを2回切られたそうです。 それだけではなく、OSHOのドライブには、いつも秘書とか身近でお世話をしている人が同乗していたそうですが、そ…
禅の公案に「なぜ達磨大師が遠路はるばるインドから中国へと渡られたのでしょうか?」(「如何なるか是れ祖師西来意」)という公案があります。 今回は「なぜOSHOは遠路はるばるインドからアメリカへと渡ったのか?」について、シュ…