破れた夢からどのように抜け出すか

OSHOほど何ごとにもくじけない人はいないでしょう。

96台のロールスロイスを集め、アメリカのコミューンが成功寸前にまでいっていたのに、その翌日には逮捕され、拘置所を点々と引きずり回され、インドに戻っても居場所はなく、インド政府までがOSHOを逮捕しようとします。

そんななかでOSHOは危機一髪でネパールを脱出します。

そんな人生を送れば、ふつうならかなり落ち込んでも不思議ではないと思うのですが、OSHOにはまったくその気配がありません。

OSHOにとっては何ひとつ不満はなく、失望したことはなく、なにも間違った方向には進まない、というのだから驚きです。

破れた夢からどのように抜け出すのか?それはアメリカのコミューンを失い、途方に暮れていた人たちへのメッセージでもありました。
とても勇気づけられるメッセージです。

あれだけの経験をしてきたOSHOがこのように言えるのなら、自分の苦労なんてほんとうにちっぽけなもので、くじけたり、失望なんてしていられない。また立ち上がろうという気にさせられます。

OSHOの場合は、あれだけの経験の後でも、そもそも失望さえもないようなので、立ち上がることさえも必要ないわけなんですが。。。

エジソンが世界で初めての電球を発明するため試行錯誤していたとき、発光部分であるフィラメントとしての素材がなかなか見つからず失敗が続いていたきに、実験が失敗すればするほど、成功に近づいていると考えたのに似ています。

もっともOSHOの場合は、そのような外面的な成功が問題ではなく、いかに自分の内側にある最善のものが育っていくか、いかにその中心に定まっていることができたのか、ということです。

そこはどんな失望さえもない、至福の状態があるようです。

OSHOはネパールに着いたその翌朝から、自分の居間で10人ほどのグループを前にして講話をはじめました。

その最初の質問は「不確実性の時代」の生き方についてです。

質問:

「この不確実性の時代における最良のものと最悪のものは、その両方とも、あなたを囲む私たちのなかから生まれるように思えます。これについてなにかおっしゃっていただけますか」

OSHOは語ります。

「『不確実性の時代』などというようなものは存在しない。
時代というものはつねに不確実なものだからだ。

マインドにとってそれは受け容れがたいことだ。
マインドは確実なものを欲しがるのだが、時代はつねに不確実だ。

だから、たまたまちょっとした確実性の空間が見つかると、マインドは落ち着きを覚える。
永遠につづくという幻想がマインドを包み込む。

マインドは存在と生のほんとうの質を忘れがちだ。
マインドは一種の夢の世界に住むようになり、
見せかけのものと真実のものとを混同するようになる。

それはマインドにとって心地よい。
マインドはつねに変化を恐れているのだから。

そうした恐れは、単純な理由によるものだ──
変化がなにをもたらすのか、
それが良いものになるのか悪いものになるのか、
だれにわかるだろう?

ひとつだけ確実なのは、
変化によってあなたの幻想、期待、夢の世界がぐらついてしまうだろうということだ」

OSHOはさらにこんなことを言いました──
あなたの大事にしてきた幻想のひとつが時によって打ち砕かれるとき、あなたの仮面はむしりとられる。

ラジニースプーラムでは人々が一生懸命に働き、そして最後の仕上げをしようという段階になってすべてが崩壊したとこについて、OSHOはつぎのように語りました。

「私はくじけてはいない。
私は一瞬たりとも過去をふりかえったことがない。
それは美しい年月だった。
私たちは美しく生きた。

そしてものごとは変化する──
それが存在(イグジスタンス)の本来の姿だ。
私たちになにができるだろう? 

私たちは、いまなにか別のものを創造しようと試みているが、それもまた変化するだろう。
この世で永遠のものはなにもない。変化だけが永遠だ。
ほかのすべては変化する。

だから私には不満がない。
なにかがまちがった方向に進んだと感じたことは一瞬たりともない‥‥‥ここではすべてがまちがった方向に進んでいるのだが、私にとってはなにもまちがった方向には進まない。
私たちはただ、トランプの札で美しい城を作ろうとしていたにすぎない。

私以外はだれもがくじけているのだろう。
そして彼らは私に腹を立てている。
私は不満をもっておらず、彼らに同調しないからだ。
そのことで彼らはいっそう腹を立てる。

私も腹を立て、不平を言っているなら、
そして私もとてつもなく混乱しているなら、
彼らもなぐさめを感じられただろう。
だが私はそんなふうではない。

いま別の夢を実現に向かわせるのは困難だろう。
ひとつの夢を実現するために働いてきた人たちの多くが、敗北主義に陥っているからだ。
彼らは敗北を感じている。

彼らはこんなふうに感じている。──
現実もしくは存在は無垢な人々の味方しない。

なにも悪いことをしておらず、
ただ美しいものを創造しようと試みている人々に味方しない。

だがそうした人々に接するときにさえ、
存在は同じ法則をあてはめていく。

存在は例外を作らない。

それがつらいことはわかる。
だがそのつらさへの責任があるのは私たちだ。

生は公平ではない、生は正当ではないと感じるだろう。
それは私たちの手からおもちゃを奪い去ったのだから。

だが、そういった大げさな結論をそんなに急いで下さないほうがいい。
もう少し待ちなさい。

すべての変化は結果的には良いものなのかもしれない。
もっと忍耐強くありなさい。
生にもう少しばかりの自由を与えなさい。

私は生涯にわたり各地を転々としてきた。
なにかに失敗したせいだ。

けれども失望したことはない。
何千もの夢が破れたとしても、私は落伍者にはならない。

むしろ、夢がひとつひとつ破れるたびに、私はますます勝利を収める。
なぜなら、それが私をかき乱すことはなかったし、
私に触れることさえできなかったのだから。

夢の消えたことは強みになる。
それは成熟を学ぶための機会だ。

そうしたことにより、あなたのなかにある最善のものが育っていくだろう。
そしてなにが起ころうとしても、それはたいしたことでない。

ただ、あなたのなかにある最善のものがさらなる高みに向かって育ちつづけてゆく。

たいせつなのは、破れた夢からどのように抜け出すかだ。
かつて抱いた大きな期待は空中に消えさってしまった。
その痕跡さえ見えなくなった。

どのように抜け出すのか? 
何の傷も負わずに抜け出せたなら、
あなたは大いなる秘密を知ったことになる。
マスターキーを発見したのだ。

そうすればあなたを打ち負かすものはない。
あなたをかき乱すものはない。

あなたを怒らせたり、後戻りさせたりするものもない。

あなたはつねに新しい挑戦を求めて未知へと進むようになる。
そしてそれらすべての挑戦は、
あなたのなかにある最善のものをさらに研ぎすますことになるだろう」

 

「和尚と過ごしたダイアモンドの日々」

(本書は絶版になっています。 お問い合わせはinfo@oejbooks.comまで)