OSHOがここで語っている「ミステリースクール」は、ある意味、OSHOの居るところにはどこでも「ミステリースクール」とも言えるのですが、OSHOが1986年、インドのプネに戻って、彼が講話を始めたときにも、そこでも「ミステリースクール」がはじまりました。
OSHOはそこをマルティバーシティと名づけていました。ユニバーシティではなく、マルチのさまざまなことを学ぶ大学という意味です。
そのなかのひとつに「ミステリースクール」の学部があり、カヴィーシャがディレクターを務めていましたが、その後,プラサードがその「ミステリースクール」のディレクターを勤めていました。
この学部ではOSHOのさまざまな瞑想技法とともに、肉体を離れる技法、過去生を思い出すための技法としての催眠、古代チベットの技法、スーフィーの技法、タントラの技法などを体験し、実験するさまざまなトレーニングやワークショップが開催され、私もそれらを学んでいた時期があります。
そのプラサードを日本に招待して立ち上げたスクールがユニティインスティチュートです。
そこでプラサード、リーラたちが教えていたことを、日本人にもわかりやすく体験できるようにして体系立てて提供しているのが「サトルボディヒーリング」です。
https://unityinstitute.jp/mail/order_book1.cgi
また肉体を離れる技法などについては、今年の2月にOEJ Booksで発売された
「死についての 41の答え」に詳しく解説されています。
このような実験がなされていた「ミステリースクール」の時代が懐かしく思い出されます。
その「ミステリースクール」の誕生が、このウルグァイでの講話でした。
シュンニョは語ります。
「OSHOはさまざまな技法について語りました―――
肉体を離れる技法、過去生を思い出すための技法としての催眠、古代チベットの技法、スーフィーの技法、タントラの技法。
私は聞きながら興奮して、夢のなかにいるかのように頭がくらくらしました。
それでもOSHOはどんなときにも「観ること(ウィットネシング)(観照)」というテーマに戻ってきました。
肉体を離れる技法は「自分は肉体ではない」ということを知るためにはいいが、それ以外の価値はないと、OSHOは言いました。
過去生を理解し、自分が前にもここにいたことがあるのを知ることは、自分が同じ環のなかを堂々めぐりしていること、同じあやまちは前にも犯したことを知るためにはいい。
しかしその環から飛び出すには、瞑想と観照(ウィットネシング)が必要だとも言いました。
OSHOはさまざまな技法を紹介し、私たちにそれを試してみるように言いました。
それによって、私たちはマインドが肉体におよぼす力を知りました。
また、彼が私たちに試すように言ったテレパシーの実験では、私たちひとりひとりがどれだけ互いに影響をおよぼしあい、結びつきあっているかがわかりました。
それは「ミステリーサークル」の誕生でした。
庭にはかやぶき屋根の娯楽室がありました。
私たちはそこに集まり、カヴィーシャから催眠に誘導してもらいました。テレパシーの実験もしました。
そうした実験によって、みんなが調和し親密になってゆくにつれ、家の掃除や料理などといった日々の仕事がいっそう円滑に進むようになり、だれもほんとうには「働いて」いないかのようにまで思えてきました。
OSHOの講話、そしてさまざまな技法の実験を中心にして、毎日が過ぎていきました。
私たちはそうした実験で起こったことをOSHOに報告しました。
うまくいかないときにも、それを報告しました。
するとOSHOは新しい助言を与え、私たちを一歩ずつ、未知の領域へと導いてくれました。
私たちを神秘への旅に導きながらも、もっとも大いなる神秘とは、沈黙と瞑想だとOSHOは言いつづけました。
「スピリチュアリティとはきわめて無垢な意識の状態だ。
なにも起こらず、時間は止まり、すべての欲望は消え、渇望も野心もない。
まさにこの瞬間がすべてになる・・・・・・」
「あなたは分離している。まったく分離している。
あなたは目撃者(ウィットネス)にほかならない」―――OSHO
「和尚と過ごしたダイアモンドの日々」
(本書は絶版になっています。 お問い合わせはinfo@oejbooks.comまで)