この時期、OSHOの肉体と私たちとが出会うことができる時間は、秒読みの段階に入っていました。
OSHOがそんな状態であったにもかかわらず、シュンニョが書いているように「OSHOはこれからも何年も私たちとともにいるだろうと思って」いたのですから不思議です。
OSHOの肉体は、ほんとうに繊細で脆い状態であったにもかかわらず、彼のエネルギーは光に満ちて生き生きとしていたので、彼の肉体の弱々しさなどみじんも感じさせなかったのです。
私たちがこの世に生を受けて、死んでいきます。
私たちがこの世に生を受けるのは、どういう意味があるのでしょうか?
そういうことに悩んでいた時期がありました。
そして、ある時期において、私の得た結論が「人は悟るために生まれてくる」つまり、光明を得るために生まれてくるというものでした。
なぜなら悟ること、光明を得ることが、人間として成長することの究極の姿であり、人間の意識の究極の開花だと思えたからです。
その人間の意識の頂点が、お釈迦さまの得た悟りだと思えたのです。
そのために禅を学んで坐禅をしたり、悟りを得た人の指導を受けたくて、いろいろな人を尋ね歩いた時期があり、その結果出会ったのがOSHOでした。
¥それなら悟りのために一直線かというと、悟りというのは、そう簡単に得られるものでもありません。
そもそも悟りは求めて得られるものではなく、求めれば求めるほど遠のく蜃気楼のようなものだと気づいたときは、どうしていいのかわらなくなった時期もありました。
つまり「悟りを得たい」という「エゴ」ないし欲望がある限り、悟りは得られないようなのです。
なぜなら、悟りというのは、そのような欲望やエゴもなくなった状態を意味するからです。
悟りの状態をニルヴァーナとも言いますが、「吹き消す」という意味です。
辞書によると、煩悩 (ぼんのう) の火を消して、知慧 (ちえ) の完成した悟りの境地。
一切の悩みや束縛から脱した、円満・安楽の境地。仏教で理想とする、仏の悟りを得た境地、とされています。
お釈迦さまは、煩悩を生じていた欲望がすべて落ちたときに悟りの体験が訪れたと伝えられています。悟りたいという欲望さえも煩悩なのです。
それはともかく、それとは別に、OSHOがシュンニョに指摘しているように、私たちは光を求めながら、闇をも懐かしむところがあるようです。
つまり闇のなかではエゴが活躍できるのです。
光に近づくと、エゴが消えてしまうことになります。
エゴにとっては、それは死を意味することになります。
OSHOに近づくのは危険なことです。
OSHOは光でもあるので、エゴが存在できなくなります。
エゴは死ななければなりません。
それはエゴにとっては恐怖でもあるのです。
つまり、どうやら人間の心理には、悟りを求めながらも、悟りを避けるという心理もあるようなのです。
人間の心理というのは、一筋縄ではいきません。
シュンニョは書いています。
「アムリットがフルタイムでOSHOの世話をしていました。
私は午後の6時になると、OSHOを起こしに行きました。
私を目覚めさせるためにOSHOが姿を現そうとするときに、日覚めていない私の方が「目を覚ましてください」と彼に言うのは、いつでも奇妙な感じがするものでした。
彼はシャワーを浴び、ブッダホールに行きます。
そして7時45分までには部屋に戻ってきて、ベッドに入りました。
彼が節約した、かけがえのないエネルギーは、毎晩、彼の人々に会うためにとっておかれるのでした。
彼はとてもゆっくリポディウムの上を動きました。
もう私たちと踊ることはできません。
彼はよく「私が踊らないので、みんなはさびしく思っているかね?」と尋ねました。
私はこんなふうに答えたことがあります。
「私たちがよろこび祝えるように、あなたが助けてくれるのを、 いつまでもあてにしているわけにはいきません。私たちは、自分自身の内側にお祝いの源泉を見つけなくては」
こう言ったとき、私は自分の言葉が冷淡に思えて変な気がしました。
でも、私が言ったことは真実でした。
私たちがよろこび祝い、とても幸せでいるのを見るとき、OSHOはいつもうれしそうでした。
彼は一人ひとりを見ていました。
「ニーラムは、とても静かで幸せそうだ」と彼は言いました。
私たちの瞑想のなかで、しだいに沈黙が深まっていくのをOSHOはとてもよろこんでいました。
そして 何度も、みんなはほんとうに理解するようになってきたと言いました。
「沈黙はとても堅固になりつつある。ほとんどそれに触れられるほどだ 」と彼は言いました 。
彼は実務的なことにはめったに関わりませんでしたし、誰と話すこともありませんでした。
アナンドだけが例外でした。
彼女がきわめて重要な仕事をしているときには、OSHOは彼女と10分ほど話しました。
「ジャイエッシュは私に会いたがっているかね」と彼が私に尋ねたときがありました。
私が 「いいえ」と答えるとOSHOは言いました
「みんながこれほど愛に満ちて、繊細だとは、なんと美しいことなのだろう。誰も私になにも求めない」
そのころ私は幸せでした。
OSHOはこれからも、何年も、私たちとともにいるだろうと思っていました。
私が個人的に彼と会った最後のとき、彼はどんなふうに見えるかと聞かれました。
「弱々しく見えないかね? 」
「いいえ、OSHO」と私は答えました。
「あなたはいつもすばらしく見えます。ほんとうに元気そうに見えるので、病気だなんて信じられないくらいです」
翌日、私は病気になりました。
私はいつも2、4カ月おきに風邪をひいていました。
それには心理的な要因があると思っていたのですが、それがどんなものなのかははっきりしません。
何年も前の講話のなかで、OSHOは私の質問に答えて、次のように言いました。
「あなた方は、ときどき私にとても近づいて、光に満ちる。
それがチェタナに起きていることだ。
彼女がときどき私にとても近づくのを私は見ている。
そういうとき、彼女は光にあふれている。
ところがまもなく、彼女は闇を懐かしむようになり、ふたたび私から遠く離れることになる。
そしてこれは、ここにいるみんなに起きていることだ。
あなたは、私に近づいたり、また離れたりする。
あなたは時計の振り子のようだ。
あなたはときには私に近づき、そしてときには離れてゆく。
だが、これは必要なことだ。
あなたがいますぐ、私のすべてを吸収するわけにはいかない。
あなたは学ばなければならない。
途方もないものを吸収すること、あたかも死のように見えるそのことを学ばなければならない。
だからあなたは、何度も私から離れる必要があるのだろう」
The Wisdom of the Sands
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