あなたがたに私の夢を残していくよ

 OSHOは臨終の際にジャエッシュに

あなたがたに私の夢を残してゆくよ

という言葉を残して肉体を去っていきました。

 ジャエッシュはOSHOの右腕として、
瞑想リゾートの実務的なものごとの運営
を担当していた人です。

 OSHOの弟子の人たちはとてもバラエティに富んでいます。

 ヒッピーから世界のトップセレブまであらゆる人材がいますし、
OSHOのファンもダライラマからレディガガまで多様です。

 ジャエッシュはそのトップセレブの一人で、カナダ人ですが、
アメリカでいえばケネディ家に相当するような家柄で、
お父さんは最高裁長官で、彼自身も超リッチのセレブです。

 彼はインドにいるときにもいつもボンベイや
さまざまなところを飛び回っていて、
彼とはときどきミーティングなどもしていましたが
ミーティングのアポイントを取るのもひと苦労でした。

 このシュンニョの手記にもジャエッシュのことについて、
OSHOは彼がいなければOSHOのワークはもっと時間が
かかっただろうとよく語っていたというふうに書かれています。

 またジャエッシュはOSHOを一目みたときに、
全ての予定をキャンセルしてOSHOの弟子になった
とも書かれています。

 しかし私が彼から聞いた話では、ジャエッシュはその前に
マスターがいたんだけれども、そのマスターからOSHOに
会うようにと言われて会いに行ったのだということでした。

 そこで一目OSHOをみて弟子になったということです。

 その彼にOSHOが最後に残した言葉は
「あなたがたに私の夢を残してゆくよ」
という言葉でした。

それからOSHOはジャイエッシュに、
自分がどんなにこのワークが拡大しつづける
ことを望んでいるかを話しました。

 そのOSHOが肉体を離れて25年になります。

 そのコミューンは現在はOSHOインターナショナル
瞑想リゾートとなり、このようになっています。

 シュンニョは語ります。

 それからOSHOはジャイエッシュに、自分がどんなに
このワークが拡大しつづけることを望んでいる
かを話しました。

 彼は、自分が肉体を離れることで、
もっとたくさんの人たちが訪れるようになるだろう、
もっとたくさんの人たちが関心を示し、
彼のワークは、わたしたちの想像を超えて、
信じられないほどに広がるだろうと言いました。

 彼が肉体という重荷を下ろすことで、
彼のワークはいまにもまして開花するということ、
それは彼にとってあきらかなことでした。

そして彼は言いました
あなたがたに私の夢を残してゆくよ

それから彼はとても小さな声で話したので、
ジャイエッシュは彼の口元に耳を寄せなければ
なりま せんでした。

OSHOは言いました

覚えておきなさい。アナンドが私の使 い(メッセンジャー)だ」。

 しばらく沈黙して から、こう言い直しました
「いや、アナンドは私の媒体(ミディアム)になる」

このときジャイエツシュは脇に寄り、
OSHOは私に言いました
ミディアムというのは適切な言葉かね?

その前の話が聞こえていなかったので、
私はなんのことかわからずに、
ミ―ティングとおっしゃいましたか?」
と尋ねました。

いや……」と彼は答えました
アナンドのことだ。ミディアム……彼女は私のミディアムになる

彼は静かに身を横たえました。
私たちは彼のそばに座り、
私は彼の脈をとりました。
ゆっくりとそ れは薄れてゆきました。

ほとんどそれを感じとれなくなったとき、
私はこう言いました 「OSHO、これが終わりだと思います」

彼はただやさしくうなづいて、眼を閉じたのが最後でした。

ラジニーシとは、満月の王を意味します。

OSHOはほとんど 一年近くを、
自室の暗闇のなかで過ごしました。

ベッドから出るのは、
私たちに会いにブッダホールを訪れるときだけでした。

 部屋はとても暗くしてありました。
窓には二重カーテンがかかり、
外からブラインドを下ろしていました。

月が欠 け つつあ るとき に
Oshoが肉体を離 れたと いう のは、
詩的 にふさわしいこと のように思えます。

 また、彼が肉体を離れてから21日目が満月となり、
皆既月食が見られたということは、
宇宙的 にもふさわしいことのように思えます。

 私は夜どおし月を見ました。

   銀から金へ、そして青へと月は その色を変えてゆき、
ピンクや紫の色彩がその表面で踊りました。

 たくさんの流れ星が見えました。
   満月の王が家に帰り着 いたことを、
   宇宙全体が祝 っているようでした。

 「私はあたりまえの人間だ」
とOSHOが言うのを私は何度も聞いています。

 「私のようにあたりまえの人間に光明が得られたのだから、
それはあなたがたにも可能なことだ」と彼は言うのでした。

 「The Transmission of the Lamp」と題された
  ウルグアイでの講話のなかで、
  Oshoは人の死んだ体から放射されるエネルギーについての
  質問に答えて つぎのように語っています

 「…だからインドでは聖者だけが火葬にされない。彼らは例外だ 。

 彼らの遺体はサマーディーーそれは一種の墓のことだが――
そこに安置される。

彼らの遺体が何年にもわたり、あるいはときには
何 百年にもわたって放射しつづけるように。

 だが、あたりまえの人間の遺体はすぐに焼かれる。
    できる かぎりすみやかにだ」

 自分のからだはすぐに焼きなさいとOSHOは指示していました。
   彼は聖者として崇拝されたくなか っ たのです。
   ただあたりまたの人のように焼かれるのを望んだのです。

「和尚と過ごしたダイアモンドの日々」
 (本書は絶版になっています。
 お問い合わせはinfo@oejbooks.comまで)