シュンニョの事故
生命が危険にさらされたとき、突然すべての細胞が目覚め、明晰に気づいてる瞬間が訪れることがあります。OSHOがトータルでいなさいということの意味が分かる瞬間です。 あるいは瞑想ということについて、目覚めて、気づいているとい…
生命が危険にさらされたとき、突然すべての細胞が目覚め、明晰に気づいてる瞬間が訪れることがあります。OSHOがトータルでいなさいということの意味が分かる瞬間です。 あるいは瞑想ということについて、目覚めて、気づいているとい…
OSHOのまわりで起こる出来事をみていると、どうしてこういうことが起こるのかが不思議です。 OSHOがしていることは、ただ沈黙のなかに座っているか、でなければ質問に答えて話しているだけです。しかしOSHOのまわりではいつ…
OSHOのワークをひとことでいうならば、新しい人類を生み出すことだったと思います。それは彼の言葉で言えば、「ゾルバ・ザ・ブッダ」ということです。 この宇宙は生命を生み出し、この地球でその生命が進化して人間になったと言われ…
もとめる答えを得るためには、どのような質問をするかということはとても大切なことです。 すでにその質問のなかに、その答えが含まれているとも言えます。 OSHOからどのような答えを得るかは、だれがどのような質問をするかという…
ワールドツアーの最初の地はギリシャのクレタ島でした。 OSHOは到着の翌日から講話を始めました。そこでの講話は「Socrates Poisoned Again After 25 Centuries」という本になって出版さ…
OSHOに残された時間はあと4年。タリウムの毒は着実にOSHOのからだを弱らせていきます。 そのうちの1年をOSHOはワールドツアーのなかで各地を転々として過ごすことになります。 結局ネパールでは3ヶ月のビザも切れる頃に…
OSHOほど言論の自由を行使した人はいないでしょう。 かつまた、OSHOほど真実を話すことにおいて妥協をしなかった人もいません。 普通は何かを話すときに、そのことを話したらどうなるかということについて、気兼ねや打算という…
ネパールでのOSHOの居住先はオベロイホテルになりました。 インドを中心として数カ国で高級ホテルチェーンを展開しているオベロイホテルの総オーナーがOSHOを助けることに関心を示したのです。 OSHOは毎朝居間で講話をし、…
「わが家とはなんでしょう?」という質問はOSHOとともにいて、身のまわりの世話をしているヴィヴェックからのものです。 それまで生涯をすごすわが家と思っていたアメリカのコミューンが突如としてなくなり、OSHOとともにそれま…
OSHOほど何ごとにもくじけない人はいないでしょう。 96台のロールスロイスを集め、アメリカのコミューンが成功寸前にまでいっていたのに、その翌日には逮捕され、拘置所を点々と引きずり回され、インドに戻っても居場所はなく、イ…