私がOshoに出会ったのは1985年9月、アメリカのオレゴンに彼のコミューンがあったときでしたから、この話はその17年前のことになります。
するとOshoは53歳。
長い白いひげを生やした古の賢者。
東洋でいえば老子のようで、80歳にも百歳にも見える、年齢不詳の聖者のようでした。
しかしたったの53歳だったとは。
この「一万人のブッダたちへの百話」でジョティがOshoに出会ったときはOshoが36歳の青年の時代。
彼女がそのときすでにOshoを63歳の間違いではないかと思ったのはうなずける話です。
ジョティはこのとき26歳。
真理を求め、マスターを求め、すでにたくさんの聖者とか大聖と呼ばれている人たちの講話を聞いてきて、インドで受け継がれてきた宗教的ゲームにすっかり幻滅させられていたのです。
そうしてこのときジョティはOshoに出会ったのでした。
ジョティは語ります。
「 私は26歳です。
1968年1月21日日曜日の今日、午後四時からOshoがボンベイ市内 のサンムカーナンダ ・ホールで講話をします。
私が真実を探し求めていることを知る友人から、 サンムカーナンダ・ホールに行 ってOshoの講話を聞くように勧められました。
私はすでにたくさんの聖者とか大聖と呼ばれている人たちの講話を聞 いてきて、インドで受け継がれてきたこの宗教的ゲームにすっかり幻滅させられています。
それなのにどういうわけか、アチャリア・ラジニーシとして知られているOshoには心が惹かれます。講話に行くことを決めました。
午後4時、サンムカーナンダ ・ホールの三階バルコニー席に続く通路を見つけました。ホール内は人でぎっしりと詰 っています。
たくさんの人びとが壁際に立ち、興奮した空気が漂 って います。しかも大変な騒々しさです。このホールは五千人は収容のできるボンベイ市内でも最大級のホールのひとつです。空席を見つけ、そこにゆったりと座り、リラックスしようと試みました。
すぐに純白のルンギとショールに身を包み、髭をはやした男性がポーディアム (演壇)に現 れ、両手を胸元で合わせて聴衆にナマステの挨拶をした後、足を蓮華座に組んで座りました。
私が座っている席からポーディアムはかなり離れているために、Oshoがどんな顔立ちをしてい るのかを見ることはほとんどできません。それでもハートはこの未知の人物の講話を聞く期待でドキドキとしています。
しばらくして、「メレ・プリア・アートマンーー愛する者たちよ」と聴衆に向かって挨拶する、美しくそれでいて力強い声が響き渡り、その瞬間、透き通るような静寂が聴衆席に広が りました。
Oshoの声によって深いリラクゼーションヘと導かれていきます。全くの沈黙のなかでOshoのことばを聴いています。マインドの活動が止まり、Oshoの声だけが私の内側で反響しています。
「ああ、そうかー」大きな理解と驚きの訪れです。Oshoはこのときまで何年間も私を悩ませてきた問題の全てに答えを差し出してくれているのです。
講話が終わりました。ハートが喜びで躍っています。
友だちに「やっと会えたわ、マスターにーーOshoこそがこれまで探し求めてきた人よ」と告げました。
ホールの外に出て、講話の本を三冊と 『ジョティ・シカ』という名前の雑誌を買いました。『ジョティ・シカ』を開いてみると 「アチャリア・ラジニーシの36歳のバースデイ・セレブレーション」という見出しが 目に飛び込んできました。
Oshoが36歳だなんて信じられません。誤植のせいで実際には63歳と書かれてあるべきだ、そう確信した私は、売店のカウンターに立つ少女にそう指摘しました。
すると少女は笑って 「36歳」で間違いないと言いました。
それでも私にはまだ、あの 講話の人物がたった36歳だなんて信じられません。
私たちに語りかけているときのOshoは、ウパニシャッドの時代からやってきた古えの賢者のようだったのです 。」
今日はここまでにします。
えたに