一万人のブッダたちへの百話 はじめに

あけましておめでとうございます

今年もよろしくお願いいたします。

このOshoブログではOshoにまつわるさまざまなお話や関連する逸話や瞑想などの彼の教えについて紹介してきています。

Oshoの弟子によるOshoとの逸話については、これまでシュンニョによる「和尚とのダイヤモンドの日々」とマニーシャによる「和尚との至福の瞬間」を紹介してきました。

今回は、インド人の弟子によるお話を何回かに渡ってお届けします。

シュンニョはイギリス人ですし、マニーシャはオーストラリア人でいずれも西洋人の弟子です。

そしてこの本に書かれているOshoは、まだ西洋人の人たちがOshoの元を訪れる前の頃のお話で、Oshoの身近な話が聞けます。

弟子にも、それぞれのお国柄が出ますし、Oshoとの経験も違っています。
さまざまな側面のOshoの紹介になればと思います。

これは、まだOshoがプネに定住する以前で、インド国内を遊説して回っていたころのお話です。

一万人のブッダたちへの百話

この一万人のブッダたちへの百の逸話は、あるインド人の弟子に起こったOshoとの出会いとOshoの弟子としての経験のお話です。

そのとき彼女は26歳、Oshoは36歳でした。

私たちが知っているOshoは、1974年以降の活動についてです。

1974年にOshoはそれまで拠点にしていたボンベイ(ムンバイ)から、現在彼の瞑想コミューンのあるプーナ(プネ)に移り、そこでインド人以外の人々、おもに西洋人に向けても、英語での講話をはじめます。

それまではヒンディ語のみでの講話で、インド国内を遊説していたので、インド人以外の人たちがOshoに出会うことはほとんどなかったのです。

そういう意味で、ここで語られているOshoは、私たちが目にするようになった以前のOshoが語られているので、非常に興味深いものがあります。

そのインド人のサニヤシンの名前はマ・ダルマ・ジョティ。

この物語は、次のようにして始まりました。

「偶然にも 1992年9月26日土曜日は、私の32回目のサニヤス ・バースデイでした。

夜の講話の後、ブッダ・ホールで行われたサニヤス・セレブレーションに行きました。
セレブ レーションのエナジーは非常に高く、ずっと踊り続けていると、突然に、ある強烈な感覚を第三の目のセンターに感じました。

それはかつてのプーナの日々にOshoのエナジー・ダルシャン で得ていたものと同じ経験でした。
私はすっかり興奮して、夜になっても眠ることができませんでした。

Oshoと出会ったばかりの日々にOshoのそばで過ごした経験の全ては、これまで忘れてしまっていると思っていました。ところがこの夜は私にとって記念すべき夜になるでしょう。

ある扉が突如として開け放たれ、ありとあらゆる過去の記憶がいっせいに飛び出てきたのです。

それは映画フィルムの巻き戻しでした。ハートの沈黙のなかで、過去に起こったたくさんの出来事を視覚化し始めました。

翌日にもそれは続けて起こりました。そして三日目に、自分に起こったすべてを書きとめたいという強い衝動が生まれ、ペンを取ったのです。

それは全くユニークな経験です。
書きながらにして、体験した全てを再び今起こっているかのように生きている、そう感じるのです。

驚いたことに時制は全て現在形になっています。私にはそうするしかないのですーー
それはそのようにして起 こっているのですから。

  ーマ・ダ ル マ・ジ ョ ティ ー

Oshoは1990年1月19日に肉体をはなれているので、この1992年はその2年後のことです。

Oshoが肉体をはなれてからは、毎晩7時からOshoの国際瞑想リゾートではOshoの講話を大画面で放映しています。

そこには世界中から数百人の人々が集まりその講話を聞きます。

サニヤスセレブレーションというのは、Oshoの弟子になったお祝いのことです。

ライブミュージックの音楽で、みんなが踊り、お祝いするのです。

そこでジョティは第三の目が開きはじめるヴィジョンを見ます。

映画フィルムの巻き戻しのようにして、ハートの沈黙のなかで、過去に起こったたくさんの出来事を視覚化し始めたのです。

翌日にもそれが引き続き興り、三日目に、自分に起こったすべてを書きとめたいという強い衝動が生まれ、ペンを取ったというのです。

これはある物語を思いださせます。

それはイギリス人のヴィッキー・ウォールが瞑想のなかであるヴィジョンを見て、三日目にそのヴィジョンが二層のボトルとしてあらわれました。

そのヴィジョンにしたがって作られたのが、日本をはじめ、世界中の国々で人気になったオーラソーマというカラーボトルによるカラーケアシステムです。

この「一万人のブッダたちへの百話」はそのようにして始まりました。

これから、そのもの語りから、いくつかの話を紹介していきます。

今日はここまでにします。

えたに