ここでの文章を読むと、ジョティは、押しかけ女房ならぬ、Oshoの押しかけ秘書になったように受けとれます。
この経緯にもOshoの流儀が見て取れます。
ジョティが「私がOshoと会って以来、 Oshoと一緒にいる機会を絶対に見逃そうとしないので、Oshoはそんな私の好きにさせてくれたのでした」と書いているように、Oshoの周りで起こることというのは、Oshoがアレンジした、というよりも往々にして、周りの要望で自然とそのようになってしまったというケースが多いようです。
Oshoが自分から何かをアレンジするというよりも、ものごとが起こってきたことに、応答していくという感じです。
Oshoの話を聞いていると、彼は日本の盆栽は好きでなかったようです。
それは自然の植物を不自然に刈って、不自然に整えてしまっているからのようです。
日本の学校教育のように、型にはめてしまうようなのはOshoの流儀ではなく、自然に、自由に、ものごとが起こってくることに任せるような感じなのです。
いつもOshoの近くにいて、庭師を担当していたムクタという女性がいました。
彼女はギリシャの船舶王の超お金持ちの娘なのだそうです。
彼女は、以前はアシュラムと呼ばれていたOshoの瞑想リゾートの庭を面倒見ていたのですが、そこはまるでジャングルのようにワイルドでした。
植物に限らず、刈り込んで人工的に整えるのではなく、ワイルドに、あるがままであることをゆるしていく、というのがOshoの方針だったようです。
「成長を考える場合以外で植物を刈ることに、Oshoが賛成したことはありません。」
ということがその方針だったからなのでしょう。
Oshoの立ち居振る舞い、食事の様子、そのひとつひとつにOshoの流儀がありました。
ジョティはそのOshoの流儀について、以下のように書いています。
これをよむと、Oshoがどれほどひとつひとつのこと、野の花ひとつにも、愛情を持って接していたのかということがわかります。
ジョティは語ります。
「Oshoは教授として勤めていた大学をすでに辞めています。
インド各地を訪れながら、瞑想キャンプを指導したり、野外で 一度に 一万五千人から二万人の聴衆に向かって講話をしています。
その姿は燃え盛る火のようです。ライオンのように大胆不敵に声を上げて、インドの伝統の全てを根こそぎにしています。
今でもジャバルプールに住まいをおきながら、ボンベイを中心にしてインド各地を旅しています。
多くの場合に、ジャバルプールからボンベイまで汽車でやって来て、次の目的地に向かう接続便に乗るまでの間、ボンベイ市内の友人宅でグストとして滞在します。
ジャバルプールに戻るときも同じ方法を取ります。
ボンベイに住む友人たちは頻繁にOshoに会えるようになって幸運です。
私と出会うまで、Oshoはほとんどひとりで旅をしていました。
それが私がOshoと会って以来、 Oshoと一緒にいる機会を絶対に見逃そうとしないので、Oshoはそんな私の好きにさせてくれたのでした。
Oshoのそばにいて、Oshoの身の回りの世話をさせてもらうことは最高の恩恵です。
いろいろな状況に対してOshoがどのように対応するのかを見ると、Oshoの存在に対する愛と慈悲の深さが理解できます。
椅子の座り方を見ても、椅子がまるで生き物であるかのように座ります。
Oshoは椅子を痛めつけたくないのです。
また立ち上がるときには、くつろがせてもらったことへの感謝で溢れたまなぎしを椅子に向けます。
歩いているだけでも、足許の土を痛めつけないようにゆっくりと優雅に歩きます。
Oshoは深い感謝をもって食事をします。
それがどれほどのものであるのかは、Oshoの食べ物に向けるまなざしを見ればすぐにわかります。
植物、動物、人間、それらにどれほどの違いがあるのでしょうか。
成長を考える場合以外で植物を刈ることに、Oshoが賛成したことはありません。
庭で友人たちに向かって語っていたOshoが、話を中断しなくてはならないことがありました。
なぜならその友人たちが芝生をむしり始めたからです。
Oshoは花を 摘むことにも反対しています。
かつてOshoはこう言いました。
「あなたはあなたがたの子どもを愛している。
だから、その子どもたちの頭を切り落としたりはしない。
それと同じように、
もしあなたが本当に花を愛しているのなら、
花を摘んだりなどはしないだろう。
あなたがたは花を摘み取ることで、
その生命を奪っているのだ。
そのような行為はある種の暴力だ。
少し距離をもって花の美しさを楽しみなさい。
ただし、それを自分のものにしようとしないこと」
「その姿は燃え盛る火のようです。ライオンのように大胆不敵に声を上げて、インドの伝統の全てを根こそぎにしています。」
とジョティは書いています。
この当時、Oshoはインド各地を遊説し、伝統的な宗教や聖者に対して、それらの伝統的な宗教や聖者の偽善を暴いていたのでした。ありとあやゆることに疑問を投げかけ、真実でないものは暴露し、時代に合わない形骸化した伝統についても容赦なく批判を加えていたのでした。
今日はここまでにします。
えたに