「Oshoの、旅をともにする人たちへの愛と心遣い」
Oshoは、1974年にプーナのアシュラムに移り住むまでは、インド国内を絶えず旅してまわっていました。
Oshoがプーナのソハン宅に滞在していたのは、まだそのアシュラムができる前の話です。
私はひょんなことから、そのソハン宅に呼ばれて、Oshoが好きだったというチャパティと家庭料理のカレー料理をいただいたことがあります。
そのカレーはホテルで食べるような脂っこくて辛いインドカレーではなく、マイルドでとても美味しいのにびっくりしたことがあります。
同じインドカレーでも、レストランで食べるいわゆるインドカレーと家庭でのカレーとは別ものであるということをこのとき知りました。
それはともかく、ジョティは実際にOshoとともに旅したものだけが知ることのできる、Oshoの知られざる側面をここに紹介してくれています。
ジョティは語ります。
「 Oshoはプーナのソハン宅に滞在しています。
講話は、ソハンの家からかなり離れた場所にあるサンガワィ・ティフィン・ファクトリーの庭でしています。
今夜は講話に出かける時間になっても運転手が来ていません。
およそ五分待って、Oshoが腕時計を見ながら 「遅れてしまう、 もう出かけなくてはならない」と言い、誰かが何か言う前に、運転席のドアを開けて車に乗り込み、エンジンをかけました。
ソハンと私は驚いて互いを見ました。私は助手席のドアを開けてソハンにOshoの隣に座るように勧め、自分は後部座席に座りました。
Oshoは大変なスピー ドで車を走らせていきます。
私たちは息を殺しながら座席に座っています。目的地までにはいくつもの曲がり角があります。
Oshoには行き方がわかっているのだろうか、と私は首をかしげました。
驚いたことに、目的地にはあっという間に着いてしまいました。
Oshoを迎え入れるために待っていた友人たちが近づいてきて、後部座席のドアを開けました。
すると、降りてきたのが私だったので 「Oshoはどこ?」と尋ねました。
そうしている間に、Oshoは自分でドアを開けてポーディアムに向かって歩き始めました。
私は無言でOshoの方を指差しました。腕時計を見ると三分間早く着いていました。
Oshoは決して講話に遅れるのを好みません。何というマスターなのでしょうーー
時のない世界に生きながら、いつも時間どおりですーー
Osho、あなたの慈悲は無限です。あなたの、旅をともにする私たちへの愛と心遣いはことばで言い表すことはできません。
それを実際に味わった者だけが知るのです。」
今日はここまでにします。
えたに