Oshoの物事の始め方

このジョティの手記が書かれている時代は、Oshoが大学教授の職を辞して、インド国内を遊説していた時代で、講話もヒンディ語などのインド人向けに話されていたので、西洋には知られていない時期です。

彼がプーナにアシュラムを構え、西洋人が彼の元に集まりだしてから、ヒンディ語の講話と英語の講話が交互に行われるようになりました。

私がOshoのことを知った1980年頃には英語での講話のみを話していました。

Oshoが1974年ごろにプーナに移り、彼が講話をし、瞑想のためのアシュラムを構えた頃には、そこに集まる人たちはオレンジ色のローブを着ることになっていました。

そしてアメリカのオレゴンのコミューンでも、また1985年にプーナのアシュラムに戻ってそこで再びインドでの活動を再開した時にも、そのアシュラムに入る時にも、全員がオレンジ色のローブ、「マルーンカラー」というふうに言われていましたが、レッドワインに近い色のローブを着ることになっていました。

インドではオレンジ色のローブというのは、伝統的なサニヤシンの着るものであり、サニヤシンとはインドで伝統的には世間を捨てた求道者のことをさしていました。

ですから、Oshoが弟子をとりはじめて、弟子のことをサニヤシンと呼び始めたことで、インド社会には大きな混乱と避難が起こったのです。

多くの西洋人がオレンジのローブを来て、インド国内をうろうろするわけですから、インドの伝統的なサニヤシンからすれば、伝統を汚すものと思われ、伝統的な宗教からOshoへの批判の種のひとつにもなったわけです。

日本で例えれば、禅の修行僧の衣装を、チャラチャラしたヒッピーの外人がファッションのように着て街を歩いているようなものです。

実際、当時のOshoの元に集まった西洋人はインド国内を旅していたヒッピーのような人たちが多かったので、オレンジ色の服を着ているOshoのサニヤシンたちはオレンジピープルというふうに呼ばれていました。

ちょうどビートルズの4人は、それぞれの夫人や恋人を連れて瞑想をしにインドに行っていたのが1968年ころなので、ヒッピー文化が盛んになりはじめていたころでもあります。

しかしOshoはそれらのことを、形骸化してしまったインドの伝統に新しい息吹を吹き込むムーブメントとして利用したのでしょう。

今回のジョティの手記は、そのジョティがオレンジピープルとなった最初の出来事が書かれています。

世界的にも有名になったOshoのオレンジピープルはここから始まったのです。

その始め方も、Oshoは、最初はジョティに「オレンジ色の服を好きかどうか」を訪ね、「それ以来三度も、オレンジ色の服が出来上がったかどうかを」尋ね、それでもまだ作らなかったら、自分で反物まで用意するというような段階を踏んでいます。
あくまで、強制しないでものごとを進めています。

「Oshoに会いに行くとOshoの部屋の片隅にオレンジ色の生地の反物が山積みに置かれていました」
とジョティは書いていますが、

これを読んだ時に、インドでの呉服屋を思い出しました。

呉服屋というより反物屋というべきでしょうが、インドの反物屋は日本の着物の呉服屋のようにたいそうなものではなく、ありとあらゆる色の、絹や綿やアクリル素材の薄い反物が、天井までの棚にぎっしりと積まれています。

そして、そこから好みの色と素材の布を選んで、自分の好みのデザインに仕立ててもらうのです。

当時は布と仕立て代を合わせても、日本円で数百円から1000円もあれば一着出来上がりです。

ですからアシュラムで着るローブやインド国内で普段着にするためのパンジャビスーツを作りにインドの呉服屋にいくわけですが、「服を作りたいんだ」というと次から次へと反物を棚から取り出して広げられます。

「そんなに出さなくていい」というのに、あっというまに10種類ぐらいの布が目の前に広げられ、そこから選べ、というわけなのですが、相手はサービスのつもりなのでしょうが、あまりいっぱい広げられると、かえって混乱して選べなくなってしまいます。

ですから「オレンジ色の生地の反物が山積みに」というのを読むと、あの山積みのインドの反物屋が目に浮かびます。

それでは「一万人のブッダたちへの百話」より、「Oshoの物事の始め方」をお楽しみください。

ジョティは語ります。

「 マナリでまもなく瞑想キャンプが始まります。今朝、Oshoが私に、ラクシュミが着ているオレンジ色の服を好きかどうか尋ねました。

私は「はいOsho、ラクシュミによく似合っています」と言いました。

Oshoは
瞑想キャンプで参加者全員が着ると引き立つ色だ。
 君もラクシュミのような服を仕立てなさい
と言って、カルナにも

同様のメッセージを送りました。私たちふたりはそれに同意しました。それ以来三度も、オレンジ色の服が出来上がったかどうかをOshoから尋ねられました。

そして私たちは「まだです」と同じ返事をしています。瞑想キャンプの日までまだかなりの時間があります。

今日驚いたことに、Oshoに会いに行くとOshoの部屋の片隅にオレンジ色の生地の反物が山積みに置かれていました。

Oshoはそこから服を作るのに必要な分を切り取るように言いました。
私は服を作らずにいたために、Oshoに迷惑をかけてしまったことを恥じました。

多分、私は真剣に考えていなかったのです。
でもOshoは真剣なようです。

友人の手を借りて、4メートルの布を震える手で切り取りました。
正体不明の恐怖が私を掴んでいます。

私にはOshoの顔を見ることができません。
Oshoが私を呼びました。
私は膝の上に生地をのせてOshoの足許に座り、視線を床の上に落としました。

Oshoは私の頭に手を置いて祝福しました。
そして
ラクシュミのと全く同じ型で服を作ってきなさい。
 君に似合うだろう」と言いました。

Oshoのいたずらっぽい微笑みを見た私は、Oshoが一体何をしようとしているのか理解できずに、より一層の困惑を覚えました。」

今日はここまでにします。

えたに