瞑想は人生とひとつ

Oshoの言葉

瞑想は人生とひとつ

ブッダはよくいっていた、
『あなたの息でさえ、意識することなく、
入ったり出たりするべきではない』と。

彼は僧たちに言った、
『いつも息が入ってきて、
その息が出ていくのを見守りなさい。

もしあなたが動くときには、
足が動いているのを見守りなさい。

もしあなたが話しているなら、
油断なく見守っていなさい。

もし聞いているなら、注意深くいなさい。
食べているなら、見守っていなさい。

決してどんな行為も気づきなく
なされることをゆるしてはいけない。

それ以外のことは何も必要ない。』

この気づきがあなたの人生のすべてに
およんでいくだろう。

24時間のことになる。
瞑想のための別の時間を
設ける必要はない。

仏陀は、瞑想は人生から
分離することはできない、と言う。

瞑想は人生全体に広がり
混ざり合わなければならない。

瞑想は人生とひとつである必要がある。
        Osho

瞑想のための別の時間を
設ける必要はない。

こういうふうにOshoが言っているのを聞くとすぐに、
瞑想の時間をとるのをしなくなってしまう人がいます。

私がそうなので、たぶん、多くの人もそうだろうと
思うのですが、

5分でも、10分でも、30分でも
日々瞑想の時間をとって、
瞑想することは意義があることです。

仏陀が待機説法であったように、
Oshoの言葉も、質問に答えている相手がいます。

この言葉は初心者に向けられたものではなく、
ある程度瞑想の習慣ができている人に向けられています。

瞑想のための別の時間を
設ける必要はない。

と言えるためには、

この気づきがあなたの人生の
すべてにおよんでいくだろう。

24時間のことになる。

ということが前提になっています。

つまりすでに、
瞑想による気づきが身についていることが
前提となっている言葉です。

自分の都合の悪いことは耳に入らないのが、
私たちの常です。

なので、気づきが24時間のものになっていないのに、
瞑想の時間を取らなくなると、

瞑想のことをすっかり忘れて
24時間瞑想しなくなるのです。

そういう意味では、ハート瞑想は
24時間瞑想するためにはとても良いものです。

というのは、ハートを思い出すということを
常に意識するようになるからです。

いつでも、どこでも、簡単に始められて
瞑想にはいることができるようになります。

自分が感情的になったり、気持ちが落ち着かない時、
ストレスを感じたり、マインドに行ってしまっている時、

ハートに手を当てて、心を鎮める、
自分の中のスペースを感じることは、
瞑想を人生にもたらすにはいい方法です。

ずぼらな私でも瞑想を続けられているのは、
このハート瞑想のおかげ、とも言えます。

別にハート瞑想でなくても、
24時間、いつでも気づきを意識していられる人はいいですが、

そうなるまでは、
瞑想のための別の時間を設けることは助けになります。

その上で、瞑想を人生全体に広げ、混ざり合うようにしていく、
というのは、人それぞれの工夫になります。

そのように実践していくことが、
この「ゾルバ・ザ・ブッダ クラブ」でしていることです。

朝のこのメールを読むひと時に、
瞑想を思い出す。

そこから一日を始めてもらえるといいと思うのです。

今日はここまでにします。

えたに