OSHOの絵
身体の衰弱したOSHOが少しでも歩くことができるようにと作られた「ウォークウェイ」…ガラス張りの遊歩道ですが、ジャングルのように植物が生い茂った庭にあります。今ではビパサナ(静かに坐って、呼吸を見つめる瞑想)に使われてい…
身体の衰弱したOSHOが少しでも歩くことができるようにと作られた「ウォークウェイ」…ガラス張りの遊歩道ですが、ジャングルのように植物が生い茂った庭にあります。今ではビパサナ(静かに坐って、呼吸を見つめる瞑想)に使われてい…
シュンニョのOSHOとのダイヤモンドの日々とは、どのような日々だったのでしょうか? マスターとともにいるというのは、しかも身近にいるというのは、とても大変なことです。 マスターの弟子へのワークは、ダイヤモンドをカットする…
1987年当時、私がプーナの瞑想アシュラムに滞在していたときにも、OSHOがいつ講話に現れ、いつ現れないのかは予測できない事態になってきていました。 そしてOSHOの血液や毛髪などが専門家によって検査されていることなども…
OSHOのように覚醒を得た人というのは、痛みから意識的に分離することができるようです。 それはインドの覚者の物語などをいろいろ読んでいると、時々、そういう場面が書かれてあったりします。 そういう弟子の手記によると、通常な…
OSHOは、真理の探究やスピリチュアルなものごとに関してのマスターですが、質問によっては政治的、社会的な問題についてもストレートに言及していました。 そういう問題については微妙な問題もあって、誤解を避けるためには問題を避…
シュンニョがここで書いていることを読むことで、その時期をOSHOとともに過ごした私には、そのときの体験がありありと思い出されます。 「そしてOSHOは、私たちと踊るようになりました。講話のためにチャンツー・オーディトリ…
OSHOは母国インドに戻ってからも、ワールドツアーの時と状況は変わらず、相変わらず政府などからの嫌がらせを受けていました。 しかし、このような状況はOSHOだけかと思ったら、2500年前のお釈迦さまの時代においても同じよ…
OSHOがワールドツアーのあとにボンベイ(ムンバイ)にしばらく滞在したあと、そこから車で数時間のプーナに戻ったのですが、そこは1974年から1980年までの間、OSHOの瞑想アシュラムがあったところです。 OSHOはジャ…
前回、シュンニョが体験したことを、今度はOshoの目から語ってもらいましょう。警察官たちがOshoの寝室に侵入し、激しいやり取りがなされたのですが、そこではどのようなことが起こっていたのでしょうか? 人それぞれに生きてい…
今日からは「OSHOと過ごしたダイヤモンドの日々」の17章、タリウム──OSHO毒殺の陰謀──よりお届けします。 タリウムというのは、OSHOがアメリカ政府に逮捕され、刑務所を理由もなくたらいまわしにされたときにOSHO…